手塚治虫は生涯にわたって15万枚のマンガ原稿を描いたといわれている。そのなかには同じテーマの作品を形を変えて書き続けてもいた。
「アトム大使」における地球人と疑似地球人という異民族間の対立は、初期作品「来るべき世界」のミュータント・フウムーン、「メトロポリス」のロボット、「ロック冒険記」の惑星デイモンの鳥人、「0マン」の0マン、「キャプテン・ケン」の火星人等々。繰り返し人類と異性物との争いが描かれて「火の鳥」シリーズにもそのパターンは存在する。
その対立の大半は人類側の差別意識と無理解そして悪意によるものが多い。とはいえそれらの作品は、たとえ人類の崩壊が描かれていても最後には救いがあった。
手塚自身は戦中に勤労動員で工場勤務をして空襲の被害を受け、焼け野原と死体の山を体験している。戦後は道を歩いていると酔った進駐軍にいきなり殴られたという。
そんな理不尽さをもとに異民族間の対立を描いていたのだが、死の描写があっても最後は融和してどこか人を信じたいという明るい未来の暗示で終わる作品が多かった。そこに手塚のやさしさの現れがあったに違いない。
1960年代は自らの虫プロで自分の絵を動かすという念願のアニメーション制作に手を伸ばしていった。それまでの基本的に一人で紙に向かい作品を作る世界とは違い、集団で一つの作品を作るという環境を統べることになるのだが、そこには経営者としてのセンスが必要とされた。それはどこか趣味の延長のような考えでいた手塚には荷が重すぎた。
結局は倒産の道をたどることになるのだが、それまでに体験したくない人間のダークな部分を見せつけられることになったであろうことは充分に推察できる。
手塚の60年代後半からの作風は暗さが前面に出て、時には救いのない世界を描くこととなっていった。
とはいえ「きりひと賛歌」「どろろ」「奇子」「空気の底」「ブラック・ジャック」等々といった暗く陰鬱なテーマの傑作を発するようになれたのも、その経験があったが故といえなくもないだろう。ダークサイドを経験したために今までにないパワーを手に入れたのだとすると手塚はダースベイダーとなった訳である。
