近年のパブリックドメイン(著作権切れ)DVDの定番タイトルになっているとはいえ、フランク・キャプラといっても、すぐにはピンとこない時代になっているだろう。
主に1930年代から40年代にかけてのコロンビア映画が活動の中心だったので、もう100年前の映画監督になる。
50年代「波も涙も暖かい」60年代「ポケット一杯の幸福」があるとはいえ、黄金期は1933年の「一日だけの淑女」から1946年の「素晴らしき哉、人生!」迄といえるだろう。
キャプラの作風は第二次大戦前の「或る夜の出来事」「オペラハット」「スミス都へ行く」といった、トラブルは常に主人公の真心により解決されるという、あまりに単純な生善説に基づいた一連の楽天主義映画がその本領だった。
観る人にはその単純さ故、心温まるひとときを与えられた。そんな現実逃避にも似た虚構の世界がスクリーンの中だけのお約束だったとしても、生きる指針や勇気をそこに見出していたのかもしれない。
戦中に軍のプロパガンダ映画に手を染めた事が原因となったのであろう、戦後に作られた「素晴らしき哉、人生!」には戦前にはなかった、ある種の暗さがつきまとい、それ故ラストのハッピーエンドがより幸福感を醸し出す。とはいえ映画自体はヒットせず戦後は急速に忘れられた監督になっていった。
50年代には冷戦に端を発した、朝鮮戦争やレッド・パージなどの割り切れない争いの時代を経て、もはや世界が単純に正義を信じられるものではないことに、人々が気づいてしまったからなのか、むしろそれを一番知っていたのはキャプラ自身だったのかもしれない。
正直者が幸せになる、そんな現実にはほぼあり得ようがないが、あったら良い世界を描くことで映画の本質である夢のひと時を作り続け、唯一絶対の正義が信じられた時代を描いた彼の作品群は、浮世離れしたユートピアではあっても、それを信じることのできたイノセントさが今では羨ましい限りだ。
とはいえ彼の楽天主義映画がなかったら、コロンビア映画がアメリカのメジャーになることはなかった、というのは大げさではあるが、少なくともかなり遅れることになったであろう事は確かだ。
