今日、京大法学部に現役合格した中学の頃の友達と遊んできた。彼女は学校の知り合いではないが、中学時代とても仲が良く、一番話しやすい先輩だ。
今日のスケジュールは、
服屋巡り
昼ご飯
手芸屋でお買い物
カラオケ2時間

昼ご飯の際話題となったのは、やはり勉強のこと。彼女とはお互いに勉強を大切に思ってることを知ってるし、私も信用しているので、学校の先輩や同い年の人たちと違って、気を遣わなくていいから良い。それに、相手はそう思っていないかもしれないが、彼女に勉強の話を聞いても何も嫌味に感じないのだ。頑張っている感を出さないのか?多分違う。やっぱりそういう人なのだろう。好きだし、素直に羨ましい。あと、1年差で、上が合格しているからかもしれない。
私は根掘り葉掘り聞いた。それなのに、全てに丁寧に答えてくれた彼女。本当に有難い。
でも改めて実感したのは、やっぱり努力がいる。聞いたけど、やっぱりすごかった。
内容は、私の頭の中に記録してあるので書かないが、具体的な目標が出来たこともあって、意識的にもとても励みになった。
この間気力が湧いたのも、この子の合格メールのお陰だった。私の中では、密かに大きな存在なのかもしれない。ずっと会ってなかったのに、不思議。
というわけで頑張ります。
大学合格したら、また彼女と遊びに行きたい。いや、絶対行く。

東京弁、大嫌いです。標準語とは違うんです。東京弁。

こんなこと言ったら東京の人に激怒されそうですが、合わないんですごめんなさいとしか。

東京行きたいって言ってるやつが何をって感じですが、矛盾を承知で。


今日、彼に勉強を教えてたら、横で女の子(小学校低学年くらい?)が走って、言った。

「けんじちょっと待ってー」(Please image she said in Tokyo accent.)

私と彼は、敏感に、そして瞬時に反応した。

私「今、聞いた?」

彼「聞いた聞いた」

私「『待ってー(語尾下がり)』て。」

彼「あかんわぁ。」

私「うちもあかんわぁ。」

彼「どこがちゃうかったんやろ。“けんじ”はええねん。“ちょっと”・・・んー、ちょっとちゃうよなぁ。“待ってー”は・・・それやな。」

私「やな。ほんまうちあかんねん。前も言ったけど、東京のおじさんが『~じゃん?』って言うやん。あれあかん。親戚の叔父さんでも手出しそうになる(笑」

彼「なんやろなぁ、ほんま。」

私「別にな、他はええねん。青森のおばあちゃんがズーズー弁でしゃべっててもええねん。でも、東京弁だけはなぁ・・受け入れられへんな。」

彼「『待ってー(語尾↓)』、なんて言うやろなぁ。」

私「『待ってーや』ちゃう?関西の人は『や』ってつけるって。物足りへんし。」

彼「あぁー。でも、関西の『やん』って難しいよな。疑問にも肯定にもなるし。」

私「語調やって(笑)上がるか下がるか(笑)でも、うちらでも聞きなおすことあるしなぁ。」

彼「あぁー、せやなぁ。」

私「あとは、関西弁は助詞省くしなぁ。『車乗った』とかさ(笑」

彼「あぁー、車乗ったは言うわ。」

私「英語で言ったらgo Tokyoって感じやで。go to Tokyoかgo from Tokyoか分からへん(笑」

彼「Leaveとかやったらもっと大変やん(笑」

私「そうそう!leave Tokyoとかなぁ(笑」

彼「I leave Tokyoって、行くんか着くんか分からへん(笑」

私「いや、leave Tokyoやって。主語も省くから(笑」

彼「ほんまや(笑」

私「あ、『待って』は肯定になるけど、『待った』は肯定にはならんくない?『待ってん』とかさ。」

彼「京都は『て』とか言わへんで。」

私「うそやん。言うって、言ってるって(笑」

彼「言ってないって。『行ったー』とかさ。」

私「うそー、言ってる言ってる!」

彼「いや、大阪は言うけど京都は言わへんって。」

私「いや、うち言うから(笑」

彼「おまえ田舎やからやろ(笑」

私「違うし!(笑)大阪の影響受けてるんかなぁ。」

彼「『~しはる』っていうのも分からんらしいやろ。」

私「それは分かるわ(笑)一応京都で育ってんねんから(笑」

彼「あれもなぁ。謙譲語やったら『~さしたげてー』とかな。」


とかとか。あの女の子はそんなこと言われるなんてさらさら思ってないんだろうなぁ。

でも、東京弁の人、関西では気をつけて下さい。結構言われてると思います。学校で、そういう話して盛り上がるくらいですから。

京都は修学旅行生多いですけど、東京弁で喋ってるとプチッときます。かといって、妙に発音が変な関西弁喋られるとブチブチブチッときます。解決法はないです。とりあえず、どうにかしててください。


