12/2土曜は休み。昨日から左後頭部と首が痛い。

 

 昨日は不意に餘部画像を思い出した。あの時から遡ること27年前、1979年の冬に同級生と二人で餘部に行った。宿泊は今は無い餘部YHだった。あの時のネガは行方不明。記憶にあるのは鉄橋下の日本海は荒れていて、海底の石が波に転がされてぶつかる音が雷鳴のようだったこと。波が立つというのを初めて見た。餘部YHの夕食はカニすき風の鍋だったと記憶する。

追記すると、餘部駅から餘部YHへの道中に店があって、そこでファンタオレンジの1L瓶を買った。この瓶入りのファンタは飲み終えたら瓶を返すと30円返してもらえたと記憶する。重くて大変だった。

 

 高校卒業後、友人たちと持ち回りで家に行って泊まって飲み会をしていた。ある時、私の家で飲み会があり餘部へ一緒に行った同級生が「傘立てにでも使って」とDML61のピストンを下げてきた。初めて目にした大きなアルミ製のピストンはしばらく私の部屋に置いてあった。置物にするには殺風景すぎた。部屋の片隅にグレーの円筒があったけど、いつの間にか親に捨てられてしまった様だ。

 

 ピストンを下げてきてくれた同級生とは30年以上会ってなく、年賀状だけの付き合いになってしまっている。

 

 餘部鉄橋で寝台特急出雲➡少年時代の餘部訪問➡DML61のピストン➡DD51と言う連想で記してみた。

 

 大建屋の時計は12時半に近い。きっと昼休みだったんだろう。画像に写る西の50tと呼んだ天井クレーンも、入場車のDD51も遠い昔のことになってしまった。

1986-1-10