くたくた悩まずに今やりたいことをひとつづつやっていくことに決めたら気が楽になりました
本日は一階ワックスがけの完遂した後でニスの二度塗り(おまえがやりたいのは日曜大工か、という突っ込みはライフで受けます)

お昼前に市役所に行って、国民健康保険の手続きをします
退職に当たって企業保険から国保に移さなければならないのです
企業保険には任意継続という制度があります
一般的に企業保険は国保より有利なので、退社後2年を目処に延長をすることができる制度、らしいです
退職のとき、会社から言われたのは、国保は地域によっても扱いが違うので、調べた上で有利なほうを選んでください、ということでした
市役所に電話したところ、現在の収入からざくっと計算をしてもらって、月々の支払いが5割ほど上がりそうなので、任意継続の手続きをしました
しかし、その後ハローワークで手続きのときに、私のような会社都合の退社の場合、国保では収入を3/10にみなすことができると聞き、再度保険課に問い合わせたところ、確かにそうですということで、今度は支払いが半分以下になりそうなので急遽国保への切り替えに決めたのです
切り替えのためには脱退証明書が必要ということで、これを急遽郵送してもらうことにして、やっと容易が整ったのです

問い合わせたときに一発で教えてくれよ、という気もしましたが、そこはそれ私のコンディションを詳細に伝えられなかった私のミスです
むしろ、いろいろ意味不明な問い合わせにいちいち親身に聞いてくれた保険課、企業保険の方々に感謝しなきゃいけません
サービス業て大変だな、私にはできないわ

保険課は市役所の4階です
大した待ちもなく、一枚簡単な書類を記入するだけで、目の前で保険証を作ってくれました
今は一人づつカードの保険証なんですね
一昔前、折りたたんだ紙の保険証を家族で奪い合っていたのはなんだったんでしょうか

パンフレットを見ると、国保の切り替え手続きは14日以内に行わなければならないということ…上記のごたごたでずいぶん時間をとってしまっていたので、ぎりぎりでした
私は去年、免許の更新を半年忘れていた前科があります
まさにその日気がつかなければ免許取り消しというぎりぎりのタイミングでした
もう、あの手の面倒な処理は嫌です
国保税の振込用紙は来月に郵送されるそうです

保険課の人にいわれるまま社会保険の変更手続きもします
正直これはノーマークでした
しまった、ひめの分の社会保険手帳持ってきてないや
社会保険の窓口はすぐ横です
国保の窓口で渡された書類を持って並ぶと、こちらもすぐに案内されました
コンピュータを使って私のデータを参照し、どこかに電話をかけて、それに追記を行う作業を目の前で行ってくれます
これがいわゆる失われた年金問題を教訓にしたチェック体制なのかなーと思って眺めています
私もひめも加入が特殊で、免除期間とかもあってややこしいので、大変そうです
「免除の手続きをされますか?」
これは正直心にぶっささりました
以前、1年免除の手続きをしたことがあります
本当に仕事が無くて、お金がなくて、にっちもさっちも行かなくなったときのことです
今はそこそこたくわえがありますから、そんな感覚はなかったのですが…
「私は免除を申請する資格がある…んですか?」
「あります」
ああ、これが失業、無職なんだなあ
もしかしたら初めて、失業と言うことの重さを感じた瞬間だったかもしれません

日本はセーフティネットの整備が足りない、という話をよく聞きます
自営をやっていたころ、だれもなにも守ってくれませんでした
金が無くなったら、死ぬしかない状況でした
それでも、私はセーフティネット構想には反対でした
失敗は自己責任と思っていましたから

今、サラリーマンとしてレールからこぼれました
国保、社保、ハローワーク、その前に退職金や転職サポート…日本は”サラリーマンである”という前提ですごく守られているんだなぁと強く感じました

