皆さんこんばんわ。
やすゆきです。
今回は(私の合理的配慮)について紹介したいと思います。
私は、ADHD/ASD併発性を持っています。
ADHD
●不注意型
★物をなくしやすい
★ミスが多くなる
★気が散りやすい
★一点集中し、切り替えが難しい
★段取りよく出来ない、メールの文章が長い
+
●ASD
★相手の気持ちをすぐに読めない
★新しい環境が苦手
★自分視点だけの思い込みが多い
★空気が読めない
★すぐに言葉が出てこない
★書き言葉、喋り言葉などの表現力が乏しい
★言葉の定義が狭く、周囲とのやり取りがズレやすい
★コミュニケーションが苦手
★好き嫌いが極端
★自分のルールを曲げられない
★ルーティン通りにならないと不安になる
当てはまるエピソードを紹介したいと思います。
●幼児〜保育園編
●小学校編〜大学編
●アルバイト編
●社会人編前半「23歳〜29歳」
●社会人編後半「29歳〜現在」
↓
認知行動療法をしたいと思います。
認知行動療法は、
出来事→認知→感情→行動
1. 生まれてから小学校入学まで(0歳〜7歳)
出来事
人から誘われない限り一人で遊ぶことが圧倒的に多かった。具体的な遊びは、自転車に乗る、ブロックを組み立てる、テレビアニメを見る、音楽を聞く、本を読むなど。
他者から遊びに誘われても、集団でのルールや暗黙の了解を理解・配慮することなく、自分が一番楽しむことを優先した。
例えば、
サッカーではルールを無視したり、
親戚とのゲームでは自分中心に行動したりした。そのため、他の子どもたちと円滑な関係を築くことができなかった。
次女が生まれる際の環境の急変(母の入院、父の出張、親戚への預けられ、慣れた友人との別れ)により、精神的な不安定さが生じた。いつも行っていた遊びを急に変更され、見知らぬ人や環境に馴染むのに時間がかかり、不貞腐れていたずらをするようになった。この時期以降、強い孤独感、喪失感、虚無感を抱くようになった。
幼少期から、感覚過敏の一種である汗を非常によくかき、それによる皮膚のかぶれやかゆみに悩まされた。この症状は学生時代に最もひどかった。
認知
(ASD:自分視点)
「自分のルールが一番正しい/楽しい。他者のルールや感情は関係ない。」/ 「この環境は安全でなくなった。誰も助けてくれない。」
感情
没頭、満足感「一人遊び時」、混乱、不安、孤独感、喪失感、虚無感「環境変化時」。
行動
一人遊びへの没頭、他者との円滑な関係の欠如、不貞腐れる、いたずらをする「不安の表出」
2. 小学校1年から小学校6年まで(7歳〜13歳)
出来事
幼少期の対人関係の困難さ、感覚の違い、こだわりが、小学校での集団生活において顕在化した。
対人関係の困難と長期化したいじめ:
他者が飲んだ牛乳瓶の口周りを素手で持って片付けるという衛生観念や感覚の特性があり、他の児童から「汚い」と噂され、いじめのきっかけの一つとなった。
小学1年時、年上の児童からのからかいに対し空気を読めない発言をしたことが、長期的ないじめ(小学校1年から高校2年まで継続)に発展した。学校に行くこと自体が苦痛であり、自宅にいてもいじめられる不安から勉強や一人遊びに閉じこもるしかなかった。
友達を作ることができず、誘われる場合も「連れ」や「足りない駒」として利用されていると感じ、他者への不信感やどう接したら良いか分からないという困惑を常に抱いていた。
学習面・運動面での困難:
不注意・実行機能の困難が目立ち、忘れ物が多い、授業に集中できない、宿題をしない、計算や文章のミスが多い、整理整頓が苦手といった問題が常態化していた。
運動面では、水泳や長距離、シャトルランといった激しい運動や、マット運動、鉄棒、跳び箱、ダンスなどの柔軟運動が極めて苦手であった。
認知
「ASD/ADHD」
なぜ周りは自分と違うのか理解出来ない。
自分はなぜ皆と同じように出来ないのか?
