長かった休暇が終わりました


思い返せば6月末日に意気揚々と退職してから7ヶ月、正直ここまで苦戦するとは予想していませんでしたが、それも今となってはいい思い出です

失業保険を頂いて、ゆっくり人生を振り返ることができました

自分の存在価値を見つめなおすことができました

難しい年頃の子供と向き合って話し合うことができました

発見がありました

友情を知りました

人生に無駄なことなんてひとつもありません

今にして思えば、失業してよかったと思います







…なんて文章を書きたいと強烈に想い恋焦がれて来ましたが、未だになんの目処もありません

退職する人が出るたびに「折角だから失業保険がもらえる間くらい休めばいいじゃん」と言い続けてきましたが、それがいかに心無いセリフだったか、身に染みています


今日は認定日でした

ハローワークに失業状態を報告する日です

いつも書類を出して、次の日にちを言われるだけのルーチンワークなのですが、今回初めてカウンターに呼ばれました

来月で支給限度の240日を越えるので、失業保険が打ち切られること

ただし、私の場合は会社都合退職かつ年寄りなのでさらに60日の追加支給があるということ

そして、形式的に就職活動の現状について聞き取りがありました

私の場合は、数社のエージェントに登録して、斡旋された仕事には積極的に応募しています、終わり…でした

担当官の腫れ物を触るような扱いが、無性に切なかったです


夕べ2つメールがありました

ひとつはバイトの斡旋

組込下位層のプログラマで、短期です

得意分野ではありませんが、やれないことはないのでお願いしておきました

値段を自己申告してくれと言われたので凄く安売りしたつもりなんですが、どう思われるか

さすがに失業保険よりはもらわないと割が合わないから


もうひとつは新しいエージェント

外資、外国での仕事専門のところです

国外にいるらしくSkypeで面接しましょうということになりました



さて


星座編第二弾のフラゲするかな

ここにきてがたがたっと書類選考で落とされたので、ばたばたしています

いくつか新たにコンサルに登録したのですが、1営業日越えて反応は一件のみ

それも「検討しました結果当社では貴方に紹介できる案件は未来永劫ありません」の一文のみ

これはもう、本当に神経に堪えます

俺のなに見たんだおまえは歳か歳だろうああおれは年寄りだもう使い物にならんわ年寄り死ねってかおいこらでてこいしょうぶしてやるぞこのやろう


失業後半年を越えたというのもインパクトですが、4月でさらにひとつ歳をとるのがきついです

ためしに年齢偽装して登録してみたらどうなんだろうか…とか誘惑に駆られたりしますが、それでもダメならもうなんの救いもなくなるのでやめておきます


もう、人に雇われる歳じゃないってことなんでしょうかね

そういわれると納得できないこともありません

こども喫茶2.0やっちゃおうかな


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「うちの子、頭はいいはずなのに勉強が出来ない」

ということはありませんか?


学校の勉強に面白さ、やりがいはありますか?

本当に頭がいい子は意味のわからないことはやりません

いい点数を取ること、いい学校に進学すること、将来のため…そんなことをモチベーションにできるのは、単純で簡単な子供だけだとおもいませんか?


プログラミングは、算数と英文法でコンピュータ上に結果を出させる実験です

子供は計算の意味、命令の意味、理論的思考の意味を、具体的な結果としてすぐに見ることができます

当教室で最初に扱うLOGOは、教育理論の大家ピアジェの一派が開発に携わった、児童教育のために開発された言語です

まず最初にお子さんに勉強する意味を知ってもらいましょう


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「うちの子はゲームばっかり。この努力を勉強に回してくれたら」

とおもっていませんか?」


ゲームは麻薬です

私が子供の頃はまだファミコンさえありませんでした

もし、私が小学校の頃にファミコンを与えられていたら、今の自分はなかったでしょう


なぜわかるかというと、私はゲームが大好きだからです

いろんなゲームにはまりました

膨大な時間を費やしました

私がゲームで人生を破滅させなかった理由はただひとつ、私がゲームと出会ったときには既に大人だった、ということだけだったと思っています


小学生のうちからゲーム機を一台渡されて育った子供が社会人になってどうなるか、私は恐ろしいとおもっています

自分の子供にはゲーム機を渡していません

タバコや、お酒や、麻薬をやらせないのと同じ理由です


プログラミングは、算数と英文法でコンピュータ上に結果を出させる実験です

子供は計算の意味、命令の意味、理論的思考の意味を、具体的な結果としてすぐに見ることができます

当教室で最初に扱うLOGOは、教育理論の大家ピアジェの一派が開発に携わった、児童教育のために開発された言語です

ゲームがどういう仕組みで出来ているのか知りたい、自分のゲームを作りたい、お子さんのゲーム好きをそんなエネルギーに変えみるのはどうでしょうか?


