みなさまこんにちは。

たけしからバトンをもらいました、slowjazzのコマ責をやらせていただいております、あきやまなつみと申します。


えっと、私は習い事や部活を含めると3歳の頃から18年間ずっとなにかしら踊って生きてきました。他のスポーツは何もできません。球技はボールから逃げてしまいます。そして、とてつもなく早寝早起きです。だいたい寝る時間は日付をまたぎません。朝起きるとLINEの通知が少なくとも40件は溜まってます。大切なLINEは早めにお願いします。

これは表向きの自己紹介。
もっと分かりやすい自己紹介すると、

いつも騒がしくて、声が低くて、割といつもガム噛んでて、挙げ句の果てにがに股で歩くので、ぜんぜん清楚じゃなくて、slowjazzの人っぽくないです。あんまり。たぶん。

話しかけてもらえたらとても幸いです。


えっと、コマ責ブログ書く側になるなんて思いもしなくて、そんな素晴らしい人生送ってきてないですし、他のコマ責の方みたいにありがたいお話もできないし、何を書くか非常に困りました。

日本語にすることを目標に頑張ります。


お時間のある方は。

では。



このブログを読んでくださっている方の中には、コマ責の人もいればコマ生の人もいると思います。当たり前ですね。

でも、それはなぜですか。

なぜA子ちゃんはコマ責をやってて、Bくんはコマ生をやってるんですか?

コマ責になる人はコマ責をやる理由とか、わりと考えることだと思います。

だけど、コマ生をやる理由を考えたことがありますか?

意外とちゃんと考えたことがある人ってそんなに多くないんじゃないかなぁと思います。

少なくとも昔の私は“コマ生を務める”という感覚はあまり持ってませんでした。ごめんなさい。

そもそも、コマ責とコマ生の違いってなんなんでしょうかね。


コマ責は振りを作って、コマで何するか決めて、前で手ぱんぱん叩いてみんなのこと見てます。

コマ生はコマに出席して、振りを入れられて、踊ります。




私は今でこそslowjazzのコマ責をやらせて頂いていますが、初めてslowjazzをとったのは1年生の矢上です。そして色んな人にびっくりされますが、1年の三田祭ではslowjazzに出ていません。だから、私は三田祭においてslowjazzを踊るのは2回目です。

三田祭に出るのが2回目のジャンルでコマ責をやらせてもらっている。

とてつもなくありがたいことです。

コマ責について考えるということは必然的にコマについて考えることとつながってくると思います。

おそらくより多くの方がコマ責について考え始めるのは初めて自分の代がコマ責を務めるイベントである矢上祭だと思いますが、私は2年生になってからslowjazzを始めたようなものなので、昨年の矢上祭のコマ責を決める時には、オールジャンルを除いて2回しかslowjazzerとして舞台に立った経験はありませんでした。

だから、私は矢上祭のコマ責には当たり前のように立候補せず、その後の全てのイベントでslowjazzのコマ責をするつもりは、その時は、まったくと言っていいほどありませんでした。

矢上祭で私がコマ生になった理由は
コマ責をやらなかったから
という理由です。

その当時、私は他の10期slowjazzerよりもslowjazzを始めたのが遅い、ということに対してとても負い目を感じていたのでコマ責を辞退しました。ですが、今から思うと始めたのが遅いことを理由にコマにおける自分自身の責任やコマへの関わり方、コマ責について、ひいては自分のesへの関わり方を考えることに背を向けて逃げていただけかなぁと思います。

情けないですね。


コマへの関わり方を考えるのは、ジャンルを始めてからの年月も関係ないし、先輩後輩も関係ないと思います。

私は自らのコマへの関わり方を考え直して、コマ責をやらせてもらいたいという結論に至りました。

自分のコマへの関わり方を考えてコマ責をやりたいと思う人は努力してコマ責をやらせてもらう。

自分のコマへの関わり方を考えてコマ生をやりたい、という結論に至った時にはコマ生をやる。

そういう順番がよいなぁと思うんですよね。

深く考えずに、コマ責はあの人やこの人がやってくれるだろう、という暗黙の了解の下、なんとなく自分はコマ責にならない。
だから、僕私はコマ生。

そういう思考の順番はあまりよろしくないと思うんです。昔の私みたいで。

コマ責であろうとコマ生であろうと関係なくコマのことについて考え、どうやったらコマに貢献できるのかということについて考えなければいけないのは変わらないと思います。

コマ責だけが一生懸命頑張ってて、コマ生が頑張らない。そんなコマは寂しいと思うし、あって欲しくないと思います。

今esっこの中にもコマをなんとなく受けてる人がぜろでは無いと思います。

コマ責とコマ生の立場関係なく、そして、先輩後輩関係なく、自分はどうやってコマに関わっていくべきなのかをひとりひとり考えて、今必要とされてることはなんなのか、自分が今するべきことはなんなのか、そういうことを考えてなにかひとつでも実践出来たら、それはもうとてつもなく素晴らしい環境になるのではないでしょうか。

その点でコマ責とコマ生に大きな違いはあまりないと思います。


たぶんよく言われていることだと思いますが、esは人が多いので、多分全員が全員がむしゃらに頑張らなくてもある程度はまわるとは思います。

なんとなく過ごしていてもきっと、誰かがまわしてくれます。

でも、それで本当によいんでしょうか、ということですね。

すごく雑なまとめをしてみると、
みんなもっと自分のコマのことについて考える時間を設けてみましょう

ていうかんじです。


すごく当たり前ですが、その年のそのイベントのそのジャンルのショーケースは当たり前ですが一つしか存在しません。

-est2016のslowjazzはこの世の中にひとつしか存在しないし、-est2016のbreakもlockもひとつしか存在しない。

そこにかける想いとか努力とかに、コマ責とコマ生の分け隔てはないはずです。

コマ責をやると決めたらやるし、コマ生をやると決めたらコマ生を最後までやりきる。


私も最後まで全力で頑張るのでみなさんも頑張りましょう!とはおこがましくて言えませんが


最後まで全力で頑張りましょう。

えすとです。


うーーーーーーん。
日本語が苦手です。
なかなか伝わりません。

もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。



お次はあまりお話させてもらったことはありませんが、お顔がとてもタイプです。
私もかわいく生まれたかったぁ。
かっこよくステップを踏んでらっしゃるあの方です!