人格者はゆとりがあるという。
そのゆとりとは、時間のゆとりではない。
心の中の満足度である。
心が満足している人は、人におせっかいをしない。

「今日まで人生に満足して生きてきた」という積み重ねが人格である。
ただ社会的に偉くても、人格は備わらない。
人格者は、自分の生き方に自信がある。

神経が疲れて眠れないという。
それは、心が借金をしているからである。
肉体が疲れれば寝られる。
そして寝れば、疲れはとれる。
しかし、神経の疲れはそうはいかない。疲れれば眠れるどころか、むしろ寝つきは悪くなる。

地下鉄での出来事。
乗合せた女子高生の一群の会話。

 「めっちゃ怖い話し聞いた」
 「何?」
 「一人暮らしのうちのおばあちゃんに電話がかかてってきて出たら、『お母さん?オレオレ』って言ったんで、おばあちゃんが咄嗟に『ヨシカズか?』って聞いたら、『うん』って。
・・・でもね・・・・
 ヨシカズおじさんって去年、交通事故で死んでるの」
 
 「えぇ~!!怖いーーー!!!それで?」
 『・・・俺、事故起こて・・・・』って言うから、おばあちゃん泣いちゃって『もう、事故の事は気にしなくていいから、成仏して・・・・』
 って言ったんだって」
 
「うっわー、怖い~」
「せつないーーー」
「ほんとにあるんだねー、そんな話」







悩んでいる人はとにかく要求が多い。周囲の人に対する要求がもの凄い。だからいつも不満。
親はこれをしてくれなかった、友達はあれをしてくれなかった、先生はそれをしてくれなかったと、してくれないことを延々と訴える。
周囲の人がいかに酷いかを延々と訴える。そして自分だけは、その被害者になり、立派な人になる。

こういう気持で居るから、自分を愛してくれる人にも出会えい。
それだから愛されない。
それだから、
充実した日はいつになっても来ない。
あなたのすごい基準で判断されたら、幸せな日は来ない。

歯が直って幸せ。
そう思っている人に、人はほのぼのとしたものを感る。
充実しているとは、生きている、 鼻がつまっていないで、空気をすっている、口内炎ではなく、食べられる。
どこかうまくいけばそれを幸せと、ほかの人は思っている。

そういう気持ちでいるから、この自分を愛してくれる人にも出会える。
そういう気持ちだから、人から愛される。
愛される人は、そういう気持ちで生活している。
だからすごい基準の充実した日もいつか来る。

その不満な気持が分からないではない。
あなたは幼児的願望が満たされていないのだから。
でも「私は幼児的願望が満たされていない。でも『これとこれ』はある」と考えられないだろうか。

それに幼児的願望が完全に満たされている人などはいない。