3月11日に米アカデミー賞の授賞式があった。今回は日本の役所広司は受賞を逃したものの「ゴジラ-1.0」が視覚効果で「君たちはどう生きるか」が長編アニメーションで受賞となり、関心が高まっていた。
とはいえ3月11日というと日本では東日本大震災とか東京大空襲翌日でもあり、あまりお祭り騒ぎをするのが躊躇われる日でもあるが、忘れっぽくお祭り大好き日本人にはちょうどいいイベントだったのかもしれない。
そのアカデミー賞だが、実のところ以前よりあまり信頼を置いてはいなかった。時事的な話題性や政治的背景さらには心情的ムードに流されているのが目立ち、純粋な作品評価に疑問があるからだ。
今回、何部門かノミネートされたが無冠に終わった「マエストロ」はレナード・バーンスタインを描いた作品だ。
バーンスタインというと「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲者であまりに有名だが、他にも作品は多々ありバーンスタインとしては、それらの作品に注目してもらいたかったようだが、まずクローズアップされてしまうのが指揮者としての一面のようだ。
そのバーンスタインは映画音楽を一曲だけ書いている。
港湾労働者問題を描いた「波止場」でアカデミー賞にノミネートされた。しかし、受賞を逃してしまいそれ以降映画音楽の作曲はしていない(「踊る大紐育」「ウエスト・サイド・ストーリー」はオリジナルのブロードウェイミュージカルを作曲したのであり、映画版には直接かかわってはいない)。
それ以降も映画界からオファーがあったと思われるが、作曲をすることはなかった。
バーンスタインとしてはアメリカ初の大指揮者の道を着実に進み、ブロードウェイでも賞賛され栄光の道を進んでいる時、手掛けた映画音楽が賞を獲れなかったのが屈辱だったのかもしれない。
その「波止場」なのだが、アカデミー賞を作品賞の他、多数受賞している。
しかし初めて観たときに何か違和感を感じたのだった。
あまり知的ではないボクサー崩れの主人公が、自分の行動を集会の場で自己弁護を始める時にキャラ変して雄弁になってしまうシーンがあり、そこが妙に引っかかった。
その謎が解明したのは後年、当時のハリウッド事情を知ることになってからだ。
監督のエリア・カザンは、レッド・パージの尋問で仲間を売る証言をして古い仲間たちから恨まれていた。
「波止場」はその直後の映画であり、主人公が語る内容はそのままカザンの自己弁護に他ならなかったのだ。その自己弁護映画が当時の赤狩り色の強いハリウッドとしては、評価するべき状態だったのだろう。
小生には当時の問題を語れる立場にはないものの、映画ファンとして、自らの言い訳のプロパガンダにされ、ねじくれた作品を観せられてしまった事に対しては、不満が残るのみになってしまう。