マックで新作チキン&ソルトのセットで昼ごはん
これはなんかやばい美味さ、ケンタッキーピンチ
パステルでプリンを買って友人宅へ
その後、渋谷で別の友人と飲み

Kodak社の時の上司?同僚?
すごく仕事に対して情熱的な人で、人間として尊敬できる人の一人
Kodak時代は社長より人望が厚かった人だけど、今の会社ではうまくかみ合わずに苦労しているみたい
業界、業務そして転職についてだらだらトーク
実は彼の会社に面白そうなポジションがあるのですが、エージェントに言ったきり返事がきてません
応募するなら人事に直接言ってくれるということ…ありがたいです

渋谷の鍵屋は料理も接客も素敵でした

私はしばらく就職したくないんだと理解したら楽になった

朝から掃除してリビングのワックスがけ

食卓の下と玄関

うちはリビングが無駄に広いので、まだTV前と台所ブロックが残ってます

二階は後日


昼からバトスピのショップバトル

昨日優勝したので、今日は別の遊びデッキを使用、見事に打ち砕かれてきました

勝ちにこだわれないのは私の修正です


帰りにニスを買ってきます

洗面台のニスが剥がれてずいぶんみっともないことになっていたので塗りなおしをします

思ったより粘りが強くて綺麗に塗れません

二度塗りしなきゃだめだな

失敗はその後、洗面台ではけをあらったらニスがべっとりへばりついちゃいました

慌てて新聞で吹いたら真っ黒になって、それを慌ててレンジクリーナーで拭き取りました

で、気がついたら手がニスでべっとり

油性のニスです。こすっても石鹸つかってもまったく落ちる気配がありません

食器用の洗剤つかって、レンジクリーナー使って、手がひりひりするまでこすったけどぜんぜんだめ

で、仕方なくホームセンターに向けて再度出撃

ハンドルにへばりつくので手のひらにティッシュをまきつけて


ホームセンターについたら既にティッシュがへばりついて取れなくなっています

白くなった手を隠しながらニスの薄め液を購入、その足でトイレに入って薄め液で手を洗います

すごいなぁ、綺麗に落ちる

でもすテレピン油のごいにおいが立ち込めて、他のお客さんににらまれました

当たり前ですね


オリジン弁当でおかずを買って帰宅

SNS書き込みながら選挙速報を見てます

タレント候補て、どうなんだ?


昔話を改めて書いてみると、30前の私って本当にその日暮らしの根無し草だったんだなぁと実感しました


ソフトウェア技術者を探しています、というのはどこかに仕事があったわけではありませんでした
私はそれから数ヶ月、数社の面接を受けさせられました
今までやってきた雑多な仕事をうまくアレンジして経歴書を書くと、ちょっとした戦略人材になっていたようです
前述のとおり私はもう自分のソフトウェアエンジニア寿命は終わっていると思っていましたので、わりと投げやりでした
ゲームで食っていた時代に、もう二度とまっとうな社会人には戻らないぞ、という決意であけたピアスをしたおっさんを雇ってくれる会社はそうは無かったのです

なかなか決まらず、その度に紹介会社をたらいまわしにされていたようです
毎回世話をしてくれる人が変わっていましたが、それもあまり気にしていませんでした

Kodakに決めたのは、大きな建物の自社ビルで、面接してくれた人が日本人離れしたラフな感じで、しかも車通勤が可能だったからです
採用をしてくれたのはQAセクションでしたが、釣り書きが効いたのか、私は単価が高すぎるのでアドバンスド、先行開発セクションと折半で雇われることになりました
高すぎる?って言われるほど手取りがなかったのでおかしいとは思ったんですが…

