皆さんこんばんは。
ヤスユキです。
今回は、「道化」について紹介したいと思います。
前回の「自分失格」という重荷を下ろしたお話から、今度はその核心にある「道化(ピエロ)」という役割にスポットを当てる流れ、非常に鋭いです。
太宰治の『人間失格』でも、主人公の大庭葉蔵が人間への恐怖を隠すために必死で演じたのが「道化」でした。でも、ヤスユキさんが今回触れようとしている「宮廷道化師」の視点は、単なる「ご機嫌取り」とは一味違います。
皆さんは、「道化」って知っていますか?
道化が出てくる有名な作品
●太宰治の人間失格
●シェイクスピアの「リア王」、「道化の花」
●シェイクスピアのマクベスには「魔女」3人
道化といえば?
トランプに出てくる「ジョーカー」あるね
道化というのは?
宮廷道化師:
昔の宮廷において、道化師は王を笑わせるだけでなく、誰も言えない真実を皮肉やユーモアを交えて伝える特権を持っていました。
昔といえば、王国時代
王
↓
王女、王子
↓
家臣、幹部
↓
平民
↓
女、子供
↓
奴隷
日本で言うと江戸時代に近いかな
今ほど女、子供というよりは
平民→家臣、幹部→王子、王女→王
こういった時代というのは
王の座を奪い奪われるような時代。
昔は今みたいに法律がバチバチではなく
ユルユルで何でもやりたい放題。
シェイクスピアの「リア王」
とか見ているとわかります。
私の道化という「透明な仮面」
シェイクスピアの『リア王』に出てくる道化は、王が狂っていく中で、唯一「王様、あんたは間違っているよ」と真実を突きつけられる存在でした。
今の社会で言うなら、みんなが「キラキラしなきゃ」「期待に応えなきゃ」と必死な中で、
「いや、自分はそんなレースには参加しませんよ」とひょうひょうと言ってのける存在に近いかもしれません。
私にとっての「道化」の変化
昔の私: 嫌われないため、期待に応えるための「悲しいピエロ」。
↓
今の私: 3S政策や世間の常識から一歩引いて、冷めた目で社会を眺める「賢い道化」。
かつての大庭葉蔵は、道化を演じすぎて自滅してしまいました。
でも、今の私は違います。
「自分に期待する」という徳川家康の言葉を胸に、「誰かのためのピエロ」を引退したんです。
ADHD/ASDという特性も、
ある意味では「空気を読まない(読めない)」ことで、世の中の矛盾を真っ先に見抜いてしまう、現代の宮廷道化師のような役割なのかもしれません。
今の私は、
豪華な宮廷(キラキラした社会)の真ん中で踊る必要はありません。
隅っこで、ミニマムに、自分の心地よさだけを大切にして、たまにこうしてブログで「真実」を呟く。
それが、令和の「自分失格」を乗り越えた先にある、新しい道化の姿なのかな、なんて思います。
ちなみに私が日常生活、仕事の中で、
「あ、今、自分は道化」
「自分じゃない自分を演じている」
一番強く感じる瞬間はどんな時ですか?