当教室ではたくさんのゲームがあります

遊ぶゲームではありません、作るゲームです


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2月になったので、残件の棚卸をすることにしました

宙ぶらりんのエージェントに催促のメールを出したってだけです


速攻でリプライがキタのは意外に外資系のところ

年末に書類送ったっきり音沙汰なしだったのですっかり諦めていたので、ちょっとしたサプライズでした

まぁ、内容は”確認してみるねー”だけだけ、脊髄反射の回答でしたが


金曜日の夕方、あるエージェントから書類選考落選の知らせがありました

理由は特になし、他の人にしましたとのこと

エージェントからの持込案件だったので、安牌だと思っていました

正直ショックでした


土曜日、大手エージェントから回答が来ました

面接にいった京都の会社は結局不採用ということでした

これはもう想定の範囲内

もののついでに、書類選考中の案件が全てアウトという連絡も付け加えられていました

どちらも年齢がネックだということでした

歳ばっかりはどうしようもありません

あってもらえれば、40前に見せる自信あるんですがね


現在、知り合い経由で中国の会社が一件

エージェント経由で書類選考中が2件

新規に登録したエージェントが数件あるので、来週中に1つくらいは面談できるかな…というかんじ


さすがに心が折れかかってきています

歳言われるのがキツイ

自営に…逃げちゃおうかな…


そういえば、12宮ツアー当選しちゃいました

外れてたらバイトさせてもらおうか、本気で考えてたんですが


小説や漫画には基本文法があります

お約束、暗黙の了解、書かなくても理解してくれるという前提で省略されている部分です

最近の漫画、小説はまたそこらへんがやたらと多く感じます

対象年齢から外れてしまったばっかりに、気が付いたら読めるものがずいぶん少なくなってしまいました

まったくもって最近のモノカキはけしからん…とおもったら、昔の作品だって同じだと気が付きました


こぞうに本を読ませるときに、最初に思いついたのは星新一でした

何本か読み聞かせましたが、ぶっちゃけうまくはまりませんでした

読んでいて、理由もわかりました

発明とか、ロボットとか、宇宙船とか、博士とかいうシチュエーションが今の子供に馴染まないのです

こぞうは結構浮世離れしているほうですが、それでもいきなり何の前振りもなしに「宇宙人がやってきた」といわれてイメージが作れないのです

それが証拠にタイトルそのもので悪魔が望みを叶える話”悪魔”はがっつり喰いついて来ました


筒井康隆の「笑うな!」という作品があります

タイムマシンを作った、というフレーズが可笑しくて笑いが止まらなくなる話

当時、「タイムマシン」「タイムパラドックス」という言葉は巷に氾濫し、陳腐化していました

「笑うな!」はそんな風潮を痛烈に皮肉った作品でした

私は大好きでした

しかし、この作品も時代背景があってこそのもの、今の若い人が読んだとして、ただただ笑っているばかりの小説、なんのことやらさっぱりわからないのでしょう

いや、「笑うな!」は明らかに時代を意識して書いた作品ですから、この評価はむしろ狙ったとおりなのかもしれません

普遍性を求めて書いたはずなのに、時代の変化とともに普遍性を失って、価値を失ってしまった作品達とは別物でしょう


そう考えると、数百年読み継がれている作品の物凄さを思わざるを得ません

私がわかる範囲ではラヴクラフトやトールキンがそれです