「対人過敏」
自分はいつも「連れ」や「駒」として利用されている。
他者は信用できない。
学校は苦痛で安全ではない場所だ。
感情
困惑、不信感、恐怖、絶望感、羞恥心。
行動
学校へ行くこと自体が苦痛になる。
自宅での勉強、一人遊びに閉じこもる「回避行動」。
忘れ物、ミスが常態化する。
3. 中学1年から高校3年まで(13歳〜18歳)
出来事
いじめの状況は継続していたが、周囲のサポートを得て学習面の困難には一定の対策を講じることができた。
学習面の改善(環境調整):
中学1年から3年まで、塾や学校の先生の協力を得て、忘れ物防止や提出物忘れ防止の指導を受けた。
個別指導塾に通い、得意科目(社会)を伸ばしつつ、苦手科目を補強した。
高校受験に向け、班のクラスメイトの協力を得て、基礎的な学習は何とか解消した。
対人面・異性関係の深刻な困難:
学習面は改善しても、対人面は解消されなかった。中学1年および高校2年時に気になった異性に対し、どう接したら良いか分からず、距離感がつかめないまま「狼のような目力で見つめる」という行動に出てしまい、相手に恐怖感を与え、結果的にストーカーのような状態となってしまった。この経験から、リアルの女性との交際や結婚は諦めざるを得ないと強く感じた。
その後、女性アイドルグループや推し活を応援するようになったが、「神々しい存在」として遠くから見守るしかできず、現実世界での対人関係の困難さが継続した。
部活動での失敗:
高校1年で男子バレー部に入部したが、感覚過敏(汗)や対人関係のストレスにより、精神的・学業的に悪影響を感じたため、すぐに辞め、学習面だけに集中することになった。
認知ASD:コミュニケーション困難「どう接したら良いか分からない。強い視線や熱意で訴えるしかない。」(無価値感)「リアルの女性との交際や結婚は自分には無理だ。」「アイドルは神々しい存在であり、現実の人間関係の困難さから目を逸らせる。」感情●学習面での達成感●絶望●諦念●自己否定●孤立感●憧れ「アイドルへ」行動●個別指導塾の利用●学習面への集中●異性への不適切な行動●「軽度の結果的にストーカー」●部活動の早期退部。●推し活への移行
4. 大学1年から現在まで(18歳〜現在)
大学卒業後、就労と生活の困難が一気に加速し、生活基盤が破綻。福祉的支援を必要とする状況に至った。
出来事
4-1. 大学生活(大学1年〜大学4年)
アルバイトでの困難:
引っ越しや倉庫作業では、臨機応変な状況判断や周囲への声かけができず、作業が止まってしまうなど指示待ちになることが多かった。
飲食店のキッチンでは、正確性やスピードが求められる作業で過度に疲弊し、コミュニケーションミスも多発した。
口頭による長時間(1時間半)の講義は集中力の維持が困難で辛く、興味のある分野でも集中力が途切れて寝てしまうことがあった。
バイト、就活、卒論、講義、感覚過敏(汗)、家族との人間関係といった多方面のストレスを抱え、非常に苦しめられていた。
4-2. 社会人としての就労(2015年4月〜2021年3月)
就労の定着困難:
大学生活の苦労を避けるため、集中できる環境(工場やオフィス)を選んだが、3社すべて1年以内に退職した。
集中の必要な環境下でも、電話が鳴る音、集団での会話、フォークリフトの音といった突発的な音や刺激で落ち着かなくなり、プレッシャーを感じた。
業務では、臨機応変な対応、正確性とスピード、抜け漏れのない作業が常に求められ、過度に疲弊した。
上司や同僚からは「慣れろ」「空気を読め」「不器用なら練習しろ」などと特性を理解されない言葉を浴び、精神的に追い詰められた。
4-3. 生活の破綻と支援への移行(2015年12月〜現在)
