他の牧場へと移っていったネーハイテスコの「大道牧場への置きみやげ」となったネーハイシーザーは、最初はあまり目立たない平凡な幼駒だったが、生まれて1年くらいたったころからは目に見えて馬っぷりがよくなってきた。大道牧場の人々は
「これは期待できるぞ」
と思い始めるようになった。馬主は母と同じ馬主に決まり、厩舎も栗東の名門布施正厩舎に入厩することが決まった。布施師といえば、1982年のダービーを
バンブーアトラス、89年の菊花賞をバンブービギン、そして90年の皐月賞をハクタイセイで制し、引退までに通算817勝をあげた名調教師であり、また多
くの調教師や騎手を育てたホースマンとしても知られている。
体質が弱いという難点があったものの、調教で非常にいい走りを見せるネーハイシーザーに対し、
「こいつは調教駆けするなあ」
といいながらも、布施師の視線は期待に満ちたものだった。
3歳の暮れに中京でデビューしたネーハイシーザーは、「調教の際のダートコースでの走りが素晴らしい」ということで、まずはダートのレースを中心に使わ
れた。4歳2月の通算4戦目までに早くも2勝をあげたため、ネーハイシーザーの行く手にはクラシック戦線も見えてきた。地味な血統のネーハイシーザーだっ
たが、その未来には無限の可能性が広がっていた。