しかし、ビワハヤヒデ、ウイニングチケットを同時に失った古馬戦線は、一気に寂寥を極めたのもまた事実だった。天皇賞・秋に続いて行
われたジャパンC(Gl)は、やはり5歳のセン馬マーベラスクラウンが制したものの、そのマーベラスクラウンまでが故障でリタイアすると、続く有馬記念で
は、クラシック戦線を勝ち抜いてきた4歳馬たちの挑戦を迎え撃つ古馬たちの陣容は、かなり手薄なものとなってしまった。
悪いことに、この年のクラシック戦線からは、1頭の歴史的名馬が出現していた。シンボリルドルフ以来の三冠馬ナリタブライアンである。三冠レースを圧勝
に次ぐ圧勝で制し続けたその強さは、日本競馬に新時代の訪れを告げるものだった。この怪物に互角に戦いを挑むことができる古馬がいたとしたら、それはビワ
ハヤヒデしかいない、というのが当時の人々の一致した見解だったが、そのビワハヤヒデはもういない。
もともと中距離に勝ち鞍が偏っていたネーハイシーザーは、実力自体とは別の次元で、本来ならば有馬記念で本命サイドに支持されるような存在ではなかっ
た。しかし、ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、そしてマーベラスクラウンまで欠いた古馬陣営で、ネーハイシーザーはその大将格とならざるを得ず、ナリタ
ブライアンに次ぐ2番人気に支持された。
しかし、単勝120円の圧倒的人気を集めたナリタブライアンに対し、ネーハイシーザーのオッズは1220円というものだった。2番人気といっても、これ
では打倒ナリタブライアンが現実の可能性として視界に入ってくるには遠すぎた。そして、その見方を裏付けるかのように、ネーハイシーザーは、そして古馬た
ちは、ナリタブライアン、そしてエリザベス女王杯を制した外国産牝馬のヒシアマゾンにひねられ、屈辱的な4歳馬のワンツーフィニッシュを許してしまったの
である。ナリタブライアンが栄光のゴールへ飛び込んだグランプリで、ネーハイシーザーは、距離適性に問題があったとはいえ、勝ち馬から1秒4遅れてゴール
するのがやっとだった。
天皇賞・秋の後、一度は有馬記念を最後に引退することが発表されたネーハイシーザーだったが、結局は翌年以降も現役を続けることになった。しかし、それ
からのネーハイシーザーの戦いは、強豪たちとのたび重なる死闘でボロボロになった自分の脚との戦いだった。95年もやはり中距離戦線を歩んだネーハイシー
ザーだったが、彼の走りにもはやかつてのような輝きはなかった。脚部不安との戦いで疲れ果てた闘志を再びふるいたたせようにも、倒すべきライバルの姿は既
にない。そして、迫り来る新時代の波に抗おうにも、ネーハイシーザーの脚はもうぼろぼろになっていた。
ネーハイシーザーは6歳春に3戦して大敗した後、自身も父の、そして宿敵の競走生命を奪った業病・屈腱炎に蝕まれて長期休養を余儀なくされた。96年に
入って7歳になったネーハイシーザーは、復帰2戦目の京阪杯(Glll)で3着に入って復活の兆しを見せたものの、その矢先にまたも屈腱炎を再発させたた
め、結局そのレースを最後に、現役を引退することになった。まるで天皇賞・秋で燃え尽きたかのような、寂しい競走生活の終わりだった。