語れるほど詳しくないんですが、シェークスピアとか聖書とかはすごいんでしょうね

桁がひとつ二つ違いますが、岡田淳はその普遍性を持っていると思うのです

子供を対象とする場合、事前の知識が期待できないので、当たり前のことを丁寧に積み重ねていかなければなりません

難しいところではありますが、普遍性のある文章にするにはよい縛りだと思っています


私が漫画やシナリオを書いていた頃、作品は”プロ”か”アマチュア”かで全く異なるものでした

他人が読むものはプロ、身内しか読めないものがアマチュアという明確な区分ができていました

メディアが発達していなかったので、単純な二元論で事足りたのです

インターネットなんてなかったですし、ミニコミ、同人誌は膨大な資金が必要だった上に販売数も桁が違っていましたから、不特定多数の人に見せようと思ったら商業誌しか選択肢がなかったのです


「他人に読ませる作品」でなければ書く意味がないというのが私の主張でしたから(本当は「読んでもらう」なんですが、若かったので)プロ志向でした

しかし一方「他人に媚びる作品」を書くのは否定していました

根源的な矛盾を抱えていたわけで、まぁ、実際プロとしての作品はただの一本も作れなかったわけです


今、ものを書く”スタンス”はプロとアマチュアの間にもうひとつの存在が出来ているとおもっています

プロはそれを商品として売るために、エンターテイメントでなければなりません(これは私には無理です)

アマチュアは読者を否定する権利があります(これも無理、というか意味がありません)

その中間、読者の存在を意識しつつ、自分の主張を載せられる作品というのが生存権を得たのかな、と思っています

第三の作品はインターネット上に配置することで理論上誰でも閲覧することができます

収益性を放棄していますから”受ける”ためになにかを犠牲にする必要はありません

でも、読む側には”読まない権利”がありますから、読ませるためにはなんらかの魅力は必要です

「読みたい人だけ読めばいいんじゃね?でも読んだ人にはいいことあるよ」的な作品です


ああ、またちょっと書きたくなってきたかな

学生時代の友人が最近書いたというショートショートを見せてくれました

どういうスタンスで書き続けているのかわからないので作品自体のコメントは差し控えさせてもらいますが、とりま40過ぎてまだ書き続けているということを賞賛せざるを得ません

昔から、正統派のSF志向の人だったのですが、そのスタンスは時代にさらされても何一つ揺るいでいないようでした


こぞうになにか本を読ませようと思って、あれこれ調べたことがあります

そこで私は時代の変化を感じました


私の読書遍歴は時代柄SFからはじまりました

小学校に休学したころの愛読書は少年少女SFシリーズでした

アシモフ、ハミルトンとか作者名など知りませんでしたが、我はロボットとかキャプテンフューチャーとか、とにかく読み漁っていました

そういえばキャプテンフューチャーの邦題が「たたかうふーちゃーめん」で、主人公のキャプテンフューチャーは中国人だと思っていました

火星人襲来、遊星から来た物体Xとか、幼年期の終わり、人間以上、銀河帝国の興亡など、今考えるとえらく濃いラインナップが、同じ背表紙でずらりと並んでいました

子供向けにリライト去れていたとはいえ、すごい時代でした


小学校高学年には日本人作品にシフトしていました

時代は横溝正史全盛時代でした

金田一耕介シリーズや江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズも勿論読みましたが、SFの方が好きでした

