天才とは1パーセントの霊感と99パーセントの努力だ。
有名なエジソンの言葉だ。
長らく努力の大切さを語っている言葉だと思っていた。学校でもそう教えていた。
しかしエジソンの伝えたかった意味は、どんなに努力しても霊感がなければ天才にはなれない、という意味だったようだ。
努力だけでは天才になれないというオレサマ的発想が根底にあるようである。
人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
これはスイス・レマン湖畔の白亜の豪邸に住んでいた大富豪チャップリンの言葉。
大金持ちにに少しのお金といわれても、どう受け止めたらいいのか戸惑ってしまう。私は金持ちだが凡人は少しのお金で充分だと言いたいのだろうか。
とはいえ同じ言葉を貧乏人の私が言ったところで、負け犬の遠吠えとか貧乏人の負け惜しみなどと言われるのがオチである。
そんなもんだ。
エジソンそしてチャップリンと続いた。
この二人の共通点は?…天才そして守銭奴以外に、しかも日本に関係がある。
実は二人とも日本人を雇っていたこと、そして日本の竹なのだった。
エジソンは白熱電球のフィラメントに京都の竹を使用した。
チャップリンはトレードマークのステッキが日本の竹製だった。
チャップリンはお抱え運転手が日本人で日本に興味を持っており来日をした際、てんぷらが気に入ったということだが、時の首相犬養毅との面会が予定通りに行われていたら515事件に巻き込まれ、命の危険があったということだ。
一方エジソンはスタッフの中に何人かの日本人がいて、その中にはNECの創業者もいたという。とはいっても来日することはなかった。軍事大国を目指す後進国日本に興味なんかなかったのかもしれない。
竹というと日本では身近な存在で、「今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者有りけり」に始まる竹取物語が親しまれている。
かぐや姫のお話はあまりに有名なのだが、原作そのものを読んでいる人は意外と少ないようだ。
あまり知られてはいない最後はこのような展開になる。
かぐや姫は不死の薬と手紙を帝に渡し月に帰っていく。
傷心の帝はかぐや姫からの薬と手紙を天に近い場所で焼いてしまえと命ずる。
そして物語はこう結ばれる、「その山を『ふじの山』とは名付けける。その煙、いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ言ひ伝へたる」
その頃は富士山が活動して煙を上げていたことが分かる一文である。
かぐや姫は映画やアニメ等でいろいろ作られてはいるが、このラストまで描かれた作品は観たことがない。
地上で怨念を燃やす男より、天に消えていく美女で終えるほうが絵として美しいからだろう。
天才高畑勲もそう思ったのだろう。
