かつて宇宙が狭く(?)せいぜい太陽系が宇宙の全てだったころ、宇宙人というと火星人がその代表みたいなものだった。
ウェルズの「宇宙戦争」が火付け役だったのだろう。それ以降火星人は侵略者或いは宇宙人の代名詞みたいになってしまった。
その「宇宙戦争」を別のウェルズ、オーソン・ウェルズが1938年にラジオドラマ化したことがあった。
臨時ニュースの現場中継という形をとり、臨場感にあふれた演出だったため、事実と思い込んだ人々がパニックを起こしたという事件が語り草になっている。
しかし宇宙人という言葉も変な言い方だ、宇宙に存在する生命体なら地球人もそのカテゴリーに入る。
最近は異星人という表現も浸透してきている。エイリアンというのは外国人という意味で異星人を指すこともできる便利な言葉でもあったのだが、今ではリドリー・スコットの映画の印象が強すぎて怪物と同義語になってしまいがちだ。
いささか長いが地球外知的生命体ということになれば、ある程度納得できる名称かもしれない。言葉の通り知能のある異星人を想定できる。
しかしそれら生命体を思い浮かべるとき大半の人はヒューマノイド(人間型)生物を連想するのだろう。ここでも人という言葉がついた「宇宙人」の呪縛だろう。その頃の発想の限界はせいぜいタコ型だったようだ。更にヒューマノイド以外に知性を持たせたくないという人間の傲慢なプライドのなせる拒絶反応なのかもしれない。
SFの世界では地球外生物と初めて出会う作品をファーストコンタクト物と表現する。
昔の作品では、それら異星人は地球人型の形態と思考を持っている場合が大半だった。地球人の言葉を話す映画の世界はご愛嬌というところで。
宇宙は広く地球の常識が通用しない世界でもあるはずで如何様な形の生命体があってもおかしくない。
おそらくSFでも最もユニークな知的生命体は映画にもなったポーランドの作家スタニスワフ・レムのソラリスだろう。
ソラリスという惑星は海に覆われており、その海自体が知的生命体なのだった。探査に来た地球人に興味を持ち、海は地球人の思考を読み取る。
近年のコンタクト物映画でリアルだったのが「メッセージ」で、実際に知的生命体が接触を試みたとすると、このような形の展開になるのではあるまいか。
とはいえ、いつまでたっても同胞同士が争い続ける野蛮な人類と知性のある生命体がコンタクトを取りたいと思うだろうか。