きっかけは定番の星新一でした

小松左京、平井和正も好きでしたが、飛びぬけて一番好きだったのは筒井康隆でした


この頃はショートショートを書くのが日課でした

面白い文章を読むのが、凄く悔しかったのです

消費者になりきれない体質は産まれついてのことでした

そこそこ長くまとまった作品しか残っていないのですが、今読んだらどんなものだったんでしょうか


ティーンエイジャーの頃、トレンドはサイエンスフィクションからファンタジーにシフトしはじめていましたが、私は違和感を感じ続けていました

当時まだ日本語版がなかったダンジョンアンドドラゴンズにめぐり合ったのは偶然でした

そこで受けたファンタジー世界のイメージがあまりに強烈で、日本語化された二次生産物の貧困さが鼻に付いたのです

そういう自分も指輪物語やナルニアの原書から入ったわけではなく、二次産物のTRPGから入った邪道者だったんですが

それでも自分が本格派だと思い込んでいた私は、グインサーガやロードス島戦記を否定し続けてきました

ドラゴンランスでさえ


さて今、図書館に行くと私の読んでいた少年少女SFシリーズは見当たりません

そこを補完するのはゾロリと怪談レストランなのかな

おっさん的にはちょっと寂しい感じがします


でも、廃棄を免れた子供向けSFを読み返してみると、残念ながらこぞうに伝えたいメッセージ性は感じることができません

私が子供の頃「科学は万能ではない」というのが少年少女の標語でした

つまり、大抵の大人は「科学は万能」「科学でわからないことはない」「人類は何でも知っている」と思っていました

SFは、ある意味まっすぐ引かれたレールのちょっと先を見せてくれていました

今の世界は老成してしまったのかもしれません

驕りを棄てたのは一見いいことのように思えますが、こどもに与える夢が探しづらいのは困ったものです


んで、自分は今書くならこどもに夢を与えられるようなものがいい、と思っているのです

Sくんは思う?

こぞうがインフルエンザで学校を休みました

学校以外ほぼ体のどこかがくっついている状態の私にうつらないわけがありません

きっちりうつされました


寄りにもよって久しぶりにエージェントと面談がある日です

午前中一杯寒気と戦いながらうつうつ悩み続けました

実際、風邪ごときで転職活動を休める状況ではないので、完全武装して出かけました


会社行って、話をしてて、なんかおかしいなぁと思ったら、エージェントじゃなくてフリーエンジニアと契約して仕事させる会社でした

金融関係だったんで、無理して場を作る意味ないと思って10分で中座して帰ってきました

冷や汗っていうのを久しぶりにかきました

定期的に来る泣き言コーナーです


年明け早々に自分で応募した案件は軒並み落ちた

早いと即日、遅くても2,3日でお断りメールが帰ってくる

これはもう落とされて当たり前、気にしてない

そのうち一軒だけ忘れてたのが今日帰ってきた

熟考の結果残念ながら…ということ

かなり条件が違うんだけど、ちょっと楽しそうだったので出した案件

忘れてたんだけど、なんか悔しい


年末に外資系のエージェントから来たオファーの回答…これはまぁ諦めてる、多分ない

中国の元部下が会社に掛け合ってくれた件…仕事は面白そうだし、信用してくれる部下がいたというのは嬉しい…が、現実問題、元立てで給料もらうのは多分苦しいだろう

年明けに日本の大手ヘッドハンターから来たオファー、これはなんとかものにしたいんだけど…回答が来ない


こいつらが全部ダメならもうなにも残ってない

アウト

毎日なにもすることがない

朝、一日のスケジュールをこぞうの前で宣言させられる

今日はゴミ棄てと暖炉の散歩、以上

M属性総動員しても足りないくらい、辛い

30分に一回メールチェック

連絡来ない

時間があるんだから好きなことやればいい

TOIECの勉強

ゲームのプログラミング

いいおっさんのすることじゃない

掃除と洗い物は全部やってる

それでも暇

ジャンプ買ったけど読めない、罪悪感で

バトスピのデッキ構築もやりつくした

しんどい

ボスケテ

町田、コミュニケーションの教室の見学に行って来ました

こぞうが薦められた教室です


こぞうはIQテストの結果、FD(注意記憶)が弱い傾向があると指摘されました

ひらめきの能力に短期記憶が付いていけないので、興味をもったことに気をとられやすいのだそうです

医師の診断を受けたわけではありませんが、アスペルガー症候群のある種の典型ということらしいです

数字的にいえば、特別な教育を受ける資格は十分あるということでした


集中力のない子がみんなFDに問題があるわけではありません

IQに偏りがあるからといって必ず集中力がなくなるわけでもありません

ただ、こぞうは相当の努力を訓練がなければ集中力に問題が出てしまう気質を持っているということが数字で証明されてしまったわけです

何らか特別な教育をしなければならないのは漠然と理解できましたが、教育センターが薦める”コミュニケーションの教室”というところがそれに適しているのかは、まだわかりません

