友人(高校同級生)の次男が公立中学から開成高校に合格したという知らせ。
中学受験はしていなくて、体育会系の部活を中3の夏までやって、塾は部活が終わった時期から。
たった半年の受験勉強で、開成、慶應、広尾学園に全合格だと。
いやー、すごい。すごすぎる。
その子がまだ小学生になるかならないかの頃、何度か会ったことがある。
もちろん当時はその子にどんな才能があるかなんて分からなかったけど、おとなしい落ち着いた子という印象だった。
ちなみに、両親は地方国立大学卒(旧帝大ではない)。
父は理系で日系大手メーカーの技術職。関西の私立中高一貫校に中学受験で入学。(←こっちが私の同級生)
母は文系で専業主婦。高校まで公立。
両親とも、激しく教育熱が高いというタイプではなく、穏やかな性格だがややオタク気質のインドア派。
パソコンやマンガ、ゲームが大好きで、子どもたちにも幼いころから制限なく与えていた。
YouTubeも制限せず、いくらでも見させているらしい。
友人曰く、中学受験も選択肢として提示したけど、次男君がその時点では興味を持たず見送ったそう。
ただ、次男君は数学への関心が高く、小6の時には超難問の「ABC予想」に興味を持っていたそうで、この時点でやはり一味違う。(塾などは一切行っておらず完全に独学)
開成に行きたいと言い出したきっかけは、本人が「LIFESPAN」というハーバードの遺伝学教授が書いた本を読み、研究者になりたいと目覚めたことから。
目標を設定してからは、毎朝6時起きで勉強し、部活を4時過ぎに終えて8時半(!)に寝るという生活だったそう。
古文は苦手でオールマイティだったわけではないと友人は言っていたけど、仕事で英語を使っている父親の姿を見て英語にも興味を持って勉強したり、とにかくすべてに能動的に取り組んでいる。
いやはや、親としては感激レベルだな。
自分の子どもがこうだったらどんなに嬉しいか。
と思うけど、こんな風に子どもが自ら目覚めて走り始めるまで、親はただただ見守るしかなくて、だけど、見守ってたらみんなこういう風になるかというと当然そんなわけはなく、たいていは何も起きず、子どもはただ易きに流れる人生を歩む、というのが普通のシナリオ。
子を信じて手出しせず待つ、ということの難しさよ!
正直、この次男君については、もとの素質が8割だろう。
普通程度の子がいくらやる気出しても受験勉強半年で開成に受かるわけがない。
3年やろうが、5年やろうが、10年やったって受からない人は受からない。
逆に、才能がある子なら、何年も塾に行ったり、他の習い事や遊び、経験を犠牲にして受験にすべてを捧げる必要なんて、本当はない、ということになる。
東大受験も同じだ。
開成や桜蔭に合格してすぐに鉄緑会に入る、みたいな話を聞くと、開成や桜蔭に受かるほどの能力がある子がなんで中高6年間をまるごと受験勉強(しかも東大受験に特化)に捧げなきゃいけないのと思う。
その6年でもっと経験すべきことがあるんじゃないか。
東大受験なんか意識せず、もっと伸ばせる能力や可能性があるはず。
私が中学受験に感じるモヤモヤっていうのも、たぶんそういうことなんだろうな。
受験勉強に時間を取られることで犠牲になる経験や学びの機会が惜しいという気持ち。
本当に素養のある子なら、そんな長期間の受験勉強なんて必要ないんじゃないか。
受験勉強に意味がないとは言わない。
受験のために学ぶことは、知識だけじゃなく、物事を考える力、記述力、読解力、様々な処理能力を鍛えるのにつながる効果があると思う。
なんなら、受験という機会でもなければ、ぼーっと生きていてはこういった力は養われないような気もする。
でも、受験勉強のせいで犠牲になるものもあると思う。
たとえば、自ら問いを立てる力、情熱を注ぐに値する人生の目標、軸とすべき価値観、それを見つける時間。
私が学生だった頃は、それは大学に入学してから見つけるのだと思っていたけど、本当にそれでよかったかは分からない。
大学に入ったら次は、就職という現実的な問題があり、深く考えることもせず、人気があるとか給料が高いとか、人から「すごい」と言われるとか、受験の偏差値みたいに作られた「序列」に従って、東大ならゴールドマンだろ、マッキンゼーだろ、弁護士だろ、官僚だろとなる。
文Ⅰに入ったら、1年生から司法試験予備校に通う。
1年生のときからインターンをしたり、就職活動でアピールできるボランティア活動をしたり。
自分自身を見つめる時間、世界を見て歩く時間、人と語らう時間がない。
内発的なものに向き合う機会が奪われたまま、就職してひたすら働いて、出世を競って、収入を増やし、気がつけば40、50。
そこで、こんなの自分の人生じゃないと気づく。
という人を山ほど見る。
本当に、本当に多い。
内なるものに出会う時間。
若者に必要なのはそれなのではないか。
それさえ見つかれば、子どもは自分でなんでもどうとでもする。
そういうことなのではないか。
中学受験をせず公立中学に進学した子が、突然目覚めて自走し始め、高校受験や大学受験で超がつく難関を突破するという話を聞くと、一体どうやったらそんなふうに子が育つのかを知りたいと思って、その親や本人に色々ヒアリングするのだけれど、私がそこから見出した共通点は二つある。
一つは素質。身も蓋もないが、厳然たる事実。
もう一つは、親子の信頼関係。
どのケースも、子が親を信頼し、頼りにしている。
なんでも話す仲の良さはもちろん、相談したときに適切なアドバイスをくれたり、一緒に様々調べてくれるサポート力を親が持っている。
親は、選択肢を提示したり、好奇心を広げるためのきっかけを提供したりはするけれど、何かに誘導したり、強制したりは一切しない。
子が自ら動き出すまでは、ただ見守る。
そして、いざ子が動き出したときには、全力で協力する。
子は勉強法や進路のことなど、親に相談すれば答えが返ってくるはずだと信頼している。
息子に対して私に何ができるかを考えるにあたり、今回のニュースは、とてもよいきっかけになった。