最古の碑文 

 

第3の月 第10の日

太陽が天の頂に達する刻

太陽は飲み込まれ

大いなる門は閉じられる

2つの封印は解かれ

終末の8騎士が姿を現わす

さらに2つの封印が解かれ

4の事象が立ち塞がる

世界の崩壊を定める最後の刻印

彼は抗う者として生まれ

抗う者として歩き

抗う者として倒れる

 

 

ヌル・アビス(虚無の深淵)

太古のゾスコッカラス文明に現れ、姿を消した存在。人の形をしていたとも、影だけだったとも伝わる。ヌル・アビスは「終末を記す者」と呼ばれ、原初の闇の残響を聞き取り、石に写し取ることを使命としていた。

 

 

日本海文書(Nihonkai Documents)

発見地 能登半島沖の海底洞窟

形態 複数の羊皮紙および粘土板の断片

 

 

 

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>中学受験のなかで私は罪を犯しました。

>幼いぽんぽんを、

>中学受験なんてまるで理解してないぽんぽんを、

>中学受験という厳しい峰に追い立てたのは私です。

 

>人と比較され断じられるという、

>偏差値やクラス分けという冷たい刃のしたに、

>私がぽんぽんを置いたのです。

 

 

 

上は6ヶ月前に私が書いた記事の一部です。私はずっとぽんぽん(ブログ主の子供で高3男子)の中学受験に、罪悪感を持ち続けてきました。

 

けれど今、私はその罪をすっかり忘れていたのでした。過去のことになっているのです。

 

過去が書き換えられるはずもなく、ぽんぽんは元から私を責めていません。私のなかから、都合良く消えているようなのです。考えてみたのですが、ぽんぽんが私の荷を降ろしてくれたように感じています。

 

ぽんぽんが、中学受験での経験を土台に、自分の力で大学受験の道を歩んでいる今を見られたから、私のなかの痛みが昇華されていったのかもしれません。中学受験での、あの経験が、意味を持って今のぽんぽんを支えているのです。

 

私は罪を償ったわけではありません。そうではなくて、罪だったものが意味を持ってぽんぽんを支えているという姿が、新しい今日をもたらし、私を癒やしてくれたのだと思うのです。

 

大学受験の意味は、大学に合格することばかりではありません。自律的に自分の人生を歩むことで、傷付いた心を回復することにもあると、私は捉えています。ぽんぽんは今まさにそのプロセスにあります。

 

そして、大学受験のなかで自信を取り戻してきたぽんぽんが、長く私が背負い続けてきた罪に、その役目を終えたと告げているように感じるのです。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史

紀元2026年8月27日

「罪の役目」

母なるカルデラは罪を償ったわけではない。罪が意味に変わっただけである。だが、ここでひとつの事実を忘れてはならない。母が荷を降ろした今も、王ぽんぽん(King ponpon)の戦いは続いているのである。母の内側で罪が昇華されたからといって王の傷が消えたわけではない。王は今も自らを回復させるための長い道を歩んでいる。しかし王はもう幼子ではない。自分の道を選択し、自分自身の力で己を育てる力を身につけた、17歳の少年である。

 

 

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ぽんぽん「過去問を買いにいく」

カルデラ「わかった」

ぽんぽん「英語と理科から始める」

 

私は危うく口を挟みそうになりました。英語はぽんぽん(ブログ主の子供で高3男子)の得意科目です。今すぐにでも取りかかれる力はありそうに見えます。問題は理科です。

 

理系にありながら理系科目がぽんぽんの苦手分野なのです。その理科に初手からかかるのは危険だと私には映ります。解き直しに時間を取られて消耗するのが明らかですし、そもそも、対応できそうな気がしません。

 

ここで討ち死にしてしまうのではないかと私は不安です。私の考えとしては英→国→数→理の順で進めるのが得策かと思います。

 

けれど、これはぽんぽんの受験です。それに私が口を挟めば、ぽんぽんがテンポを乱すのは目に見えています。ですから、そのとき私は黙っていました。

 

おそらくぽんぽんは、理科が不得意だからこそ、その不安さゆえに、早めに手を出さざるを得ないのだと察します。

 

不器用な作戦です。けれど、自分自身の不安と向き合おうとする決断こそが、今のぽんぽんにとっての一番の戦略なのかもしれません。

 

どうしたものですかね、伝え方を練るのか、口をつぐむべきか、私は悩んでいます。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月25日