QAセクションは英語上等で、ミッションだけあってプロセスが無い状態で、私にとっては宝の山でした

機動警察パトレイバーにシャフトていう外資系の会社が出てくるのを知ってますか?
企画第七課というセクションがありました
大金使って商品にならないぶっ飛んだプロトタイプ作る仕事、アドバンスドはまさにそんなところでした
私の仕事はぶっ飛んだ”内海さん”の下で彼のクレイジーな発想を支える”黒崎君”のポジションでした
この”内海さん”は私を救ってくれた人です
本人にはそんな自覚はまったく無いと思いますが
”内海さん”は私が人生で初めて出会った天才でした
私はすごくプライドが高くて、嫉妬深い人間なんですが、本物を相手にするとそういうものは湧き起こらないものなんだと知りました
彼は、決して綺麗ではありませんが、本物のオブジェクト指向のプログラムを見せてくれました
私は初めてプログラムが面白いものなのだと気がつきました
私はずっと、芸術は高貴な仕事、プログラムは下世話な生活手段と思ってきっぱり切り分けていました
彼と出会って私は、プログラムが芸術のひとつなんだと気がつきました
漫画、演劇、シナリオ、音楽…いろいろやって芽が出ませんでした
才能が無かったのです
そんな私にでも、プログラムでなら人を感動させる作品を作れるかも知れない、この年まで紆余曲折ありながらもこの世界で生きてこれたのだから、それなりの才能はあるんじゃないかと思えたのです

そんなこんなで私は数年”内海さん”と”グリフォン”を作って楽しく遊んでいました
言語仕様書だけ元にしてスクラッチからJVMを作りました
多分世界で最初に組込機器にFlash Playerを積んだのは私です
Flash Player内臓デジカメの市販化計画が立った時、表舞台に立ちたくなって、会社に入れてもらいました

ホタル、見たことある? ブログネタ:ホタル、見たことある? 参加中
本文はここから



私の家は東京ですが、町内でホタルが見られます
奥多摩とかそんな田舎じゃないですよ
小さな湧き水があって、そこで毎年見られるのです
ちょっと崖になってますが、住宅街です
市の管理になっている緑地です
ホタルの時期だけ、夜の間、鍵が開いていて、見に行くことができます
宣伝はしていません
町内の人が知っているだけです
そんなところって、案外あちこちにあるのかもしれませんよ

ホタルは警戒心というのが欠けているのか、人に近寄ってきてやすやす捕まってしまいます
どうか大事にしてください

朝からバトスピの大会2つ出て、一つ優勝しました
小学生にまじ勝ちしました
なので、今日の転職活動はなし、です


書くことが無いので、私のことなど書いておきます


大学に推薦入学で入って、一年で留年して、23で卒業しました
今はMARCHのひ中で一番チャラい大学、といわれているらしいです
私が卒業した年は1988年、バブル絶頂の頃でした
私の学科130人中、就職をしなかったのは私だけでした

そのころ私は漫画を描いていて、それで食っていくつもりだったのです
いや、厳密に言うとその確固たる自信は無かったと思います
ただ、普通に就職するのは自分には合わないと思っていたのです
正確に言うと、もう就職しなくちゃダメかなと思ってゼミの先生の所に進路相談に言ったら、逆に説得されちゃったのです
自分で決めているようで、ずーっと流されて生きてきたのかもしれません

大学を出ても、何のあてもありません
1年くらい学生時代からやってたセブンイレブンのバイトで食ってました
あとはゼミの先生から紹介された大学助手の仕事、コンピュータ科学という授業の仕事です
メインの先生は居ましたが、授業は大体私の思うとおりにやらせてもらってました

そのうちやっぱり大学のゼミのつながりであるソフト会社から仕事がもらえることになりました
一応卒論はコンピュータのハッキングみたいなものを出しましたが、そのときまだまともにプログラムを書ききったことなどありませんでしたが、友達にプロが居たので、2人で組んで仕事を請けることにしました
バブルでプログラマーが不足していた時代でした
バイトで月10万ちょっとの時代、月に3日くらいがんばればできちゃうような仕事で50万ほどもらえました
本当に狂った時代でした

OJTでプログラム、当時はUNIXでCを覚えました
機種間移植が多かったので、プラットフォームごとの違いに精通していきました
そのうち別件でメモリマネージャの仕事も入りました
これも、MS-DOS版、OS/2版、Windows版、Unix版といろんなOSに移植する仕事でした

