黄金街の夕日 | dvconのブログ

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前回書いた不思議なデザイン自販機の斜め向かい側に、またまた凝った建物があり。なにやら「三丁目の夕日」を再現しているような趣で、調べてみたら自動販売機と同じ人のデザインだという。街の一角を自らの表現の場としているようだ。

クーペのコテコテ塗装はやりすぎ感もあるが、プラモデルのウェザリング的な色合いに味がある。

ゴールデン街という名称も、実際に当時の街並が残っている新宿ゴールデン街に対するオマージュに思える。

街全体がそうなったら楽しいのだが、再開発地域なので街自体は商業性重視により近代的になっていくのだろう。

 

横浜のラーメン博物館もそうなのだが、何故か昭和30年代の風景には郷愁を呼び起こす魔力があるようだ。たとえそれが作り物であっても、何故かワクワクしてしまう。

原作マンガはノスタルジーの記録なのだが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」はその時代を知らない人までも引き付ける要素に満ちている。とはいえ現実とはいささか乖離した映画的ユートピアの構築であったのは確かだ。

 

映画版は現実性を無視したオトギバナシでしかないのだが、その空気感にはシリアスを超えた、夢に見た過去が再現されているように思え、登場人物も一部の人を除いては、落語世界の延長のような良い人や人情家揃いで、建築中の東京タワーという象徴的な風景や、あらゆるガジェットがその時代を表現している。

当時、新卒の女の子が集団就職で自動車整備工に雇われるなんてありえない話なのだが、誤解が生んだ映画世界のマジックとして気楽に観ていればいいだけの話で、そこから作品世界のあり得てほしかった過去のエピソードが繰り広げられることになる。

映画は三部作で町の人々の、とりわけ少年少女の成長物語にもなっている。

 

映画のキャッチコピー「携帯もパソコンもTVもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう」

それは消え去った時代だからなのだ。ユートピアがどこにもない国の意味で理想郷を表しているように、もう絶対に帰ってこない時間は演出によっていくらでも美化できる。

たとえ実体験した人であっても、大半の人は記憶を書き換えてしまうことがある。忌まわしい時間を記憶の底に沈め、より楽しい時間が表面に浮いてくる。だからこそ人は生きていけるのだろう。