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フランスではホークスより評価が低いというジョン・フォードだが、日本では神様扱いになっていた時期があった。

それを広めた代表的な人が淀川長治だった。テレビシリーズ「ララミー牧場」内の西部こぼれ話というコーナーで、西部劇の話題を繰り広げる中にフォードの名前がよく出てきた。実に楽しいコーナーで、それがやがてライフワークともいえる「日曜洋画劇場」の名解説へとつながっていくのだった。

スピルバーグの自伝的映画「フェイブルマンズ」ではラスト近く、スタジオで映画の神様に会わせてあげるといわれ、ジョン・フォードと対面し、スピルバーグの明るい未来を暗示して(というより事実だが)映画は閉じる。

 

そんな神様であっても晩年は自由に映画が撮れる状態ではなかったようで、相棒的なジョン・ウエインがホークスと「リオ・ブラボー」を撮っている頃は指をくわえて…というのは大げさだが、映画を撮りたくてウズウズしている状態だったようだ。

その後、ウエインが製作監督主演した「アラモ」の撮影現場を見に行くと、モタモタした演出ぶりに業を煮やして自ら演出をしてしまい、日本では感動したウエインが、タイトルに名をのせると申し出てたのをフォードが辞退したと、美談として伝えられているが、実際はフォードの出しゃばりにウエインはヘソを曲げたという事のようだ。

とはいってもフォードとウエインの仲は、その後も映画では続いていった。

 

そんな時期に作られた「リバティ・バランスを射った男」は、二人で組んだ最後の西部劇であるものの主役はジェームズ・スチュアートとウエインのダブルキャストだった。

理想主義のスチュアートと豪放な西部男ウエイン、時代はスチュアートを必要としている、しかし見せ場はウエインにしっかりと持たせている。

副大統領候補になったジェームズ・スチュアートが昔居た町に来るというので、町は大騒ぎとなり新聞記者がインタビューに来る。スチュアートはかつて無法者のリバティ・バランスと決闘し射った男だからだった。

そして語られるウエインや町の人との関係、そして決闘の真実を。

 

カラー映画がスタンダードである時代にモノクロ映画として撮影されたのは、前作「馬上の二人」がイマイチな出来だったので低予算しか出なかったからか、既にフォードの時代ではないと思われたからか。

とはいえフォードの異色な傑作なのは間違いない。

 

フォードとウエインはその後、いかにも気楽に楽しみながら作ったような「ドノバン珊瑚礁」が最後のタッグとなった。

リバティ・バランスを演じたリー・マーヴィンが、ここでは愛嬌のあるライバルとして豪快な笑いを繰り広げる。

フォードは1966年に長編映画から引退した。時代はその後フォード世界とは乖離したニューシネマが台頭し始めることになった。

「リバティ・バランスを射った男」のラスト近く、事の顛末を知った新聞記者が言う「ここは西部です。たとえ事実が伝説と違っていても我々は伝説をとります」とインタビューのメモを燃やす。

フォードの慈愛に満ちた至福の一場面だった。

ニューシネマはメモを燃やさない世界なのだ。