40歳を過ぎて20代の時と変わってきたのは、自分らしく生きる、やりたくない事はできるだけやらない様にするという事が実践できる様になってきたこと。

 

付き合いたくない人とはなるたけ付き合わない、出たくない飲み会や会合にはなるべく出ない

また見栄がなくなってきているので、周りにどう思われようがそんなに気にもならなくなってきている

 

20代の時の様に不甲斐ない自分に悩んだり、無理に周りに合わせる様な努力しようとしたりしなくなった。

 

相手がどう思おうと自分が本当に嫌であればはっきり断る。上司の機嫌を損ねても筋が通っていれば丁寧に断る、等自分に以前に比べると自分に正直になってきている気がする。


自分でなぜかを考えてみると恐らく以下の3点が主要因だと思う。

 

①ある程度金融資産がたまってきており、そこまで一つの会社にこだわりが強くなくなっている事。


→転職はまた人間関係を築く等面倒も多いのでなるべく避けたいが、いざというときは転職しちゃおう、っというこころの余裕がある。


自分を偽り足元みられて金稼ぐ緊急性がそこまで強くないので、自分を出せる様になっているのかもしれない。一定程度資産がある事が気持ちの余裕に繋がっている。

 

②ある程度先が見えてきている。

なんだろう。40過ぎてよく考えると定年まで20年。FIRE目標年齢が50~55なのでがうまくいけば10~15年で退職だ。


すでに自分の能力や可能性もある程度見えている。もうどうあがこうがたかが知れている。給与が1000万だろうが1500万だろうがそこまで大きな違いじゃない。


こんな事言うと怒られそうだが、知れた昇給のために必要異常な労力を使うより、純粋に仕事に集中したい、という気持ちが強くなっている。


なるべく意味のある事だけして後は自分のために時間を使いたい。多分、これ人によるんだと思うけど・・・。

 

私の上司等60歳近くでもプライドの塊で、まだまだ承認欲求・上昇志向が強い。年収数千万あっても上昇志向・会社からの評価を上げる事には命懸けだ。


そのためには無駄な仕事でも残業でしっかり対応する。たぶん会社での評価が生きるモチベーションなのだろう。

 

私とは全くことなる価値観。私も会社から評価されるのはうれしいが、そのために自分の時間を犠牲にするのはメチャクチャいや。バランスはしっかりとりたい。

 

若いころは同窓会等に出ても自分がどれだけ頑張っているか、他の人たちがどういう仕事についているか、自分が周りからどう映るか等気にしていた気がするが。今は全然ない。


ただ単に学生の頃の仲良かった友達に会っていろいろ話たい。どんな仕事で収入がどうなどどうでも良い。むしろ幸せに生きているか、どんな人生を歩んでいるか単純に語り合いたい
 

サラリーマン人生の折り返し地点にきて、価値観が大きく変わっているのだろう。

 

③年をとって昔よりは経験値が上がっている。

年を取る事で嫌な事も良い事も経験してきたし、悪い人も良い人もいろいろ見てきた。


社会の動き、企業文化の違いや部署や部会の機能、上司や部下の立ち位置。できる事できない事。振る舞い方、対処法等無意識にいろいろ覚えてきている。


周りが以前よりは見える様になってきている。マウント取ってくるやつがいてもロジカルに返し、自分を不利な立場に置かない事も覚えた

 

よく周りの人の顔色ばかり過度に気にする人がいる。人間社会なのでそりゃ、誰だってある程度は顔色や周りの人の意見を気にする。


まったく気にしないのはサルと同じで、そりゃ物事も回らなくなる。自分だって仮面をかぶりながら最低限の事はやる。

 

だけど過度に周りを気にして自分の本意を犠牲にすべきじゃない。時には嫌われても断る事ができないのは“弱さ”だと思う。

 

良い言い方すると“良い人”。違う言い方すると自分の主張のできない“都合よく利用される人”。あくまで一番重要なのは自分がいかに幸せになるかという事


決して周りに合わせる事ではない。主張する時は主張し、必要であれば転職もする。要はバランスをとり、損な役回りを受けない様にすることだ。


そのためには資産形成、仕事面での能力向上、転職のためのマーケット価値向上いろいろなカードを準備しておくことだ。

 

決して上司や同僚の顔色を気にしすぎる様な立場に自分を追い込まない様にしたい。

いろいろ可能性を探りながら自分がより楽に生きられる環境を探す・作るのが長いサラリーマン生活では重要だ。

先週末はまさかの大雨大洪水。会社からの帰り道は車が動けなくなり、徒歩で地下鉄駅へ。

ずぶぬれになりました。良い経験・・・。