地球に隕石が激突する日は必ず来るだろう。それが明日なのか一万年後なのか、宇宙規模でいうならば、それは些細な誤差の範囲でしかない。
宇宙は広大過ぎて人知の及ぶものではない。そこを解明しようとする科学に対してイマジネーショにより夢想にふけるのがSFの醍醐味だろう。
とはいっても宇宙的意思(というものがあればだが)を、小さな人間が理解できる訳もなく、結局は人間の思考を宇宙(人)に代入して、ストーリー展開を図ることになる。
アメリカ映画お得意のスペースオペラ(宇宙活劇)はその典型で、代表的作品「スター・ウォーズ」シリーズの宇宙人達の思考パターンは、全て人間的でありすぎる。だからこそ人間が鑑賞する娯楽映画として成立する訳なので、宇宙を舞台にしたローマ帝国や中世騎士道物だと考えればいいだけのようだ。
人間とかけ離れた思考概念を描くと「2001年宇宙の旅」「ソラリス」「メッセージ」といった娯楽要素から乖離した、思弁的な作品に至ってしまう。
まだ宇宙が遠すぎる(?)時代に作られた「禁断の惑星」は、宇宙の彼方アルタイル第4惑星に到着したクルーが、すでに地球から移り住んでいる親子と出会うところから始まる。
内容の大まかな設定は、シェークスピアのテンペストをSFに置き換えたものといわれている。
この作品でも起きる問題の原因は人間的感情によるもので、もっともそれはシェークスピアだから当然のことだろう。
惑星に到着してトラブルに遭遇するというパターンは、後のTVシリーズ「宇宙大作戦」にもつながっていく。
いくら宇宙を舞台に移しても人間の作るドラマは人間的すぎる訳なのだ。
余談ながら「禁断の惑星」の有名なイラストのようなシーンは、当然ながら映画に存在しない。怪物やロボットに襲われる美女というパターンは、昔のSF小説カバーのお約束ルーティンだったのだ。
ここに登場するロボット、ロビーのデザインは日系人ロバート・キノシタによるものだそうだ。

