終戦記念日の前日14日、名古屋市南区見晴町の笠寺公園にある笠寺高射砲陣地跡を見学してきました。
名鉄笠寺駅で下車。東へ歩いて10分のところにあります。名古屋市周辺には三菱重工をはじめとする多くの軍需工場・造兵廠が存在していた。陸軍は敵爆撃機主力の進路を南東と想定し、それに合わせて照空隊陣地の配置や高射砲陣地の射線を想定したが、実際には琵琶湖経由や伊勢湾の西側を北上、西方から接近した。その理由は、高空を西に向かって流れるジェット気流を活用したからである。
名古屋には、高射砲第一連隊が、1942(昭和17)年9月に浜松から進出してきた。この時、防空第15連隊第2大隊によって、笠寺に陣地が構築された。笠寺陣地は大隊本部の敷地が広く、兵舎も多かった。陣地内には八八式七糎高射砲の砲座、その後ろに測高機・高速測定機の陣地、通信室などが設置され、その通信室の後ろには中隊事務所、兵舎が並んでた。さらに、兵舎の東側に通信班長掌握所、2m測高機・高速測定機の陣地が置かれ、さらに、その下に大隊本部事務所と将校宿舎、医務室、将校集会所があった。兵舎の西側は被服庫と弾薬庫があり、将校宿舎の北側に電波測定機タチⅢ号アンテナが設置されていた。(一部推定による)
公園の東側から丘の上に登って行った。
馬蹄形の道を北側に進むと、砲床の跡がありました(^^)
第1分隊の砲床跡と書籍では説明してました。
砲床跡の表には、高射砲の砲台跡の説明板がありました。
高射砲の前には砲側弾薬庫がありましたが、すでに弾薬庫は失われています。
八八式七糎高射砲を地上に脚を開いて据えるものだったそうです。
これは第6分隊の砲座跡。
土塁はすでになく、砲側弾薬庫のコンクリートのみが残されている。
砲側弾薬庫は、砲の正面と左右の合計3ヶ所ありました。
他にも遺構が残ってないか、砲座の西側にある見晴台考古資料館で訊いてみたら、前途した砲床と砲側弾薬庫のみだということでした。
公園の周囲を見て回ったが、高射砲陣地の遺構らしきものがなかったので、公園を出ました(^^;



