神経症的な人は人に好かれようと努力する。それなのに人の喜ばせ方を知らない。なぜ喜ばせ方を知らないかといえば、思いやりがないからである。心がないといってもいいかもしれない。
 心は眼に見えない。恋人が好きだといいながらも、恋人に食べさせる料理をつくるのに新鮮なものを遠くまで買いにいくことをしない。近くのスーパーやデパートの缶詰ですましてしまう。調理してしまえば材料は眼に見えない。
 しかしその材料が心を表しているのである。材料の選び方に心が表れる。時間をかけてわかる思いやりというものが神経症的な人にはない。神経症的な人はその場で相手に自分を売り込むことしか考えていない。
 他人からいやな人だと思われることを恐れながら、他人からいやな人と思われることをしてしまうことがある。たとえば言い訳である。しつこく言い訳するのは自分を認めてもらえないことを恐れているからである。しつこく言い訳すれば相手が迷惑するということが考えられない。
 神経症的な人はよく立派なふりをする。しかしその立派なふりが相手を苛立たせるということに気がついていない。神経症的な人が演じる理想の人は、どうして周囲の人から好感を得られないのだろうか。それは自分を売りこむための理想の人だからである。頭のいい女を売りこもうとしている女は愚かな女である。
 今、あなたが第一に知らなければならないことは、「嫌い!」といっても「嫌われない」ということである。いいたいことをいってごらんなさい、前よりも人はあなたに好意を持つようになるに違いない。 
何事も一生懸命やったら、あきらめがつく。

 やれるだけやったら、過去は捨てられる。そして、未来に向かってはばたける。

 「地上にいいものあるかなー」と思っていたら、鳥は大空をはばたけない。

 過去に執着する鬱の人は、やれるだけのことをやっていない。

 毎日演技をして生きていたら、人とふれあえない。だから、いつも後ろを振り向いて生きることになる。

 一生懸命生きるとは、演技でなく生きるということである。夢中で男を愛している女は、男の前で演技をしない。
 ふれあって生きていない人は、いつも演技をして、いつも後ろを振り向いている。演技をして生きている人の結末は孤独である。劇の幕が降りてお客さんがサーッと帰っていくように、何かあるとあなたの周りから人がサーッといなくなる。

 後ろを振り向かないためには、演技をやめてふれあうしかない。人とふれあえれば、前を向いて積極的になれる。





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