さて、肝心の漫画はというと、投稿はしていましたが目が出ませんでした
担当がつくと気合が空回りしちゃって、いうことと違うことをやったりしちゃうのです
絵もうまくなかったし、何より人を楽しませるという才能に欠けていたのだと思っています
誘われるままに舞台音響をやったり、役者をやったり、だらだらとすごしていました

縁あって最初の結婚をしたのは25の時でした
今考えたらなんとも無謀なことです
このあたりで既に漫画はほぼ諦めていました
プログラマーの仕事で食えるようになっていたからです

やがてバブルがはじけ、請負の仕事などあっという間に無くなり、生活が壊れ、奥さんが逃げました
彼女の名誉の為に言っておきますが、お金がなくなったのが理由ではありません
私が人間として壊れてしまったのが原因です
とてもいい子でしたが、頼れる子ではありませんでした
そのころはまだ、誰かに頼らなければ生きていけないタイプの子だったのです
そして、頼られなければならない私が壊れてしまったのですから、仕方が無いことだったのです

しばらくパチンコやったりしてました
貧困から抜けたのはゲームの仕事が入ってからでした
学生の頃からゲームが作りたくて、2度ほど人を集めて、そのたびにお金と信用を無くしました
すべて諦めたころに、向こうからゲームの仕事が転がり込んできたのはなんとも皮肉でした

発注元はアニメの製作会社、当時流行りつつあったOVAとゲームのコラボレーションをしようと目論んでいたのです
最初はプログラムのみの受注でしたが、アニメの人にプログラムの指示ができるわけが無く、最後は私がシナリオを書いていました
それを2本つくって、オリジナルブランドでいわゆる18禁のゲームを2本作りましたが、天狗になっていたので、会社と喧嘩別れをしてしまいました

2度目の悲惨な時期、飼い猫の病気も重なって、ほぼ半年猫の看病だけをしていました
オウム真理教のサティアン捜索から阪神淡路大震災くらいまで、ずーっとTVを見ていました
3月1日、猫が死んで、仕事を探しに出ました

パチンコ屋の夜間清掃の仕事を見つけました
夜中にホールに集まって、朝までに掃除をして帰ります
私以外はおじいさんばかりでした
一週間やって、作業効率が悪いことに気がつきました
現場の人たちに指示をして作業の改善をはかり、4人で6時までかかっていた作業を3時に終わらせられるようにしました
そこで、会社に掛け合いました
「2人でやったら日当倍額くれる?」
交渉成立、バイトの頭数も足りなかったのでとくに文句は出ませんでした
結局1年やって、最後には2人で3時までに終わらせられるようになっていました
清掃から抜け出したのは、やはり友達経由の「プログラマーを探している」という話でした
そのころ私は30過ぎ、正直自分のスキルではもう食えないだろうと思っていました
日進月歩の時代、たいした向上心も無くだらだらと過ごしていたからです
その時、プログラマーを探していたエージェントが、ひめでした

