1/18木曜は午後から勤務。この日と翌19日は資料を基にでカテゴリーの違う人に話す日だった。

 

 木曜の朝に新聞を取りに行った際、一枚のはがきがあった。差出人を見て誰?と思った。昨年三月に母が亡くなりました・・とあった。昔お世話になった先輩の奥さんが亡くなられたことを知らせる息子さんからだった。

 先輩が亡くなった知らせを受けて七回忌までお供えを送った。その時にお礼の電話を奥さんから受けた。その後10年間は年賀状だけのやり取りがあった。

 

 20代前半の頃、渓流釣りの帰りにご自宅にお邪魔したことがあった。その時にお会いしたきり。知らせをくれた息子さんもあの頃は小学生だったように思う。

 

 年賀状終いしますという一文が多くなってきた昨今。寒中見舞いとして子供が代わって出しているという現実。年賀状のあり方を考えるきっかけかもしれない。

 

 昔、写真屋でもらったアルバムにDD51のプリントがあった。FUJICOLLAR 85とあった。1985年のプリントは稲沢機関区から回送されてきたDD51 592号機。奥には廃車解体で送り込まれたキハ20やキハ35も写る。昼休みに撮った原色の592号機最後の姿。あの頃を思い返すと、先輩と一緒に仕事していた現場時代が懐かしい。

 

 

1985-