『7DOORS』bel canto | D-DST

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日記や、沢山の好きなことへの、
独り言。

2012年4月1日@東京グローブ座



開演すると、

水さんが! とか
SUGIちゃんが! とか、

当初の楽しみだったり嬉しさ、期待はどこかへ飛んでしまって、

ひたすら舞台から発せられる音、言葉、感情、それから空間に釘付けだった。

それらを追うのに夢中だった。




いつもの様に、
所謂「観劇レポート」の様なものは、
多分、
今、直ぐには書けないと思う。




一言で言うと「言葉攻め」。


だが厭な感触はしない。

一言一言がとても心に残る、素敵な台詞。


こういうのは嫌いじゃない。


ストレートプレイ(ほぼ)の醍醐味だ。




勿論、
すべてを理解、消化しきれた訳ではないが(たまに、単純に聴き辛い時があり。汗)、


テーマが非常に普遍的なものなので、

聴けば聴くほど嵌るし、
興味は途切れない、
考えなくとも「入って」くる台詞。世界観。



例えば『暴食』。


ユディット「食べ続ける事が『快楽』だから?」



どっきーん(冷汗。←心当たりがありすぎる)。


つまり、そういうことなのだなと。


愚かな人間は罪から逃れられない。

欲から逃れられない。



劇中でも語られていたが、

しかしその愚かさこそが人間らしさでもあると。




「時」の象徴とも思える雨漏り(違)の雫も、その音も、

その池を覗き込む其々の動作、表情も、


実に意味深長で効果的だった。


休憩無しという構成も大正解だったと思う。

(作品によっては休憩乃ち「区切り」を入れる事、箇所によって解釈が変わってくると思うので。
「休憩」って、文字通りの休憩ではないんだよね。)




カーテンコールで漸く我に返る。



公爵さまもすっかり、

中の人・宇宙になっておられた。


水さんは相変わらず、
隅々までマルカートしていってくれた。



席が席だったので、
水→杉→水→杉→水→杉→水・交互大接近の策。


ちーん(昇天)。


我にとっては至福過ぎるカーテンコールのせいで

至高の二時間がうっかり昇華しそうだったが。




この作品の意図、感じたこと、この熱を、

この先も噛み締めてゆこうと思う。
忘れたくないと思う。




久し振りに、

強烈な作品に出逢えた(感謝)。
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