今更ながら名作を | Looking for something happy

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短歌はじめました

今回は書きたいことがたくさんあって迷う。まず、未来10月号に自分の歌が、8首載った。うれしはずかし夢みたいである。短歌との出会いは、穂村弘さんのエッセイを友人から教えてもらい「世界音痴」が面白くて「本当はちがうんだ日記」と「手紙魔まみ」を読み、「ラインマーカーズ」を買い、どんどんはまっていったのだった。やがてNHK学園の通信講座で習い始めて、3年目にして未来短歌会入会。実は自分が歌を詠むようになるなんて露ほども思っていなかった。詩が好きだけれど、自分でまともな詩など書いたことがないし、俳句だってすごく難しいと思っていた。ましてや五・七・五・七・七の世界なんて、まるっきり無知。はじめての歌は、歯医者の帰りに親知らずを抜いたあまりの痛みの勢いで一首できてしまった。けっこう楽しいなと思い、少しずつ、詠んだ歌を携帯電話のメールボックスに書き溜めるようになったのだった。今月号の彗星集には、未来賞を受賞されたお二方の歌も載っており、興味深く拝見させていただいた。


お気に入りの歌を1首ずつ



死に近き光であればほの暗く蛍のごときのど仏たち (佐藤理江)



蛍の光がロマンチックだという一般的な意見に対し、作者は、それが死に近い光と評する。ほの暗く光るのど仏たちは幻想的かつ怪奇的で、この世とあの世の境目を表すようでもある。神秘的で謎めいている歌。



組み結ぶ足つぎつぎとほどかれてほどかれぬ一組につまづく (堀合昇平)



「あるある!」と思わずつぶやきたくなる一首。混み合った電車の中の通路を歩くと、足を組んでいる人はつぎつぎとほどいてくれるものだけれど、たまに頑固で鈍感な人がいて、組まれたままの足につまづきそうになる。なんとなく、女性の足なのかなぁと想像をかきたてられるような歌。


未来の裏表紙には、小島なおさんの「サリンジャーは死んでしまった」から抜粋された5首も載っている。この歌集は手元にあるのだけれど、読みきっていなくて、焦っているところ。お気に入りは次の2首。




これまでのきみへの嘘をひとつずつ集めておおき夕焼けとする


植物園ときおりきみを見失いそのたび強く匂い立つ木々  (小島なお)



サリンジャーが没したのは数年前だったろうか。短大の英米文科卒の私もご他聞に漏れず「ライ麦畑でつかまえて」の熱狂的ファンである。あとは「ナイン・ストーリーズ」。でも、読んだのはそれだけ(笑)中学生のときにカポーティ・ブローディガン・アップダイクもちょろちょろと読んだ。学校嫌いで勉強熱心でもなかった私は、漫画ばかり読んでいたけれど、あまり怒られなかった。神経症で、四六時中、欠席ばかりする私に家族は何も言えなかったようだ。祖母が読書家で、太宰治・有島武郎・埴谷雄高・ドストエフスキーなどを好んでいた。でも、一度も読むように強制されなかったので、自分は三島由紀夫や高橋和巳、古井由吉などをこれもちょろちょろと読んでいた。祖父は画家で、短歌が好きだったようだ。隔世遺伝か?それにしてもため息が出るほど目覚めるのが遅い。祖父母はいろいろな文化に触れていたのに孫の私には何も教えてくれなかった。でも、太宰は、ただでさえ憂鬱症の私には重すぎる本なのだ。なので「人間失格」しか読んでいない。し・か・し!最近、携帯電話をスマートフォンに換えたのをきっかけに、とうとうドストエフスキーに挑戦することにした。アプリに「文芸集」が入っていたのだ。祖母が最も愛読した「カラマーゾフの兄弟」。実は、最初の5ページくらいで挫折しそうだけれど、頑張って読むことにする。不勉強を補うべく、読書熱に火がついたのだ。アマゾンで、どんどん昔の名作を取り寄せている。懐かしい高橋和巳の「散華」。島崎藤村の「破戒」。三島由紀夫の「金閣寺」(この代表作を読んでいないのはおめでたい。「仮面の告白」が好きだったのだ。)それに加えて、塚本邦雄の「ほろにが菜時記」も買った。これが、今、私が読める限界だと思う。


そういえば、アプリで、あらためて石川啄木の「一握の砂」を読んだんですけど、たいへん共感してしまいました。子どもの頃は、何が書いてあるかいまひとつ理解できなかったんですが。さて、今日の夕食はピーマンの肉詰めとかぼすドレッシングのトマトサラダ、じゃがいものカレー炒めです。