一頃は娯楽の王者であった映画だが、娯楽の多様化とテレビの出現によりその地位は揺らいでいった。
映画産業が肥大化したハリウッドでは、シネマスコープや70mmに象徴される巨大画面でテレビとの差別化を図り、存在の優位性を保とうとしていた。
そのさなかに登場したフリープロデューサーのサミエル・ブロンストンは、「十戒」や「ベン・ハー」「スパルタカス」といった当時作られていたワイドスクリーンの超大作に勝算を嗅ぎとり、1961年に自らのプロダクションでキリストの生涯を描いた「キング・オブ・キングス」を制作。そのヒットで確証を得たブロンストンはその後スペクタクル70mm超大作を作り続けた。
「エル・シド」「北京の55日」とヒット作を連発したが、莫大な費用の掛かる超大作は、不発に終わればすべてを失うというギャンブルに近い危険性をはらんでいた。
スペインを拠点に撮影をしていたブロンストンは「北京の55日」ではマドリード郊外の広大な土地にオープンセットとして北京の街をまるまると造り上げ、その中ですべて撮影するという合理的というか豪快な制作を行い、そのスペクタクルシーンで破壊された北京の街は次作「ローマ帝国の滅亡」では古代ローマの街に造り替えられた。
一方観客側は数々の超スケール映画に当初は圧倒されていたものの、次第に深みのない見世物的スペクタクルのみの大作に飽きがくるのは当然だった。
その後の「サーカスの世界」の不入りが致命的でブロンストンは映画界から消えていった。
とはいえ、わずか5年ほどの間にこれだけの超大作のみを作り1960年代前半を駆け抜けた男を、風雲児と呼ぶか山師と呼ぶか…。