とかいって、私結構流されやすいたちなので東京行ったら染まりそうです。1泊したくらいで若干染まる私ですから。

けど、東京に住むことになったらどうしよう。私を東京に行くのを躊躇わせる要因。1つ目は家のおいしい水(家は地下水)。2つ目は関西弁のない環境で生きていけるかの不安。3つ目はたかじんさんとえみちゃんが見れなくなること。ほら、結構重要ですよ。


だけど、東京の従姉(20歳くらいで、私が言うのもなんだけどかわいい)が使う東京弁は許せるんだよなぁー。またジレンマ。

今見てます。去年の年末やってたんだねー。知らなかった。再放送してくれてありがとう、フジ。あったこと後で知ったら泣いてたよ。ありがとう、フジ。(CMっぽい)


オープニング。BLACK BOTTOM BRASS BANDが客席を縫って歩きながら吹いてた。初耳・・・(ごめんなさい)。

うぉー、金のスーザ。結局部活やってるときスーザ吹けなかったからなぁ。1回吹いてみたかった。学校のは白のスーザ。楽器の中で一番白鳥に近いです。見たら分かる。


Orange pekoeですね。何回か歌聴いたことあるけど、Jazzっぽくて(微妙にPop寄りな感じがする)嫌いじゃない。ジャンル分け、違ってたらごめんなさい。ジャンル見分けるの苦手なんです。

Vo.の人の顔、ドリカムの吉田さんに似てる気がする。歌唱力がある顔なのかな。でも、骨格で声質決まるっていうし。あるかもしれない。ウッドベースかっこいい。弾きたい。


と、だいぶ飛ばしてAI。AIねぇ、こないだうちの学校の卒業式でライブして、そこからなんか気になる存在ですね。歌唱力あるから好きです。ノリもアメリカ人っぽいし、底抜けに明るいし、かっこいいですよ。

AIの喋り方は外国から帰ってきたからの訛りかと思っていたら、こないだ見た去年のMステX'masライブで鹿児島県訛りだということを知って衝撃。ってことは、英語≒鹿児島弁?いや、そういう話も聞いたことあるような気がするから、ひょっとするかも。


最後は、真打PE'Zです。起きててよかったー。PE'Zとの思い出については、いずれ書く日があるだろうので書きます。でも、この人たちはやっぱりライブの良さがあるからいい。PE'Zは、CDで聴くのはもちろん、ライブには絶対行くべきです。良さを感じられるのはやっぱりライブです。だから、今年も京都&大阪の2公演行きます。お金?気にしない!
お、ハレソラはOriginal Ver.ですね。途中にWBが入るVer.も好きだけど、たまにはやっぱりOriginalを聴きたいものです。ヒイズミさんかっちょええー。ニレさんもかっちょえー。大山さんも、門田さんも、航さんも。いいよねぇー。って、PE'Z2曲!?でも、そっか・・・そんなもんですよね。でもちょっとショックですよ。


最後にBLACK BOTTOM BRASS BAND。すごい、完全マーチング集団。Tp.の人かっこいいっすよ。何気なく吹いてる感じが。Tubaしんどそう・・・1人でベース担ってるんですよねー。肺活量に乾杯。私はそこまでできなかったわ・・・。あ、これこれ!シングシングシングのあのかっちょいーベースラインですよ。ってか、Tubaの人も何気なくかっこいい。Tuba吹きには思えない・・・(爆)でも、いつかまたやりたいなー。昨日定演にも行ったし、楽器吹きたい症候群ですよ。そこにこんな刺激与えないで下さい。Jazzやりてぇー。実力不足は承知の上です。

さて、見るだけ見て寝ます。明日(今日)から長野に旅行で、朝4時発なので、父が起きてしまう。では。

牡丹と薔薇を見てます。今週はボタバラウィーク。

「やけぼっくいに火がついた」が8回も出てくる。あはは。笑うしかないですよ。

まだ4巻途中ですけどね。おかしいですよ。ほんと。

友達に言わせるとまだ序の口。どうなってるんだよ。

でも、いいんだよ。面白ければ。それが関西人の性だから(笑

政治経済の先生が好きでない。やたらと外国語を使う。

この間も現行犯の解説のところで「こういうのはディテクティブ的なものによく出てくるな。」

コナン見てなかったらわからなかったから。どうして素直に推理小説と言えないものか。

初めて気づいたのは昨年夏休み。人口増加の話をしてたところで出てきた言葉。

「それはバースコントロールすればええやないか。」

Birth(出生)Control(調節)ですか。素直に受胎調節とでも言えないのかと。


日本語が好きなんだろうか。それとも、単純に自分の分からないことを言われて反発しているだけ?