天気が良かったので、暖炉をデッキに放してリビングの1/3をワックスがけ


Big Boyでたにけんと待ち合わせて昼飯

たにけんは自営でソフトウエア請負開発をしている人

前の会社で同じ請負仲間


このブログを読んで、私が相当弱っていると思ったらしく、いろいろ励ましてくれた

就職なんてしなくても、営業してまた自営やればいいじゃん、と過去の彼の経験をいろいろ伝授してくれました

私は自営といっても運が良くて、たいしたことをしなくても周りの人が右から左に仕事をくれていたので、彼の話は参考になりました

相手のことなんか考えなくていいんだよ、それっぽいところネットで検索して、手当たり次第にメール出せばどっかひっかかるから…ああ、その手があったか


帰ると会社の営業Nさんからメールがきていました

とある会社に推薦できそうだけど、どうする?という内容

Nさんは若いのに迫力があって、すごく仕事ができる人です

でも、会社に居たときは特別仲が良かったわけではなく、正直営業っていう人種がよくわからなくてむしろ避けていた人です

いい話があったら教えてください、了解、という会話はしましたが、営業特有のセールストークだと思ってました

本当に私を評価してくれていたのか、営業として利用できるのか、はたまた本当はすごくいい人なのか…未だにNさんがよく理解できていません

気持ちにゆとりができたのはまちがいありません


夕方、こぞうのサッカースクールの父母集会に参加してから、町田でSさんと飲み

Sさんは前の仕事のお客さん

といっても彼も請負で、5人ほど従業員を抱えた会社の社長さん

中国大好きで、新しい仕事を中国ではじめたいらしい

具体的な話はでなかったけど、種は持っている様子

今日のところはお互いの中国観、仕事のやり方について再確認した感じ

来月私が香港に旅行する時までになにか仕掛けができたら連絡するということで、ラーメン食って〆ました

日本酒はキクなぁ


今日思ったこと

きっと私はそんなにあせってない

来月香港旅行が終わるくらいまではゆっくりしたいらしい

そんなことでいいのか?

朝ずーっとひめとチャット

私らチャットだと仲いいな


今日は5時半から町田でSBがあります

なんか時間を無駄に使いたくなって、2時に家を出ました

ファミレスで昼ごはんを食べてから、町田に行って、パチスロ

めぞん一刻のと、エヴァの

やり方がわからない台を、傾向もみずに、両隣りが空いてるっていう理由だけで打つのはあきらかに自殺行為です

3千円づつ突っ込んで、何もみずに終了

萌えないな

カードとかもうやり方がわからなくなってます

素人には敷居が高い遊びになっちゃいましたね

台に座ってサンドに現金突っ込めばよかった時代が懐かしいです

攻略法が書いてあるカードがつってあったりするのですが、それって本末転倒じゃね?


まだ時間があるので、ヨドバシいってカードスリーブみて、売り場見つけたら手当たり次第に宝くじ買って、駅前を通ったときにどこかで聞いた声が聞こえたので立ち止まってみました


共産党の志井さんが、応援演説に来てました

演説うまいなー

よどみなくすらすらと綺麗な言葉が出てきますし、抑揚が絶妙

達人ているんだな

自分は共産党ひいきではありませんが、これは入れたくなっちゃう気分もわかります

テレビでみると地味な人だけど、さすがは党首を何年もやってる人は違いますね

なんにでも達人はいるんだ


余談ですが、SBは2位でした

まぁ好成績

でも、一位とりたかった…


憲法関係の本を読む

憲法とはなにか

http://www.amazon.co.jp/%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E9%83%A8-%E6%81%AD%E7%94%B7/dp/4004310024/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1278554546&sr=8-1


技術系の本なら気配のようなものを感じ取れるのだが、文系の本は正直さっぱりわかりません

よって、この本が至極もっとなことを語っているのか、トンでも電波理論を展開しているのか嗅ぎ取ることができないのです

多読するしかないんですよね


この本には腑に落ちるところがいくつかありました

憲法は動物である人間にとって不自然なものであること。本質的に比較不可能な多様性を持った人間が国家というまとまりを持つために受け入れた不自然こそが憲法であるということ

わけあり商品のわけを教えてもらった感覚です


憲法は国の存在そのものであるということ、戦争とは憲法と憲法のせめぎあいであり、どちらかの憲法を書き換えることで終結するということ

人や土地はニアイコール国であっても、それをもって国ではない。なるほど納得


億単位の人間が集まっている時点で議会制民主主義は破綻しているということ。議員であり、党であるものは利益調整機構としてのみ成立しているということ

今まさに選挙たけなわなわけですが、議員の皆さん政治理念なんていくら歌われたってそれで票をいれるなんてできっこないんです。私と同じ考え方は私しかできないんですから。誰かに自分の思想を託すなんてできっこないんです。ただ単に数が多い人に近い考え方の方に利益が移動するシステムなんです

