伊福部昭の曲は中毒になる。聴き始めると一曲では済まなくなる。
映画音楽も多数作曲しており特撮映画や時代劇映画はかなり手掛けており、中でも有名なのは「ゴジラ」の音楽だろう。
初めて伊福部昭を意識したのはかなり以前にラジオのクラシック音楽番組で「交響譚詩」を耳にした時だった。
どこか懐かしいというか躍動感あふれるリズムが怪獣映画の音楽的だなぁと思ったのだった。気になったので資料を調べると特撮映画の音楽はほぼ伊福部昭だとその時知った。怪獣映画を観ていた幼少年期にバックに流れていた強烈な音形は、映画を離れて身体に染みついてしまっていたようだ。
バッハやベートーベンといった西洋音楽の流れとは明らかに異なる、土俗的ともいうべき強烈なリズムの反復はDNAに組み込まれている情熱を覚醒させるのだろうか。いつしか陶酔と興奮に包まれてしまう。
日本の作曲家が一頃、前衛的というか聴いていても面白くない曲をやたら作曲しているとき、伊福部自身はそれらを「アカデミズム」の一言で言い表したという。音楽は理論で創るべきではないという訳なのだろう。その対極ともいうべき曲を伊福部は創り続けていた。
極端に言うならば、それは洗練とは程遠い心の叫びが曲として噴出してくる様にも思える。
近年の「シン・ゴジラ」でも映画全体には鷲巣詩郎のエヴァンゲリオンの曲が流れていても、クライマックスの人間の反撃シーンには旧作の伊福部マーチが流れ、エンドタイトルは伊福部祭りだった。
人知を尽くし人が死をも恐れず立ち向かう様を鼓舞するシーンに伊福部マーチほど相応しいものはないだろう。とはいえ、そのオスティナート(繰り返し)の高揚感には魔力的な熱量を孕んでおり、使い方によれば、たとえ映画であれ玉砕や特攻すら美化しかねない程にも思えてしまう。
