素晴らしい才能の持ち主が必ずしも高潔な人格とは限らない。むしろその逆の場合も多いようである。
芸術家と言われる人物を紐解くとそんなことを多々感じる。
映画「アマデウス」ではいささかカリカチュアされているとはいえ、実際のモーツァルトもかなり変な人だったようだ。
作曲家で最も自己愛が強く愛欲にまみれ他者への配慮もなく、一つの国まで滅ぼしかけたのがリヒャルト・ヴァーグナーだった。
その壮大な作品世界はオペラという枠組みで伝説や神話を再構築し、下世話なメロドラマとすることで、人々とりわけゲルマン系民族の琴線に触れるようになり大いに受け入れられた。
そのなかにバイエルンの国王ルートヴィヒ2世がいた。
彼はヴァーグナーのパトロンとなり生活を安定させ、その作品表現を完成させるために望むままの劇場を作り上げ、ついに国家予算を破綻させかけてしまった。
そして出来上がったバイロイト祝祭劇場は、いまでも毎年夏にヴァーグナー作品だけを上演する音楽祭のために存在している。
ヴァーグナーのカリスマ性に魅了されたのはルートヴィヒだけではない、ヒトラーもまたその虜となっていた。
映画「地獄の黙示録」のヘリコプター攻撃シーンで流れるのがヴァーグナーの“ヴァルキューレの騎行”であり、その暴力性と高揚感を余すところなく描き切っており、それがヴァーグナーの本質を恐ろしい程表している。
しかしヴァーグナーの曲を最も見事に使用した映画はジョン・ブアマンの「エクスカリバー」だろう。
映画自体はアーサー王伝説を描いた作品で、ヴァーグナーの曲は“ニーベルングの指環・神々の黄昏”から“ジークフリートの葬送“を聖剣エクスカリバーのテーマにしたほか“トリスタンとイゾルデ”“パルシファル”からそれぞれの楽劇の内容をなぞったようなシーンに的確な使い方をしていた。
そうなると映画のラスト、アーサー王を運ぶ舟に立つ女神はもはやヴァルキューレにしか見えなくなってしまい、なにやら“ニーベルングの指環”番外編を観たような気分になってしまう。
ヴァーグナーは自分の楽劇にライトモチーフという、それぞれの人物や事象にテーマ曲を付けることでドラマ性を高める方法を考案し、やがてその方法は映画の世界で効果音楽として発展した訳で、いわば映画劇伴音楽の元祖といえなくもない。
音楽の新たな地平を開いた巨人であるのは否定できない事実だろう。とはいえ作品はともかく少なくとも友人に持ちたくはない人物ではある。
