テレビ番組で、阪神・淡路大震災から20年経つことにちなんだ番組が放送されていました。じっくりとは観れませんでしたが、「そんなに経つんだなぁ」としみじみ感じました。
当方は「震災」と聞くと、生で体験した「阪神・淡路大震災」を真っ先に思い出します。
詳しくは書きませんが、被災地の友人宅に救援物資を届けに行った時に見た、非現実的な光景や匂いは今でも忘れません。

鉄道に絡めて思い出すと、東海道本線が不通なため、加古川線や播但線が迂回ルートとして活用されました。播但線では、本来の職を失った智頭急行の特急型車輌が臨時快速として運転されていました。デリケートな車輌を不慣れな運転士が扱ったので不具合が多発したと後に耳にしましたが、本当なのか単なる噂なのか分かりません。播但線を智頭急行の車輌が走るのはレアで鉄道ファン的には魅力的ですが、地域全体が非常事態の中では、とても撮りに行く気にはなれませんでした。

とは言っても、播但線~福知山線経由の「あかつき号」が設定されると、後ろめたさを感じつつ2回撮りに行きました。

1995.2.5 川西池田~中山寺

1995.3.19 山崎~高槻
播但線の生野隧道を通過する時は、かなりの速度制限が掛かったとか…。

ついでに…

同じ日に撮った113系。東京口では“短い11輌編成”でも関西では長編成です。

同じく6630系。前パンのこれが来ると“当たり”でした。

当時主役だった車輌たちも、今では引退したり都落ちしたり、時は確実に流れていますね。そら記憶の風化も進むわけですね。