淀川長治となるとこれが出てくる。
テレビ朝日の名物番組だった日曜洋画劇場は、1966年秋の開始当初は土曜日夜の放送で土曜洋画劇場であり、翌年の春から日曜夜の放送となり日曜洋画劇場となった。土曜日の放送ではモノクロ番組だったのが日曜日への移行を機にカラー番組になった。
まだカラーテレビの普及が進んでいない頃で、テレビ番組の大半はモノクロ番組であり、カラー映画でも番組自体がモノクロ枠である場合はモノクロ放送されていた時代だった。
2時間枠の洋画放送というのが珍しい時代であり豪華にも思え、初期の放送作品は今考えると、時折変な作品も交じってはいるものの、1940~50年代の名作が多く、鑑賞するチャンスのない作品を観ることができて毎週の楽しみになり、いつしか淀川長治の名調子と共に、日曜の夜に洋画を観るというのが習慣のようになってしまった。
70年代に入ると他局も次々と2時間洋画番組を開始し、ほぼ毎日夜の9時台から洋画を観ることができるようになり、それに伴いテレビ局による作品の争奪戦が始まって、放送される映画も次第にヒット作がオンエアされることになった。
一方、そんな目玉作品と抱き合わせで買い付けることとなった、大量のオマケのような作品を消化するための番組も作られたりして、テレビは洋画番組全盛時代に突入した。
洋画自体は作品ごとバラエティに富んではいるものの、番組の特色を出すために淀川長治に倣って、各局で本編前後に映画評論家や俳優などいろいろな解説者が出演するようになる。
とはいえ映画好きと言うだけで映画の解説が出来る訳もなく、中には変な人も多数出てきてしまい、本職のはずの水野晴郎ですら、初めの解説でネタバラシなどをしてしまうという、トンデモ解説を行う始末。
そこは割り切ってヨイショに徹する淀川長治は、ストーリーに触れることはあまりせず、その映画の見どころ、それも無ければどこかいい所を探し出して誉めるという方法をとっていた。
しかし晩年に至って、放送される作品がテレビドラマのスペシャル版が多くなってしまい、流石に熱量が下がってしまったのであろう、前半は放送作品の登場人物紹介で、後半は全く関係のない映画の話を始めるという事となってしまった。
局側はもっといい映画を出せばいいのにと思っても、視聴率という壁の問題があったのでしょうな。
1998年11月に淀川長治が没してからも、2012年頃までは毎週枠で続いた日曜洋画劇場も次第に特別番組や邦画放送が増えて、いつの間にか終了してしまった。
その前後で他局の2時間枠洋画番組も無くなっていった。
ソフト等のテクノロジーの浸透で映画鑑賞のスタイルが変わってしまったのと、録画文化が広がり単純に視聴率がバロメーターとならなくなってしまったのも原因のひとつだろう。
一頃は娯楽の王者たる映画はテレビに追われるように衰退し、テレビもまたその全盛期をネット環境等のニューテクノロジーを前に、その危うさを露呈している。
映画はテレビとの共存というか、テレビの下請け的存在となり生き延びる術を得たが、テレビの未来は如何なるものや。