お友達で、まさにその教室に通っているお母さんは


「自分の子供がこんなところからやり直さなければならないのかと思うと涙が出た」


と言ってたそうです


それじゃあ自発的に偵察にいったのかというとさにあらず

ひめの提案でした

暇なんでしょ?行ってきたら…といわれると、断る理由がありません

パンフレットの電話番号に電話すると、用件を聞く前に見学ですか?といわれました

金曜日に電話して、月曜日の授業の見学、それから相談の時間もとってもらえることになりました


教室は通常の小学校に間借りする形になっています

教育相談は廃校になった小学校を使っていましたし、子供の減少は目に見えて進んでいます

教室が足りなくてプレハブ校舎を使っていた私が子供の頃とはまったく様変わりしています


職員室がみつからずにうろうろしていたら、先生が見つけてくれて、授業中の教室に案内されました

普通の教室を1/3くらいの大きさに仕切った狭い教室に机が5つ並んでいます

本来は5人教室だということですが、今日は休みが重なって2人だけでした

そこに先生が2人ついています

小学校2,3年生。こぞうよりやや小さく見えます

みんなですごろくを作っていました

さいの目を振って、止まったところでやる罰ゲームを決めています

黒板には注意書きが貼ってあります


「人がいやがること、時間がかかることは書かない」


ああ、こういうことをするんだな…


これはやりすぎ、これはやらなすぎ、ここはバランスをとって…のようなやり取りをしながらマス目を埋めた後は、完成したすごろくで遊ぶことになりました

ここでも約束事が指示されます


「順番を守る」

「負けても怒らない」


自分のコマを選ぶところから始めます

どう自己主張して、どう相談するか、そういうところを先生が注意深く進めているのがよくわかりました

好きなコマが重ならなかったので揉め事は起こりませんでした

4つあわせた机の上にすごろくを乗せ、少し離れたところに椅子を並べて座りました

順番になった人だけが前に出てさいころを振り、コマを進め、止まったマスの命令に従います


順番を守る、ルールを守るというところから、ゲームを楽しむためにへそを曲げたり、ずるをしたり、ルール違反をしたりしないように先生がうまくコントロールします


先生はわざと問題を間違えます

子供たちは答えがわかっています

ここでこどもが答えを言っちゃったらゲームとして失敗です

答えが言いたい子供たちに我慢させて、ヒントを出させます


2人のうちの1人はまさにこぞうと同じ空気を持った子です

テンションが高くで落ち着かない、関係のないことを大声でしゃべる、意地悪

もう一人の子は逆におとなしいんですが、中間をすっ飛ばして行動しちゃうタイプの子のようです

どちらもそれなりに手がかかる子なのでしょうが”致命的な問題があって特別な教育が必要な”子には見えませんでした


一喜一憂しながら、それでも大過なくゲームは終わらせることができました

幸い、誰も泣いたり怒ったりすることはありませんでした


おそらく、すごくつまらないことです

普通の子なら幼稚園で覚えるようなことです

彼らは学校の授業を一日休んでこれをやっています

普通の子は難しくなっている漢字や、算数の掛け算割り算勉強している時間

塾に行って先のことを勉強している子も中にはいるでしょう

そんな貴重な時間を割いて、この子たちは、順番の守り方を教わるのです


普通の子にとっては、とんでもない時間の浪費なのでしょう

そんなこと言って聞かせればわかることでしょう

甘やかされて育っただけ、我慢が足りないだけなのでしょう

でも、私は「ああ、これが今こぞうに一番必要な教育なんだろうな」と、目から鱗が落ちる思いでいました


この教室で教わっていること、ルールを守る、加減を知る、人と仲良くするということは、普通の小学校ではもう教えてくれません

落ち着きがない子のレッテルを貼られて、放置されるだけです

大変遺憾ながら、今こぞうがここに入ったらまともに進行させるのは難しいと思います

おそらくは妥当な罰ゲームを考えるのにひどい時間がかかるでしょうし、順番を守らせるのも、罰ゲームをやらせるのも、一筋縄ではいかないと思われます

勉強はそれなりに遅れるでしょう

でも、正直こぞうは頭がいいので、一日二日学校サボっても漢字も掛け算も割り算もで躓くことはないと信じられます


先生の一人が交代してもらって、私と面談をしてもらいました