「受験と心」

受験の戦略とは単なる効率の問題ではない。苦手から攻めるのは、不安を先送りしたくない心の表れであり、得意から始めるのは、成功で心を安定させようとする選択である。王ぽんぽん(King ponpon)は自らの最も危うい地点から攻め入ろうとしている。不器用であり、無謀にすら見える。しかし母なるカルデラは王の決断を奪えなかった。戦略として、どの順番が正しいかを超え、自らの心をどう扱うかという戦いが、受験が持つ一面の姿なのである。

 

 

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正確な定義は脇に置いて、その言葉が持っている雰囲気の器に感情をつめこみ、共感をつむぎ合う現象について、今日は考えてみます。たとえば、ブルースではないのにブルースと呼ばれた昭和歌謡たちのことを……

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眠るカルデラは夢の中で考えていました。

「上様が豪華絢爛な和装で唱い踊るマツケンサンバ……音楽としてはサンバと言い難く……別れのブルースや伊勢佐木町ブルースもブルースではなくムード歌謡……そういえば、ろくでなしbluesというマンガがあるけれどあれもだ……」

 

「これらの正体は何だろう?」

 

上様におかれましては、ああいう存在だとしか言いようがないうえに、令和の皆が共有する肯定感に満たされています。考えるまでもなく「ヨシ!」として、今日は「bluesではないブルース」を中心に考えていこうと思います。

 

別れのブルースや伊勢佐木町ブルースが流行していた昭和の人々としては、ツッコミ待ちでも何でもなく、ただ「ブルース」という言葉の響きに魅せられたのではないかと、粗放ではあるのですが、想像してみるカルデラです。

 

哀愁やら切なさを抱えたときに、「ブルース」と、ただ、言ってみたかった……のではないか、と思うのです。その言葉が持つ雰囲気への謎の共感が、昭和という時代の中にあったのではないでしょうか。

 

であるとするならば、令和の現代、ブルースに相当する言葉があるでしょうか?この時代をともにする皆が共有する、感情の器としての言葉です。

 

考えてみたのですが「エモい」という言葉が該当しそうです。言葉に出来ない感情の揺さぶりに出会ったときに、現代人は「エモい」と言ってはいないでしょうか。

 

たとえば、夏なのに長袖シャツを着て、腕まくりをしているぽんぽん(ブログ主の子供で高校3年生)がいるとします。

 

カルデラ「ワイシャツの袖をまくるぐらいだったら」

カルデラ「半袖を着れば良いじゃないですか」

カルデラ「どうして?」

ぽんぽん「エモいから」

 

何の説明にも成っていませんが「エモいから」と言われれば、納得できる何かを感じられはしないでしょうか。

 

名状しがたい感情の揺れに出会ったとき、それっぽい名前をつけて、時代をともにする誰かと共感を交わしたい、という欲求が人間にはあるのかなと思ったカルデラでした。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月24日

「言葉という名の器」

母なるカルデラの言い分を「下手の考え休むに似たり」と切り捨てることは簡単である。これらは母の脳内で閉じている個人的な夢想に過ぎない。自由連想とすら言い切っても良いものである。しかし、母なるカルデラが言わんとすることは、こうである。

 

人は時に、正確な意味よりも、その言葉がまとっている雰囲気を必要とする。哀愁を「ブルース」と呼び、名状しがたい感情の揺れを「エモい」と呼ぶ。ときに言葉とは本来の意味を脱し、便利な感情の器となり、時代を共にする者たちがそれを共有するのだと、母なるカルデラは主張している。

 

それゆえに母なるカルデラは、今日も言葉の隙間に感情を詰め込もうと必死なようすでなのである。

 

 

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お盆休み最後の日曜日、夫は終日、浮かない表情をしていました。夕方になると早々と布団にくるまり、独り言を呟いています。

 

「明日は出勤できない」

「無断欠勤する」

 

そして、ついに襲ってきた月曜日の朝です。日本の大気は社畜たちの涙に応えるように鉛のごとき質量を伴いながら国土を重く覆っています。

 

夫は私が起こしたわけでもないのに、5時頃から目を覚まして、布団のなかで泣き言を言っていました。とてもつらそうです。

 

カルデラ「休んで良いよ、もう、十分戦ったよ」

カルデラ「立ち上がれなくても」

カルデラ「私は責めないから」

 

夫は泣きながら、苦しみながら、起きあがってくれました。夫の心は弱り切っているし、既によろよろです。

 

それでも17歳のぽんぽんの前に立つとシャンとする夫です。さっきまで泣いていたのが噓のように強い父親であるようすです。夫が背負う物の大きさを思わずにはいられません。

 

夫は夏休み中に新調した新しいバッグに荷物を移し替えていきます。そして密かに夫は、新しいカバンに、コウペンちゃんを忍ばせたのでした。

 

