ぽんぽんは中学受験には向いていない子供だったと思います。このブログをご高覧の皆様にはとっくに理解されていたかもしれません。私もそんな気はしていたのですが、多分、私のほうが中学受験をしたくなってしまったのだと思います。

 

何度も書いてきたことですが、ぽんぽんは勉強することが出来ない子供でした。小3の秋に勉強することが出来なくなってそのまま6年まで続いていたのです。自信を持てないというか、恐怖で立ちすくんでいるように私には感じられました。せっかく解いた過去問に丸を付けることすら出来ないほど、ぽんぽんは追い込まれていました。そういうマインドはやはり中学受験には向いていなかったかと思います。

 

ぽんぽんは自分の物差しで自分をみて、そして花丸を付けられる人です。その価値観と、人から点数で評価され順位を付けられる中学受験のありようとは、相容れない関係にあったと私は思います。

 

特にぽんぽんはA中志望でした。A中は最難関のなかの最難関です。ぽんぽんは苛烈な競争に晒されることになりました。A中を志望するからには過去の自分から成長していれば良いと言えるような世界観は通用しません。ぽんぽんの願いは届かないようにしか見えませんでした。それでもぽんぽんはA中を受験するために、自分を曲げて、中学受験の掟に従ったのです。

 

そもそもA中を志望すること自体が中学受験で傷付いた心を守るための武装だったかもしれません。ぽんぽんは中学受験により傷つけられていたのです。これは明確に認めなければいけない私の罪です。中学受験に戦い向かわせたのは私です。

 

ぽんぽんは早生まれです。成長もゆっくりで成長曲線の下限をゆっくりと上って生きたのです。心の発達もゆっくりでした。競争を愛さない性格でもありました。幼稚園に通っていた頃は、何でもゆっくりなぽんぽんですから、普通に競争したら負けてばかりなのでした。手先の器用さから絵や工作は得意だったのですが、幼稚園はそれだけではありません。だからぽんぽん自身が競争以外のところに価値を置きながら育っていくのは自然の成り行きだったと思います。

 

転機は来ました。小学校1年生のときに学校の先生から、ぽんぽんは非常に優秀だと褒めて貰えたのです。学校の勉強だけでは物足りなくなるだろうと言ってもらえて、私はとても驚いたのでした。私は嬉しかったのです。舞い上がった私は期待を膨らせました。その期待が中学受験塾へと結びついていったのでした。そしてぽんぽんと私は競争へと駆り立てられていくのです。

 

とりとめもなく吐き出してしまいました。今それでも言えることは、ぽんぽんは中学に満足しており楽しい学園生活を送っていると言うことです。未来も輝いて存在しています。なにも滅びてはいません。傷付きながら、罪を犯しながら、血と涙を注いで成し遂げた中学受験です。どんな現状でも納得したくなるだろうと思われるかもしれませんがそうではないのです。

 

今このときに臨んで、本当に中学受験をして良かったと私は思っています。中学受験に向いていないのだから撤退するという選択もあったのですが、ぽんぽんの場合についていえば、戦い抜いたという事実が、今、明るい光を放っています。

 

ご精読ありがとうございました。