ちょっとしたこと、些細なこと
例えば今日あったことは
エレベーターに乗っていたら、
私はボーっとして気が付かなかったようで
私が邪魔で降りれなかった人がいた。
ビックリするほどに降りぎわに暴言を吐かれた
降りれないって声をかけられたので
「あ、ごめんなさい」
とよけたら
降りてからも目をあわさないまでも振り返り振り返りしながら
「一階って言っただろうが!」
「だいたい、お前はエレベーター乗らんでよかろうが!」
「バカが!」
などと、聞こえよがしにぶつくさと色々言われた。
私は、ほぼ都会にきてからは明るいうちに酔っ払いでもない人間にこんなことを言われたのは初めてだったので
あんぐりとしてしまった
だが、今日言いたいことはこのことの文句ではない
私は最初はあまりの悪意にやられて一瞬はショックを受けた
けれど、
次には
「あの人はよっぽど何かあったか、不幸なんだろうなぁ…」と感じてあわれに思った
そして、
”他人の感情や言動に対して私には一切の責任がない”
“すべてはその人自身の問題である”
ということが、私は心の底から身体もすべてで理解できたんだなぁと感じた
また、催し物出演先でも
私ではないが私の連れに対して
周囲やお客の面前で、その会場の従業員が連れの落ち度に対して大声で感情的に叱責するという場面があった
たしかに連れに落ち度や言われる原因はあったと思う
にしても、
この方法はあまりにも陰湿であり、嫌いだという悪意以外にはないと感じた
今から歌ったり踊ったりする直前にだ
しかしながら、私の連れは見た目にそぐわずメンタルが強く鉄の心臓を持っているので
私も、連れがショックを受けていないだろう表情をみて
すぐにそのことは忘れた
もちろんね、
そこまで嫌われるには理由があって
そうなる気持ちもこの世の理としてよーーくわかる
連れのナチュラルな世間知らずで自由奔放な振舞いは嫌われて当然だろう
一般社会の在り方では通じないのを私はよく知っている
しかしながら、
だとしても、
感情を悪意をもってぶつける理由にはならない。
威嚇だったり、嫌がらせだったり、
まぁ… もう来るな!というメッセージだろう
今日に2回もこんな場面を経験して思うのは、
私はずいぶんと他人の感情に影響を受けないことができるようになったなぁ
という、嬉しい確認だ。
前はね
どんな他者の感情や言動にも責任を感じすぎていたように思う
とても生きづらかった
家族の問題でも、全てが自分の責任かのように感じて完璧にしてあげられない自分に罪悪感をすら感じていた
全くお門違いの不必要な責任だったなぁ
私は、究極的には私を幸せにする以外には何の責任もないということ
言葉のコミュニケーション
どんなに一生懸命になろうが、
目が覚めていない人間には、今となっては生きているフィールドが違うから何一つとして私の想いや感覚は一切伝わらない
ということがよくわかる。
いや、目が覚めていたとしても他者とは何ひとつも共有できないのではないだろうか?
最近はつくづくとそんなふうに感じる
言葉は意味がない
できるとしたら、やはり歌によって
その人の魂を直接にゆさぶることだけだろう
最近はそんなふうに思う
私は前は言葉を真に受けて生きていたし、相手からの言葉を信じなければ生きていられなかった
そういうトラウマがあった
それはほんの7〜8年前のことなのに。
最近、ほんの一年前には言葉でのコミュニケーションがとれていると感じていた友人や知人と話をすると違和感を感じるようになった
全くもって私の意図や話の内容は伝わっていないように感じる
なんだか会話って無駄だなぁ
そんなふうに感じるようになってきた
10年前には自分の感情を感じられず、
言葉にするなんてできなかったが、
7〜8年間かけて感情を言語化してアサーティブに伝えられるようにと必死に学んできた結果
言葉ではほとんど何も伝えられないと知るなんてね
みんな人は、自分の知識や経験からの認識の世界だけで生きている
昔は
自分の感情や気持ちを他者に伝えようなどとしたことがなかったから気がつくはずもないこと
なにはともあれ
他者の言動に動じず傷つかないから断然に生きやすくなった
しかし、さみしいものだ
究極的には1人なんだと実感するのだから
私の目が覚めてからと
目が覚める前と
実は現実に起きていることや環境などはほとんど大差がないように思う
私自身の受け止めかたが変わったことにより
世界が前とは違うようにみえたり、他者からの対応も良いふうに変化が見られたり、
自分が変わったら世界が変わったというだけだなぁと思う
そんなに幸せか?というと
客観的にみれば一般的な基準からすれば私は特に幸せそうにはみえないだろう
価値観によっては、あわれまれても不思議はない現状だ
もちろん、今日も他人に八つ当たりされたり、みたくもないような辛い場面をみたり
普通の人間なので、私の人生も相変わらず過酷だし、生きるのは大変だ
だけど
ただ生きているだけで私はなんとなくちょっと幸せ寄りでいつもいる
前と違って私は恐れが少なくなった
それも原因かなぁと思う
まぁ死ぬ時は死ぬし、それは直前はもちろん怖いけど
でも
やっと天にかえれると思えばホッとするような感じもする
この世で社会や他人と関わって生きていくのは面倒くさいなぁと少し思う
私が心から欲している
人との心からのつながりは
おそらくは瞬間的なものしかないだろう
男と女も
けして芯から理解し合うことは不可能だろう
私はただただ
魂の乗り物となり、仰せつかるままに
起きてくる出来事を受けいれていくのみ
最近はつくづくとそう感じる