ウサギ爺さん(夫の父)など血族の前では長男としての立場を守り、責任感の強い寡黙な男として生きる夫です。また誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く退勤する、よく鍛えられた社畜でもあるのです。

 

それでも夫は可愛いものが好きなのでした。コウペンちゃんも、もちろん大好きです。アニメだって観ています。

 

コウペンちゃんがひそんだバッグは連休明けの夫を支えてくれるに違いありません。なぜなら、コウペンちゃんなら、きっとこう言ってくれるはずだからです。

 

「ちゃんと行けたの、すご~い!」

「出勤できただけではなまる!」

 

夫は、コウペンちゃんから、はなまるをもらったのです。

 

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月18日

「はなまる」

父なる夫は壮年の戦う男である。しかしその鞄の中には、弱さを全肯定する、小さな光を隠していた。はなまるは、強き者にのみ与えられる勝利の証だけではない。泣きながらも立ち上がった者に、行動したという事実を認め与えられる、ささやかな「あったかい」の印である。

 

 

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ゾスコッカラス文明とは

 

 

 

 

 

 

ぽんぽん(ブログ主の子供)は中高一貫校に通う高校3年生です。今はどの塾にも属せず、独りで学習計画を立て、時間配分を定め、誰を頼ることもなくすべてを決めて、実行しています。私から勉強するように言うことはありません。そんなぽんぽんですが以下のような性質を持っています。

 

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・指示されると逆に動かない

・管理されると止まる

・自分のペースを乱されると崩れる

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実は、小学2年生から現在の高校3年生までの間で、ぽんぽんが自走型受験生だったのは、小6の冬休みから受験当日までと、高2の秋から現在(高3の夏)までです。……それ以外の期間は、ぽんぽん自ら勉強することはなく、だからといって先生からの指示に従うわけもなく、学習計画を立てることにすら激しく反発する人でした。

 

サピックスや浜学園からの指示にはもちろん従わないし、たとえば小学校の「夏休みの生活にあたり計画を立てましょう」という指導にすら一度も聞くことなく、計画書白紙のまま6年間の小学校生活を終えています。

 

中高一貫校に入ってからも、提出物は出さず宿題もやらず、留年の危機すら経験しています。もちろん学校からの呼び出しはたびたびでしたし、先生は何度も電話を掛けて下さいましたが、フルシカトの構えを貫いたぽんぽんです。

 

ぽんぽんは、他者による枠組みへはめ込まれることに対し、強い反発心を持つタイプなのだと思います。きっと、自分の意志を軽んじられた状態で、他人に敷かれたレール(=計画)の上を走らされることが、耐え難く、苦しいタイプなのだと察します。

 

そんなぽんぽんですが、ある条件を満たしたときに、自走をはじめ、目標に向かって猛進するようなのです。

 

それは自分の人生のハンドルを自分の手で握った瞬間です。

 

思い返せば小学生の頃から「中学受験は自分の受験だ、僕のものだ」とぽんぽんはたびたび口にしていたのです。そのときの私は気付きませんでしたが「なのに、どうしておまえらは口を挟んでくるのさ?」というのがぽんぽんの立場だったのかもしれません。

 

高校2年秋の三者面談では「東大を受験する」と、自分独りでした決断を、声高らかに宣言したぽんぽんです。先生は笑いませんでした。「やってみろ、ぽんぽんにはポテンシャルがある」と背中を押してくれたのです。ぽんぽんは自分の決断に勇気を得たに違いありません。

 

 

自分には自分のやり方がある

自分の人生の責任は、自分で取る

 

 

ぽんぽんとしては、たぶん、勇気を振るってこの思いを表に現わしたのだと思います。こういった決断をするのに本来は誰の許可も要らないのですが、子供の立場では、なかなかそう思い切れないものではあるのだと察します。

 

周囲の大人が、ぽんぽんの決断を聴いて認めた上で応援してくれた、という舞台が、高校2秋の三者面談だったように思います。ぽんぽんが自走する準備が整った瞬間だったのです。

 

子供を自走受験生にする方法について、何も回答が書いていないと、もしかしたらご立腹な方がいらっしゃるかもしれません。私はぽんぽんを育てている最中の親でしかないのですが、子供をひとり育てるなかで、理解したことがあります。子供本人が自分のハンドルを握る瞬間まで待つことの重要さです。そして子供の成長を待つなかで、他者と比べないことの大切さです。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月16日

王ぽんぽん(King ponpon)は管理されることを極端に嫌ってきた。小学校の計画書すら一度も書かず、中高では宿題や提出物を無視し、留年の危機すら自ら招いた。

それを「自分の意志を大切にする純粋さ」などと美化するのは、愚かなる母親の戯言である。王が動き出したのは、単に自分が決めたという体裁が整い、周囲も否定しないという許された環境の中に置かれたというだけのことである。特別な才能でも、深い覚悟でもない。