こぞうのこと、学校でのこと、教育センターでのこと、IQ試験のことを話しました

先生は、話を聞く限り、という前置きで、まさにこの教室がターゲットにしているタイプのようだといわれました

変に几帳面、未完成を恐れる、言葉尻に個室するといったこぞうの特徴はいちいち典型的なのだということです


コミュニケーションの教室は、十分な資質をもっていながら社会性に問題があるために力が発揮できていないこどものための教室ということです

学校を抜けても授業についていけるだけの学力があることは、教室に通うための条件の一つなのだそうです

コミュニケーションの勉強をしていたら勉強についていけなくなりました、では本末転倒なのです


応募の締め切りが終わったばかりで、次は6月応募、2学期からになってしまうということです

先生は仕切りにタイミングの悪さを残念がり、入学までにできることについて学校で、家でできることを教えてくれました

シンプルなルールを作ること

守れたときには褒めてあげること


ひめは子供の頃大変特殊な子で、周囲が相当苦労したようですが、同じような傾向を持っていたんだろうなぁと用意に想像がつきます

私は”異常に”IQが低い子だったそうです

自尊心を極限まで刺激する私の母の教育がたまたま合致して、うまくいっちゃった例なんだろうな


勉強になりました

うちの隣に住んでいる女の子

こぞうの一学年おねえさんです

学校で一番髪が長くて、色黒で、背が高くて、最近ちょいとぷっくりしてきたけど、えがおが可愛い女の子です


こぞうともーちゃんと裏のけいごの3人は仲良しです

仲良しといってみんなでべたべたラブラブではありません


もーちゃんは、しずかちゃんの皮をかぶったジャイアン

けいごは、ジャイアンの皮をかぶったのび太

こぞうはスネオの皮をかぶったスネオ


もーちゃんは暴君です

我が家でひめにたてつけるのはもーちゃんだけです


もーちゃんのうちは共働きなので、おかあさんが帰るまでうちでごろごろしていることがよくあります

今日もそうでした

数人のお友達と遊んでいたのですが、一人抜け、二人抜け、とうとうもーちゃんだけになりました

ひめはテレビの前のソファで寝ています

もーちゃんは退屈になってきました

こぞうとトランプをしていましたが、こぞうが飽きて逃げ出しました


「かくれんぼしよう。隠れて」


いや、一般の民家で、大の大人がそれは無理です


「かくれんぼするの!数えるからね!」


はい、隠れました

もーちゃんはすげえかわいいです

ほとんどうちのこです

世の中に使える人なんてそんなに居ない


フリーをやっているときの口癖でした

ミッションクリティカルな仕事を、周囲のサラリーマンさんより高いお金で請け負っていたときの感覚です

実際、机を並べている会社員プログラマーに誰一人負ける気がしませんでした

自分は使える人間だ、とプライドを持っていました

日本人が書いた技術書でまともなものにお目にかかったことがありません

せいぜい自分と同等、中には明らかに経験が偏っていたり、理解が浅かったりするものさえ珍しくありません


実力なんてあって当然


漫画を描いていました

たくさんの同好の士に会って、自分に決定的に欠けているものに気がつかされました

芝居をしていて、何人か凄い才能のある人とめくりあうことができました

こんな人が埋もれている世界で俺の居場所はないと思いました

プログラムでがんばってみましたが、私が一生考えても出てこないような発想を、息をするように出していく人たちを見ました

私が汗と涙を垂れ流して必死にならなければ理解できないような理屈を、小石を拾うように自分のものにするひと達をたくさん見ました

そんな凄い人たちが、全員理解されて評価される世界でないことを、知ってしまいました

自分にしかできないことがあるなんて、大それた考えを持つものではありません

世間には、凄い人がたくさん、あちらこちらに埋まっています


そしていまだに私は、この2つの相反する思想を同時に持ち続けています

なんなんだろう

未だに矛盾しないんです


ひとついえるかもしれないこと

出来ない人を理解するのは簡単です

自分の尺度の内側にあるからです

出来る人を理解するのは難しいです

というか、理論的には出来ないはずです

だってその人は自分を越えているんですから

まわりが出来ない奴ばっかりだとおもうなら、力が足りないのかもしれません

まわりが出来る人ばっかりだとおもうなら、恐れすぎているのかもしれませんよ