生活基盤の崩壊(2015年12月〜2020年5月):
1社目退職後のブランク期間(2015年12月〜2018年12月)は、就職活動に苦戦。親の支援で賃貸を借りたが、仕事も生活も上手くいかないことから自己管理能力が著しく低下し、暴飲暴食、昼夜逆転、肌荒れが悪化。健康保険料、年金、家賃、光熱費などが支払えず、病院受診も困難な状態となった。借金も膨らみ、賃貸を退去せざるを得なくなった。
2社目契約終了後も(2018年12月以降)、住む場所を確保するため、寮付きの工場を中心に職探しを行ったが、仕事が定着せず、感覚過敏(汗)により作業に参加できないこともあった。
最終的に名古屋の自立支援事業(笹島寮)の支援を受けることになった。
認知(べき思考、欠陥スキーマ)「『普通』は慣れるはず。自分ができないのは努力が足りないからだ。」「臨機応変さ、正確性、スピードは必須なのに、なぜ自分にはできないのか。自分は欠陥品だ。」「この環境では、自分は生きていけない。」感情過度な疲弊プレッシャー不安焦燥感精神的抑圧無力感行動短期離職を繰り返す特性を理解されず追い詰められる
診断と福祉サービスの利用開始:
出来事
2019年11月: 父が逝去。
2020年5月〜2021年3月: アスパーク株式会社で就労。
2021年3月25日: おがたメンタルクリニックを受診し、発達障害の診断が判明。長年の困難が特性によるものであると明確になった。
2021年4月〜2025年4月:大野クリニックで治療を開始。
その後、生活保護の申請や救護施設(淀川寮)、三徳生活ケアセンターなどを経て、福祉サービスに繋がる。
2023年12月〜現在:
障害者グループホーム「ノーム」に入居し、単身での生活に常時支援が必要な状態が継続している。
2023年12月〜現在: 就労移行支援事業所(キズキビジネスカレッジなど)や就労継続支援A型・B型事業所(トレンドクリエイツ、Life南森町、アスファインアジャスト)を複数利用しているが、一般就労の継続は困難な状況にある。
2025年10月4日: 母が逝去。精神的な負担が増大している。
令和7年2月〜現在:天六メンタルクリニックで治療中。
4-4. 今後の見通し
現在、集団での対人関係や感覚過敏(汗)による困難さから、就労継続支援B型を利用している。今後は2025年11月から就労移行支援manabyを利用し、特性に配慮された在宅での就労を目指し、生活と就労の安定を図ることを目標としているが、一般就労は極めて困難な状況にある。
認知
(全般的無力感)「自分は何も上手くいかない。
仕事も生活ももう破綻している。」
(診断確定)「長年の困難は、自分の努力不足ではなく特性によるものだった。」
(認知の再構成のきっかけ)
感情
絶望感、自己嫌悪、健康不安「破綻時」、安堵、戸惑い、理解、悲しみ「診断確定後、両親が亡くなった。」
行動
●生活の基盤の崩壊
「債務、自己管理の放棄」
●福祉サービスの利用
「生活保護、救護施設、GH、就労支援、医療機関での治療開始」
30代後半:土台作りと在宅のプロへ
manabyでの訓練を通じ、WEBライティングやデザインなど、音や対人ストレスの少ない環境での「稼ぐスキル」を定着させる。
自分のペースを守れる「心地よいルーティン」を確立する。
40代〜50代:経験の還元と専門性
自身の発達障害の経験とスキルを掛け合わせ、同じ悩みを持つ人への情報発信や、構造化の専門家(プロ)として安定して働く。
60代以降:平穏とありのままの自分
「~しなければならない(べき思考)」から解放され、自分の好奇心を大切にしながら、穏やかに社会とつながり続ける。
私は、世間や社会に比べて早咲きではないが
遅咲きとして活躍したいと思います。