万字線跡 | キマロキさんのブログ

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 乗り物ネタを中心に、日々の出来事、旅で見たもの、出来事のブログです。

 今回は、万字線です。

 万字線(志文~万字炭山23.8km)は、大正3年11月11日に、北海道炭鉱汽船の万字坑の石炭を岩見沢へ運ぶ、万字軽便線として全線開業し、途中に上志文、美流渡、万字の各駅が、同日に開業しました。朝日駅は5年後の大正8年11月11日と、年は違えど、同じ日に開業です。また、万字炭山駅も当初は貨物駅として開業しましたが、大正13年9月1日に一般駅となっています。

 路線は、大正11年9月2日に国有化で万字線と改称され、沿線の10数ヶ所の炭鉱とともに沿線は発展してきましたが、昭和30~40年代のの石炭の斜陽化で、次々と炭鉱が閉山し、沿線の過疎化も進み、昭和53年5月1日に貨物営業廃止、昭和56年6月10日に国鉄第1次赤字廃止対象路線として廃止承認を申請、昭和60年4月1日に廃止され、バス転換されました。

 私は乗ることが無く廃止になってしまいまして、乗っていればある程度、廃線跡が把握できたのに…と思います。
 

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   万字駅を経由して、最初に訪れたのが、万字交通センターです。見た目が駅っぽく、この画像の左側にあたるところに、万字炭山駅の石碑と警報機があり、万字炭山駅かと思いましたが、万字駅との距離と高低差が合わないので、ここは違うと判明しました。
 

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 で、これが本来の万字炭山駅の駅舎です。万字駅前の通りを山のほうに進み、道なりにカーブして橋を渡ると、万字交通センターにでますが、橋を渡らず、まっすぐ下り坂の細い道を降りて、未舗装の道を道なりに進むとここに出ます。なお、この細い道は、冬季除雪されません。

 画像左方向が、志文方になります。払い下げられて、民家になったらしいのですが、人の気配がありません。

 建物の右1/3が当時の待合室でした。
 

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 前の画像の右側にホーム跡がありますが、晩年は駅舎の志文方のホームを使用していたようで、このホームがいつまで使われたかは不明です。有効長も短く、30m程度…といったとこでしょうか。

 

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 炭鉱の終着駅らしく、構内は広いです…のわりには、いろいろと調べてみると、構内に側線が無く、この奥にレールが続いていたようで、痕跡があるか見に行きたかったのですが、陽が傾きかけていたので、少し散策して断念…。でも痕跡は無かったですね。

 でも、地図で見ると、ここからほぼまっすぐ、山を越えると夕張です。計画はありませんでしたが、トンネル掘るなりして繋げば、室蘭へ運ぶルートも確立できますけど、難工事になりそうですね。

 実際に車で、山を越えましたが、結構大変でした。
 

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 駅舎の左側、志文方です。こちらにホームがありました。廃止間際の写真を見ると、駅舎から50mほど歩きます。最後まで使われたホームは、跡形もありません。

 

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 万字交通センターにある石碑の裏側です。日本国有鉄道経営再建促進特別措置法に基づいて…とあり、第1次赤字廃止対象路線と簡単に言ってましたが、こんなまわりくどい言い方してたんですね。

 

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 前の画像の左側に、万字炭山駅の石碑と警報機があります。警報機には保存のためなのか、カバーがかけられています。また、石碑の左には、ダルマ転轍機があります。
万字駅に続く。