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日本では宗教的側面は抜きにして、子供にプレゼントをあげるクリスマスがお馴染みになったのが、いつの頃からかは定かではないが、既に夢の風習として、現在は大人男女のプレゼント交換の場としても普通に定着している。

バブル期の狂乱時代は、ある種のスティタスイベントとして男性の見栄と欲望が炸裂し、日本の経済効果を押し上げていた様だ。

いつの世もミツグクンはいるものだ。

 

そんなクリスマスを舞台にした映画として意外な作品が「女王陛下の007」でもある。

単に作中の時期がそうだっただけで007故、当然ながら特に宗教的意味合いは存在しない。

映画公開時はショーン・コネリーが作ったボンドイメージが強烈で、ジョージ・レイゼンビーの2代目はかなり苦戦を負わされてしまい、コネリーの続きという演出も匂わせるものの、いささか魅力には欠けたが、その後に続く歴代ボンドと同列に考えれば可もなく不可もなくといった感じだろうか。

 

とはいえ先日手に入れたDVDの吹き替え版を観たとき、アレマという感じでしらけ切ってしまった。

声優は小杉十郎太で現在はベテランであろうが、いつの吹き替えか判らないが、声が上滑りしている感じで全く乗れないのだった。

かつてテレビ放送では名人の広川太一郎が吹き替えた故もあるのだろうか、カット版ではあってもそれなりに楽しめたのだが、DVDは全く画面に対して声が浮いているようにしか思えなかった。

声優によって、こうも変わってしまうという見本といっては申し訳ないが、映画自体もつまらなく、レイゼンビーもヘタクソに思えてしまったのだった。

もっともレイゼンビーはモデル上がりの演技経験のない、ほぼ素人ではあったのだが。

 

「女王陛下の007」は映画としては悪くないと思っていたし、原作ボンドにはコネリーより近い印象ではあったのだが、すっかり魅力が失せてしまった。

やはり声優の選択というか演出なのかもしれないが、オリジナルを毀損するようなものは出すべきではないと思えてしまう。

 

さて、そのレイゼンビーはかなり勘違い男だったようで、ボンドを演じたので既にもう自分は大スターだと思い込み、何を考えたのかこの一作で007を降りてしまった。

その後どうしょうもない作品に出まくり、製作者に007に戻してくれと泣きついたようだが、世の中そうは甘くないもので、結局レイゼンビーは一発屋として消えていった。

 

という夢のない男の話はともかく、メリークリスマス。