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5月最後の日曜日、
父方の親戚一同による法事がありました。

父の母(ワタシの祖母)の三十三回忌および
父の父(ワタシの祖父)の二十六回忌(?)ということで
子供たち、そのまた子供たち、そのまた子供たち…などが
鎌倉にあるお墓に集合。

祖母はクリスチャンだったので、
お墓の前での慰霊式という形で
生前のエピソードを聞いたり、
遺稿として残された文章を読んだり。

ちなみに、
祖父の父が音楽の先生だったということは
知っていたのですが、
作った曲が文部省唱歌などにもなっているとか、
家にあったピアノは外国から輸入したもので
当時の長野県で唯一のピアノだった、なんてことは
初めて知りました。

ワタシの父は長男なのですが、
そのわりに家とか風習にとらわれないというか
進取の気性があるというか新しいもの好きというか(笑)、
とにかく、子供にヨダ家の歴史を話したり
伝統や家風を守るよう説いたりする人ではないので
家系や歴史について知る機会はあまり、いや
ほとんどなかったのです。

が、今こうやって自分が大人になってから
そういうエピソードに触れてみると、
何かしら自分のルーツについて考えさせられ
感慨深いものがありました。

父は今もチェロを、次男の叔父さんはピアノを弾くなど
ヨダ家は音楽大好き一家なのですが
ワタシはピアノを久しく弾いておりません…
ただ、それでもワタシにとって音楽はなくてはならないもので、
それは人と何らかの感覚や気持ちを共有する上で、
大切なものであることは確かです。

昨日の慰霊式では、最初と最後に
皆で賛美歌を歌ったのですが
初見でも、楽譜を見てなんとか歌えたので
あぁ、楽譜を読む能力は一応残っている、と
ホッとしたりしました(笑)。
(しかし、5月とは思えないほど
冷たい風ふきすさぶ墓地で、
それぞれ5番まで省略せず歌うのは
何かの修行のようでした…笑)

でも賛美歌は、やっぱりいいものです。
大人になってから、皆で一緒に合唱する
貴重な機会という意味でも、
単純に音楽的な意味でも。

本当は今の家に入れられるのであれば
実家のピアノ、欲しいんだけどね…。
(そもそも演奏が許されるのだろうか、このマンション)


ほかに、「あっ」と思った出来事として。

司会を担当した三男の叔父さんが作ってきてくれた
式次第の最初のページに、
新約聖書のコリント人への手紙13章、すなわち
愛についての言葉が記載されていたんですよね。

これ、以前、旧ブログでワタシが絶賛した
2008年の映画『愛のむきだし』のクライマックスで
使われているんですよね。

主人公の少女が海辺で涙を流しながら
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない」…から始まる
長い長い言葉を完璧に朗読するシーンは
宗教うんぬんの壁を越えて胸に迫り、
圧巻の一言でした。

叔父をはじめ、敬虔なクリスチャンが観たら
眉をひそめそうなシーンも多く含まれる問題作ですが、
ベルリン映画祭で「カリガリ賞」と
「国際批評家連盟賞」を受賞したことからも分かるように
社会とは?愛とは?セックスとは?宗教とは? と
人間の根源的なテーマについて考えさせられる大作なのです。

…ということも含め、
なんだか人生って、
関係ないと思っていた様々な人や事柄が
思いもしないところで繋がったり、
不思議なところでリンクしたりするもんだな…と
改めて感じ入った次第です。

それぞれが年を取って丸くなったがゆえに
こういう集いを余裕を持って楽しめるようになった、
というのもあると思います。

自分に関していうと、
昔は、自分にとって「家」は
自分を「縛る」モノであったけど、
今は「繋がる」モノとして感じられるというか。

若さゆえの輝き、というのももちろんあるけど、
年をとるのも悪くないです。ホントに。

#写真は、慰霊式の後、皆で食べた昼食。
 プリンスホテルが作っているということで
 とても美味でした。特にエビチリが(笑)。