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昭和の初めにフリッツ・ラング監督により作られたドイツ映画「メトロポリス」が公開された。当時の未来イメージを視覚化したサイレントSF超大作だった。

現在では逸散したフィルムを修復して観ることができるものの、版によって上映時間がマチマチである。

未来における階級社会での支配階級と労働者の対立から反乱を描いたSFのパターンを確立した作品でもある。

支配階級の主人公が偶然知り合った労働階級の女性を通じて社会構造を知り、支配者=頭と労働者=手を結ぶ心の役割を自覚するという成長物語ともいえる。

その労働者階級の女性をコピーしたロボットが有名で、後のスターウォーズのC-3POのモデルとなったと言われている。

 

手塚治虫はラングの題名からインスパイアされて1949年に「メトロポリス」を発表したが、未来社会を舞台にしてロボットを登場させるという以外に共通点はなく、階級社会の対立ではなく奴隷階級ロボットの反乱が描かれ、人間だと思っていた自分がロボットだと知って人間と対立するミッチィーとケンイチの対決がクライマックスとなる。

「メトロポリス」は手塚SFの基本を造った一作で「ロストワールド」「来るべき世界」とともに初期SF3部作といわれている。

 

時は流れて21世紀最初の年に公開された「メトロポリス」は、キャラクターは手塚作品からの使用なので手塚版「メトロポリス」の映画化のように思われてしまうが、原作はすでに古典であり、そのままでは幼稚な展開にも思われてしまうので、内容的にはほぼオリジナルであるもののどちらかというとフリッツ・ラング版をベースにしているように思われる。

ここでは支配階級のシンボルたる高層ビル・ジグラットの落成から崩壊までの物語が描かれる。その間に階級社会においてのロボットとの軋轢と、原作にはないオリジナルキャラ秘密警察隊員ロックの個人的陰謀が描かれる。

主人公はケンイチなのだが、人型ロボットはミッチィーではなくティマとなり、自身がロボットと知らない点は手塚的だがオリジナルな設定になっている。

その他の登場人物も手塚キャラが出てきて、随所に手塚版へのリスペクトが感じられる。とりわけロボット刑事としてペロが登場することが鉄腕アトムファンにはうれしい設定だ。アトムのエピソード「ホットドック兵団」でのヒゲオヤジとペロの関係をなぞっている。

 

作品は全体的にレトロフューチャーとモダニズムが混在するようなデザインで独特の未来感を醸し出している。とはいえそれ故か音楽がレトロチックなジャズなのはどうもしっくりとこない感じもする。

そしてクライマックスのレイ・チャールズの『愛さずにはいられない』のシーンとなる。

映画では場面効果を考えて既存の曲を使うのは良くあることだ。

しかし、それが歌であると、どうしても歌詞とシーンのつながりを連想してしまう。この場合の歌詞は『君への愛が止まらない いなくなった君の思い出を胸に生きていくよ』という内容なので、ケンイチとティマの関係そのままと言ってもいいのだが、あのタイミングで始まると悪役であるロックと支配階級の義父への心情のように思えてしまう。

どう考えても、ティマの手がケンイチから離れた瞬間から始まるほうが効果的に思えてならない。

絵的には確かにビル崩壊との対位法的に使いたかったのだろうが、編集ミスというか、それ以上に映画全体の音楽の使い方がおかしいように思えてならないのが残念なのだ。