けれど、日本語で済むことをわざわざ他の国の言葉で言うのは、どうしてああも自慢げに聞こえてしまうのだろう。

彼とそのことを話していた。私は日本語が好きなんだろうって。でも、見て見ぬ振りしていた痛いところを突かれた。お前もカタカナ語使っているじゃないかって。

ただ、私の中ではやっぱり違う。結局、ニュアンスの問題に落ち着いた。


昨日、友達と英語の話をしていた。英語の意味・言葉の方が浸透しすぎて、訳すに訳せない言葉ってあるよねって。

例えば、communicationとか。「意思疎通」と訳しても、どうもしっくりこない。逆にコミュニケーションの方が合う。訳をする度に矛盾を感じるんですよ。

とかとか、そんなこと考えてるとやっぱりニュアンスかなって。ほら、ニュアンスとか。

日本語にあまりにも浸透しすぎているものって、やっぱり使わざるをえない。意思疎通より先にコミュニケーションという言葉で伝える手段を得てしまった私たちは、サブ的な代替手段を日常的に使うことは難しい。

communicationはcommunication以外の何者でもないし、代用もできない。フィーリングが違う。それは、この社会に育ったから仕方のないこと。そうやって逃げてるのかもしれないけれど。ほら、フィーリングとか。


そう考えると、ある意味で政経の先生は先駆者なのかもしれない。先駆者は非難にさらされるもの、定説だけれども、先生は私の非難にあっているのだから、先生は先駆者の条件を満たしている。先生は先生でそういうスタンスを貫いてほしい。ただ、漢字検定を持ってるものとしては英語検定がどんどん力を増す中で漢字検定が力を失っているのは心苦しい。エゴだね。


耄碌。牡丹と薔薇に今出てきたけど、意味がわからない。やっぱり私は日本語好きを名乗るには修行が足りない。

最近ハマっているDVDがある。

「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の罰ゲームのDVDである。

きっかけは、去年の秋ごろのガキ使SPでの笑ってはいけない学校だった。

私はかつてお笑いマニアと呼ばれるくらいお笑いが好きだった。このことはまた今度書こうと思う。

だが、それも昔の話。私はその放送を見逃した。

しかし周りの人からの評判で、すぐに見逃したことを後悔したのだ。

それからしばらくして、私は過去の別の放送をたまたまビデオ録画したもの(後半のみだったが)を発見した。

アール・アンド・シー
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 5 浜田・山崎・田中 絶対笑ってはいけない温泉宿 1泊2日の旅 in 湯河原

後半だけ見た。やばい。やばいやばい。

その後、全編をDVDで見ることができた。彼と一緒に観ていたのだが、笑いが止まらない。

久しぶりに笑い死にするかと思った。それくらいこのDVDは強力だった。


ここ数日、最近のガキ使のDVDを彼に借りている。今日は、これを見た。

アール・アンド・シー
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで !! 1 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ !

すばらしい。もう、最高です。

全体的に本当に可哀想になってくるが、それを遥かに上回る面白さ。全員のキャラの濃さ。

彼は人によって好みが分かれると言っていた。確かにそうだろうと思う。

下ネタはかなりきつい。けど、もうそれもどうでもいいくらい面白い。


ただ、今日何本か見たいと思っていたが、1本に自制しておく。それくらい精神的疲労がきつい。

明日は山崎VSモリマンにしようと思う。休みのうちに是非とも全制覇。

昨日、目覚めた。

昨日はいつものように、デートに行ってきた。いつも通り、2回目の道を通って、いつもの場所へ。

することはいつもと変わらない。でも、昨日は特に楽しかった。

それが前兆だったのかもしれない。


朝から父に話を持ちかけられた。彼と私と一緒に話がしたい、と。

内容は、勉強のことだった。今の時期に遊びに出ることに対して怒っているようだった。

どういう計画を持っているか聞かれたので、2人で話し合っている内容をそのまま伝えた。

そんなことは言われなくても分かっているのだ。


遊びに行ってから、私はお金を持っていなかったので、晩ご飯を食べることもせずに別れた。

2時間後、私が家に帰る途中、コンビニでぶらぶらしていると、彼から電話がかかってきた。

「単位落とした・・・。」

向こうも信じられないようだった。私は、とりあえず頑張りなさいとだけ言った。


帰ってから、最近ちょっと仲良くなってきたように思われていた母にそのことを告げた。母は、やはり私たちの勉強や日々の生活にうるさく文句をつけてきた。正月から待っている。いつになったらやるのだ。何を考えているのだ。向こうはどういうつもりなんだ。向こうに迷惑かけてるんじゃないのか。

