覚書その三 | 茶色い四角

茶色い四角

頭の中とか見たこととか色々と

覚書として書いたことの中身について、何か役に立つかはわからないけれども、少しここに記しておこうと思う。


先週の木曜日の夜、時間は正確には分からないけれども午後11時45分ごろだったかと思う。
二階の自室にいるとき、隣の部屋から母が父の名前をの叫んでいるのが聞こえ、なにかと思い様子を見に行くと、父が目を開けたまま大いびきをかいていて、名前を呼ばれても叩かれても起きなかった。

僕はすぐに119番へ通報した。電話に出た人の指示に従い、呼吸と脈を確認したが、自身が極度の緊張状態で体が震え、普段なら簡単に出来そうなことなのにとても難しく、呼吸も脈も、正直あるような無いような、自信の持てない感じだった。
そのことを電話で伝えると、では心臓マッサージをしてくれと言われた。説明はとても簡単で、胸を5cmほど沈めるのをトントントントントンで、というような感じだった。


心肺蘇生措置の講習を、運転免許を取る時に受けたことはあるけど、そのときに真面目にやっていたとは言えないから初めてやるのと同じだった。どこを押せばいいのか分からなかった。けれども、ふと、以前に、ここは心臓だから殴ってはいけないと言われた場所を思い出し、そこをマッサージし続けた。
その最中も、父の顔は真っ青で、目は開いたまま。いびきは止まり、胸を押すたびにウーっと口から声とも何とも言えない音がもれていた。
しばらくして救急車が到着し、隊員の人が入ってきたが、心臓マッサージはそのまま続けてくれと指示された。
その間にAEDと人工呼吸器が用意された。目の前で初めて電気ショックを受けるのを見た。
その電気ショックで終わりではなく、またすぐに心臓マッサージを再開したあと、また電気ショック、心臓マッサージを繰り返し、それから救急車へ運んだ。


救急車の中でも、電気ショックと心臓マッサージは続いた。隊員の人も必死だったのか色々何かやっていて、その間はまた僕が心臓マッサージをするよう指示された。
父の口から血と泡が滲み出てきていた。揺れる車の中で心臓マッサージをするのはとても難しく、そのうちに段々と息も切れてきた。


そうこうしているうちに、病院に到着した。さすが救急車、かなり早く着いたように思う。
中に運ばれて行ってからは、僕たち家族は待つのみ。時折乱れる電子音が聞こえていた。
その時からの時間の流れは、今までにないくらいに長く感じた。


ずっと危ない状態が続いて、一旦状態が安定してからも、医者から回復は厳しいと告げられたが、毎日ほんの少しづつ少しづつ良い兆しを見せ、月曜日には意識を回復、何かしら残ると覚悟していた後遺症も無く、今は検査と観察を続けている。


いつ、誰が同じようなことになるかわからない。それに他にも色んな病気の他にも事故なんかもあり、その全てに対処するなんて出来ない。でも、いざという時に動けるように常々構えて置くべきだと思う。それはとても難しいけれども。


今回、良くなったからここにこうして書いておこうという気になったが、もし最悪の結果になっていたらどうなっていたかと本当に想像も出来ない。
経験して分かったことがとても書ききれないほどに沢山あった。