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「僕は日本で生まれた。」
「僕は日本で生まれた。」

「僕は日本で生まれた在日韓国人だ。」

この映画で僕が強く惹きつけられたのは、在日韓国人がこんなにも日本人であることを自覚しているという事実だ。言い方が適切ではないかもしれないが、映画に出ていた在日韓国人は純日本人よりも、日本に対して大きな思い入れを持っている。ナショナリズムというと政治的になってしまうが、彼らは、日本人であることに誇りをもっており、常に外部に対して「わかるか?俺の言ってることわかるか?」と問いかけているのだ。

冒頭の場面、窪塚洋介がスクリーンの奥ですべての日本人をにらんでいる。その目はひどく挑戦的で、扇情的で、説得力がある。

僕はこの目にビビッてしまった。

そして、ひとつ、愛国心が必要なのかな、と思ってしまった。日本になんとなく生まれ、なんとなく育ち、なんとなく過ごしただけでは、何一つ日本に対しての思い入れも湧かないが、在日韓国人に「わかるか?」と問いかけられると、このままなんとなく日本で過ごすのがだめなような気がしてきたのだ。

高度経済成長期、日本はひたすら滅私であったと思う。私を殺して、公の利益、すなわち「便利」を求めた。おそらく、欧米に照準を合わせすぎたせいで、日本に対しての思い入れとか誇りとかが失われてしまったのだろう。ヨーロッパの町並みと日本のビル街を比較してみて欲しい。美しさが断然違う。これは、日本人が「日本」を意識して物事を展開しなかった証拠のようなものだ。

今、若い世代はいまいち自分の目標がつかめないでいる。それは、「いい大学に入っていい会社に入る」という従来の国民全体の流れがくずれ、すがるものが何もないからだと思う。それを思ったとき、ヨーロッパ人が自分の国に誇りを持つように、日本人が日本に対してもっと誇りを持ったらどうだろうと思う。「文化的な側面で、日本らしさを追求」することが今後のすがるものに変わればいいと思う。

インファナル・アフェア

「俺はあいにく警官だ」

ヤンが言うこのセリフが耳にこびりついて離れなかった。

 警官は善人の象徴だ。ヤンが潜入捜査官としてマフィアに潜り込んでもその色に染まらないのは、自分が善人だと強く思っているからだ。仏教の教えは知らないが、善人であると思うことで、自分をうまく支えられるのだろう。ラウが最終的に、マフィアのボスを裏切って警察側に寝返ったのもそのせいかもしれない。

 彼は「自分の道は自分で決める」と言っている。本当はマフィアなどになりたくなかったが、生きるために仕方なくなったような雰囲気が伺える。悪人より善人になり、成功を収めたかったと。

 しかし、運命は残酷で、悪人の中で生きた善人は悪人に殺され、善人の中で生きた悪人は悪人を殺して悲痛な叫びを上げている。どうやら、二人は無間地獄に堕ちてしまい、ひたすら苦しまなければならないらしい。

 なぜ、二人は地獄におちてしまったのだろう。二人とも善人になりたかったはずだ。善人になれば、極楽浄土にいけるはずじゃないのだろうか。
 
 完全無欠の善人でないと、そっちの世界には行けないのか。もしそうだとしたら、ひたすらに悲しいだろう。

 まぁ、ひたすらに悲しいが、その分だけにじみ出るような格好良さが二人にはある。ヤンとラウは同じ思いを持ちながらも、大きな流れに抗おうとする。それはひたすらに格好良い男の姿だ。そして、そういう男たちは、汚物と腐敗にまみれた湿っぽい香港の裏路地が非常に良く似合う。

 僕は、無間地獄に生きるこの二人の姿に妙に魅きつけられる。うまく生きるている人よりも、こういう人のほうが好きだな。