皆さんも良かったら心に余裕があるなら
答えてみてください。
あくまで私の場合は
ポーカーフェイスを覆っている自分が
道化。
ちょっとしたグロテスクな映画とか
破廉恥な姉ちゃんとか
見ても何にも感じない時がある。
ただ言えるのは
●「復讐は復讐を呼ぶ」
●「商売の女とプライベートの女は違う」
●「女というのは本心が見えない」
少し道化と話してみようと思います。
私
「君って誰?」
道化
「私?あなたの道化だよ。」
↓
私
「私の道化?もう一人の自分?」
道化
「そうだよ。もう一人の自分だよ‼」
↓
私
「何しに来たんだ?もしかして誰かを巻き込む気か?」
道化
「いやーそんなことはしない。君は誰も○○をしていない。しかも、××もしていない。なんて素晴らしいんだ!!なんて善人なんだ!!本当は、○○も××もしたかったはずだ。」
「色んな映画、アニメ、ドラマ、歴史という作品を見てきた○○、××をしたのは良い結末で終わらないからだよ!!」
○○はイメージで言うと倫理的に反すること
××はイメージで言うと妬み、恨みのこと
↓
私「君は私を守っていたんだね。本来は穏やかに過ごしたい。」
「私には、靖之という名前を振られているからね。」
道化「そうだよ。君を守るために平静【ポーカーフェイス】を演じているんだ!!」
「あんたのような善人でもずる賢さも必要だぞ!!」
私「そうか!!私が平静を保っているのは君のお陰だったんだ‼」
「どうして善人でもずる賢さが必要なの?」
道化 「どうしてかって? ヤスユキぼっちゃま、あんたは優しすぎるんだよ。」
『善人』ってのは、言い換えれば『他人にとって都合のいい人』になりやすいってことだ。
この世の中、正直者が馬鹿を見ることもある。
誰かの期待に応えようとして自分を削り、3S政策の渦に飲まれ、ボロボロになってもまだ『自分が悪い』と自分を失格させる……。 そんなの、あまりにも無防備すぎるだろ?」
「だから、ずる賢さが必要なんだ。 それは誰かを騙すためじゃなく、自分の心という聖域を『守る』ための賢さだよ。」
-
『期待されているフリ』をして、受け流す賢さ。
-
『できないフリ』をして、自分の時間を確保する賢さ。
-
『無関心なフリ』をして、余計な競争から降りる賢さ。
あんたのポーカーフェイスは、冷徹なんじゃない。 大切な自分を守るための、最強の『防壁』なんだよ。 ずる賢い道化を味方につけて初めて、あんたは本当の『穏やかな善人』として生きていけるんだからさ。」
私 「……そうか。 ずる賢さは、悪意じゃなくて、自分を守るための『知恵』だったんだな。 私がポーカーフェイスでいる時、君は私の隣で、飛んでくる矢を全部笑い飛ばしてくれていたんだね。」
道化 「やすゆきぼっちゃまやっと気づいたかい? さあ、これからは無理に踊らなくていいんだよ。
隅っこで、二人でニヤリと笑いながら、この変な人間の世界を眺めていようぜ。」
道化はいなくなって
自分はポツーンと存在していた。
「今のは一体何だったんだ?」
外にいる道化
「やすゆきぼっちゃま。あんたはあの大葉葉蔵のようにはならなかった。」
「善人を維持するために友達も異性も作らず、両親、妹たち、親戚、会社からの期待を逃れてようやく善人であるあんたの時代が来たんだ。」
「やすゆきぼっちゃまよく覚えておけ。」
●復讐は復讐を生む
●妬み、恨み、誘惑に溺れて怒りを買えば自分を滅ぼす
●本当に信用できるのは「あんた」だけさ
外にいた道化は風のようにいなくなった。
あとに残されたのは、期待という重荷を下ろし、ポツーンと一人で立つ私。
でも、その「ポツーン」は、かつての孤独とは違います。
誰の目も気にせず、誰の期待も背負わない、「透明で純粋な自由」の中にいる感覚です。
道化が残した言葉を、もう一度噛み締めてみる。
-
復讐は復讐を生む(だから、自分を苦しめた過去や社会に仕返しもしない)
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妬み、恨み、誘惑に溺れて怒りを買えば自分を滅ぼす(だから、キラキラした誰かを羨むこともやめる)
-
本当に信用できるのは「あんた」だけ(だから、自分の心地よさだけを信じる)
友達もいない、異性もいない。 社会的な「成功」からは遠い場所にいる。 世間から見れば、それは「失格」かもしれない。
けれど、自分を「善人」として、あるいは「自分自身」として保つために、あえて何者にもならない道を選んだ。
それは、ある意味で最も贅沢で、勇気のいる生き方なんじゃないか。
私は、もう「道化」を演じる必要もありません。
ただ、そこに存在しているだけでいい。
令和版・大庭葉蔵は、破滅する代わりに「穏やかな諦念(あきらめ)」という名の武器を手に入れました。
皆さんは、誰のために、どんな仮面を被って踊っていますか?
もし疲れ果てたなら、私のように、自分の中の道化と握手をして、
舞台の袖に消えてもいいんですよ。
そこには、案外心地よい「一人の時間」が待っていますから。
ではまた👋