まったく自分が考えていたことと同じなんですが、法律学者がそんなちゃぶ台ひっくり返すようなこと言っていいのかしら


法律の本なんて読んだことがなかったのですが、理屈をこねくり回して物事の正体をあからさまにしようって、面白い仕事だなぁと思いました

私こっちの道に進んでおけばよかったかな、と弱性の後悔

私は工学部卒です

文系て社会に出てもなんの役にも立たない屁理屈遊びだと思ってたのです

MT4眺めていたけど、なにをしたらいいのかさっぱりわからず放置

よく考えたら意思の入った乱数を予想して売り買いするなんて、とんでもない占いプログラムですよね

血液型占いとかと同レベル


夕方、駅前でサマージャンボ購入

宝くじを人生設計に組み込まなければならない自分がここにいます

町田駅前の売り場には長蛇の列ができています

よく見ると、いろんなタイプの人が宝くじを買っています

ロト6を200円買っているおとうさん・・・200円て買い方する?

その後は、おとなしそうな感じの奥さん

飾りのついたかわいい財布の奥から小銭を出して、説明を聞きながら買っています

え?サマージャンボと1000万サマーを1枚づつですか?

いかにも生まれて初めて宝くじ買いました風

その後も奥様

こちらはサマージャンボと1000万サマーを7枚づつお買い上げ

縁起を担いでいるんでしょうが、そんな買い方する人はじめてみましたよ

たくさんのひとが新たに宝くじに夢を託差ざるを得なくなっているのかな・・・と邪推してしまいました

私は町田で連番10枚、横浜で連番10枚購入

お金は残り少ないんですが、合計で100枚くらい買っとかないと人生設計に支障がでますので


FF11のゲーム中でロトみたいな宝くじがあるんです

毎回家族の誕生日の番号で買ってたんですが、今回なんと私の誕生日が2等大当たり

確立1/10000で、ゲーム世界価値でいうと、私レベルの一般プレイヤーなら贅沢しなければ一生金策しないですむくらいの価値のあたりだったんですが・・・今回に限って買ってなかったのです・・・orz

ということで、ここで逃がした運がリアルにくることを、割と真剣に祈ってます


夜、前の会社の人と飲み

楽しかったけど、身が無かった

身ってなんだ?

今朝は3年2組の読み聞かせ

今、明示的に誰かに求められている唯一の仕事

先週はうっかり忘れた

曜日感覚が狂っている兆候、たいへんよろしくない


暖炉の散歩が長くなる

これもひとつの他人に求められている仕事

歩いている間は時間を潰さなくていい、気持ちが落ち着く

これからやるべきことを整理しようと考えるんだけど、まとまらない

ただもくもくと歩く

一回で4枚使ってたうんち袋を1枚にした

中途半端に節約モード


PCの前に座って、昨日のSBのレポートを書く

エージェントから問い合わせがあって、質問に回答する

先方の会社にレジュメを送ってくれたみたい

リクルート、君はいい仕事をしているよ

君がいるから今生きていける

ほかのエージェントは既にメールを出しても返事が来ない


ご飯を炊いて、洗濯機を回して、掃除機をかけて、暖炉と引張りっこで遊んで、庭の草むしりをして、床のワックスがけの準備をして

昨日、SBで友達にもらったとこぶしを切って、炊き立てのご飯で食べる

うまい

残りはビールのつまみにしよう


そしてやることがなくなった

ごきげんようのゲストの移り変わりが理解できるようになったら人間終わり、13年前、どん底だったころの生活にもどったサインだ

今は幸か不幸か家族がいないから、思う存分、誰はばかることなくだらだらできてしまう

会社員時代も自宅作業が多かったので、背広で公園のブランコに座って一日を過ごすことは無いだろうと思っていたけど、似たようなことはしないといけないかもしれない


これはやばい