先日は、増田ネイチャークラブ主催、増田地区交流センター共催の「写真と動画でたどるツキノワグマの1年」の講演が行われた。
当日は、時折吹雪く悪天候のなかであったが、予想を超える120名の参加者で会場はいっぱいとなった。
これはひとえに講師である加藤明見さんが著名な写真家であることが一番であるが、同時に今、地域住民のクマに対する関心の深さが大きかったからであろう。
講演内容もすばらしかった。
写真や動画はもちろんのことであるが、実際、母熊と子熊がコミュニケーションをとっていたであろう動画や人間の存在に気づけばまわりの風景に融け込むかのように隠れたりする姿は初めて知る驚きであった。
また、柿などの果実を握って食べることはできないが、クリの皮を向いて食べる姿の動画とそのあとのクリの皮を見るにつけ、彼らの能力の高さに驚かざるを得なかった。
同時に食べ物に対する執着心はすさまじいほどのものであった。
一度覚えた食べ物の場所は繰り返し訪れる、人が近くにいても一時は隠れても人の存在がないとわかればすぐに食べ始める。
中には、人が近くにいたとしても食べることに夢中になる熊の多いことも。
また、森との関連でいえば、近年、隔年でブナの豊凶が繰り返されていること特に偶数年に豊作が訪れていることその翌年は凶作でその年にクマの大量出没が見られることもデータで示された。
昨年の2025年で言えば、秋田県内での出没数は13172頭、駆除頭数は2564頭(4月~11月末)と過去最高また人身被害も67件うち亡くなられた方は4人と大変な事態になった。
ただ、これもまた驚きだが、67件の人身被害のうち、山で遭ったのはわずかに3件。
他は皆里地であったことも衝撃的な事実と言えるだろう。
また、ツキノワグマは、本来昼行性の動物であるが、夜間でも活動していることが多い。
特に、早朝や夕方の時間帯はとびぬけていてこの時間帯は、私たちにとっても要注意の時間帯であることは間違いなさそうだ。
さらに、被害結果に関連していえることだが、昨年はブナの凶作のみならず、ミズナラとコナラいわゆるドングリ類が凶作であったことつまり山の実りは皆無に近かったことは里地での大量出没になったことは事実であるだろう。
この事実は、熊問題を語るとき、クマの生態を知ることと同時に本来クマが棲む森や奥山の現状を知らなかればならないことを物語っていることは間違いなさそうだ。
ところで、私は、先日、秋田魁新報で取材を受け、昨年クマが原因で観察会がキャンセルになったことを受け、「自然の中で子どもたちの学ぶ機会が失われたのは残念だった。」
と話した。
この頃、いつも考えているのだが、「籠の中で小鳥を育てるか」「籠から離して育てるか」かが問われているような気がしてならない。
確かに「籠の中で育てる」のは安心だ。
しっかり決まった食事を与えることができるし、外敵から身を守ることができる。
ただ、悲しいかな、小鳥はいつかは飼い主から離れなければならない時が来る。
その時に、籠の外に出た小鳥は、自分で餌を取り続けることができるだろうか、自分で外敵から身を守ることができるのだろうか。
しばしば子育ての教訓として「魚を与えるのでなく魚の取り方を教えねばならない」という話が出てくる。
言わずもがなだろう。
いずれ、子に先立ち親はいなくなる、その時に子は生きていけるだろうか?
今、熊が里に現れることによって様々な事が問われているような気がしてならない。
子育ての在り方もまたしかりというのは、言い過ぎだろうか?
先日、YouTubeで「マタギ」という映画をおよそ40年ぶりに見た。
時代は、昭和時代しかも50年代。
とはいえ、作品を流れている大人が子ども世代に見せる生き様は不変なもので、むしろこの時代の方が大人が自然に対しての向き合い方を子どもに伝えていると感じた。
主役である西村晃扮するマタギが孫に対してヒト食いの大熊と対峙しあう。
それは、ただ、単に「熊憎し」という感情論だけでは収まらない。
熊はあくまでも「山神さまからの授かりもの」。
だから、熊を仕留めたとしても孫から「熊を(里に)持っていかないの?」と聞かれてもマタギは、「山神様に返してやるのだ。」と言い聞かせ、仕留めた熊を雪の中に産めてやる、いわば弔う儀式を忘れていないのだ。
ここには「熊を殺す」「熊を殺さない」の感情的な二元論に収まらないのだ。
孫は、大熊を追い、何日もの冬山を歩き、一歩間違えば遭難してしまうかもしれない危険や大自然と向き合いながら、マタギである祖父と歩きながら「命とは何か」というもっとも根本的な問題に触れていくのだ。
ここには、籠の中の鳥どころか籠から離れた小鳥が祖父の助けを借りながら最も大切なことを学んでいるのだ。
かくいう私は子ども世代に大人として伝えていく大切なことなどはたしてあるのかといえば、いささか自信がなくなる。
ただ、これだけはいえる。
「もう一度親子で街の隣の森や里山を見つめなおそう」と。
子育てに関していえば、大人の子どもに対する接し方が問われているともいえる。
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