そこに父も加わって私を攻撃し始めた。父は母と同じことを言った。


私たちは、去年の8月から勉強のことで話し合うことが多くなった。もとから、学力では彼と私の間には大きな開きがある。そのことも含めて、会う頻度、勉強方法、これからどうするべきか、ずっと話し合ってきた。最近になって、ようやくお互いが妥協できるところで蹴りがついたばかりだった。


そんなことを考えていたとき、彼からメールが来た。「しばらく距離を置こう。」

私たちの間では、それはよくあることだった。別れるための口実ではなく、本当に少しの間距離を置くのだ。

でも、私は悲しかった。妙にその言葉が現実味を帯びていたのかもしれない。


やる気になっているところに人から文句を言われることは、どうしてこんなにやる気を削ぐんだろう。どうしてjこうも辛いことが重なるんだろう。私は、全てが嫌になった。涙が止まらなかった。


親に八つ当たりをした後、私は外に出た。隣の家の屋根に寝転がって、星を見ようとした。星は出ていなかった。

寒い中、私はしばらくそこに横たわっていた。ほんの5分ほどの間だったが、色々考えた。

彼の私に対する優しさに今更ながら気づいた。これからどうすべきかを考えた。ものすごく密度の濃い5分だった。


本能的に、今日は大きな節目の日だと感じた。

ずっとあると信じていて、来るべくして来た節目。

活かさないと。

私の家の前には国道がある。田舎だから2車線だが国道だ。

私の家の前にはコンビニがある。田舎だから利用する機会は多い。

いくら田舎といえど、国道というだけあって、車は多くはないが少なくはない。年に2~3度渋滞するが、それ以外は割りと横断しやすい。

しかし、私の家の前に横断歩道はない。小学校低学年は親に見守られながら、高学年からは一人で、コンビニに行くため私は国道を渡った。

車に轢かれたくない私は、車を待つ。そこで、あの体験をする。

 あ、今日は行く時すぐに渡れた。帰りはちょっと待たないとな。

 今日は渡るの大変だった。じゃ、帰りすぐ渡れるね。

 行くのにちょっと待った。帰りもちょっと待つかな。

 すんなり渡れた。でも、帰りもすんなり。次の時混んじゃうな。

 渡るの大変。帰りはなおさら。でも、次の時楽だわ。

昔から感じていたこの法則。ある種三つ子の魂的。今でもルーツを感じる。

人にやられたこと=自分がやっていいこと。

自分がやってしまったこと=人にやられても仕方がないこと。

相手に非難を受けたこと=私も非難していいこと。

相手にされたこと=自分がしなければいけないこと。

ちょっと違うようだけど。

私の頭の中にはいつも天秤がある。

初めまして。管理人の暁です。

今までも何個かブログ持ってたけど、心機一転、まっさらな何もない状態からやりたいと思って移ってきました。

特徴としては、ブロガー(とでもいうのか?)にあるまじき筆不精です。携帯のメールはまだしも、手紙やパソコンのメールは何ヶ月と返信しません。返信できません。遅筆、筆不精、面倒臭がり、表現力の欠乏、とても文章というのは私にとって遠い存在であるように感じます。

それでも、文章を書いている人に憧れ、彼らに尊敬の念を抱き、私もと一念発起して再始動したのがこのブログです。

キャラは、日によって変わります。喋り方から一人称から何から変わると思います。書く内容も、日によって違います。テンションは言わずもがな。要は、雑記帳のようなものです。読めるものではありません。私のことでしょうから、恐らく3日坊主を尊敬するくらいしか続かないことでしょう。でも、何かあったときのためにこのブログをおいておきます。

教えるとしても、私が教える資格があると思う人しか教えません。もう本当に隠されたページのようなものです。

私は楽観的です。血はAですが、99%のOに1%Aが混じったためにAになった人間です。自分のことをさらけだすのを、おそらくあまり恐れません。そういう人間です。

世の中は酷く窮屈です。楽観的な私はそう感じてしまいます。そんな私が楽観的でいられる場所、それがこのブログであることを期待しています。

それから最後に。今まで言ったことと矛盾しますが、私は今年受験生なので、突発的に勉強のことを書くかもしれません。

では、これからやっていきたいと思います。