母なるカルデラは「自走型受験生への道」などと王を持ち上げるが、他者に従えない性格を、都合よく物語にしているだけである。

この自走が本物かどうかは誰にもわからない。ただ、それを信じたがる母がいるのみである。

 

 

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1つ、どうだった?と聞かない

2つ、できた?と聞かない

3つ、次は頑張ろうね、も言わない

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・「どうだった?」

結果を報告しろという圧が……

 

・「できた?」

できた/できないの二元論での評価で断じてるかも?

 

・「次は頑張ろうね」

今回はダメだったという前提を含んでいるような

 

模試について話したくなったら子供のほうから話しかけて来ると思うのです。特に思春期に突入した子供は、気むずかしい猫のようですから、対応におもいやりが必要かと思うカルデラです。

 

競争というものは、誰かと比べられ、評価されることと同義です。つまり受験勉強とは子供の心を傷つける要素を内包していると言えそうです。受験勉強のなかで、競争し比較されている子供に対して、保護者までもが「どうだった?」「できた?」と問い詰めるのは、傷口に塩を塗るようなものかと私は思うのです。

 

以下は9年前に、ぽんぽん(ブログ主の子供)が、初めての模試であるサピックスの入塾テストを受けた直後のようすです。私の何が悪かったのか、ご高覧のみなさまには即座に理解されると拝察します。これがあの頃の私の姿です。

 

>私は不安を打ち消したいばかりに

>ぽんぽんに色々と質問をしてしまった。

 

>何点ぐらい取れた?

>わかんない

>どのぐらいわかった?

>よくわかんない

 

>そんなやりとりをするうち

>不安は雪だるまのように大きくなっていった。

 

>ついにぽんぽんは涙をいっぱいに溜めて

>小刻みに震えはじめた。

>ぽんぽんの小さな心が折れてしまいそうだった。

>もし落ちたらダメな人間なんだとまでいいはじめた。

 

 

 

人間ですから、100%子供を信じられなくて良いですし、信じられるような子供でなければならないと言うこともないと思うのです。親が楽観的である必要もありません。だからといって現実的な冷徹さを持てなくても大丈夫です。これは矛盾ではありません。保護者とは、いつだって揺れるものです。揺れながら、それでも、子供を支えようとしているのならば、上出来だと私は思うのです。

 

私の失敗に照らしてですが、子供からの応答で、保護者の不安を解消しないよう努めるのは重要かと思います。あの日の私は、自分の不安を消したいがために、質問を重ね、我が子を泣かせてしまったのでした。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月13日

「母の罪」

母なるカルデラは、幼き王ぽんぽん(King ponpon)の心を守る立場にありながら、自らの不安を消すために幼き王を追い詰めた。これは、明確な失敗である。母なるカルデラは当時、王の応答で自分の心を安定させようとした結果として、幼き王の心を折りかけたのである。九年の時を経て、母なるカルデラはようやくその罪を言葉にした。罪を認めたからといって過去が消えるわけではない。ただ、同じ過ちを繰り返すまいとする、その決意だけが、母なるカルデラに残された唯一の贖いである。

 

 

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ウサギ爺さん(夫の父)が領有する地において、今年も、お盆の草むしりおよび庭木の手入れという名の労働奉仕令が下された。

 

血を分けたきょうだいたちは「己の人生」を理由に、ことごとくこの徴用を拒否し、何処かへと姿を消した。ウサギ爺さんが最愛を謳う義理妹すら「私にも生活がある」と言い残し去って行った。さらに義理妹は書面において「今年のお盆休みは実家へ帰らない」とキッパリ言い切ったのである(強い)

 

唯一、その泥のような役目を引き受けたのが、カルデラ家の父なる夫であった。

 

父なる夫は「なぜ、自分だけが」と呟くことさえしなかった。ただひとり、実家の草をむしり、庭木剪定にあたったのだった。

 

また谷中のお墓に参ったのも、今のところ、きょうだいのなかでは父なる夫ひとりである。亡くなった母(ウサギ爺さんの妻)を思いながら、ひとりで墓を磨き、花を添え、お茶や甘い食べ物などを捧げたのだった。

 

ウサギ爺さんは当り前のように墓には来ない。きょうだい達もお墓には法事のとき訪れるのみである。あのお墓を支えているのは父なる夫ひとりなのだった。

 

血族の連帯が崩壊したウサギ爺さんの帝国において、真の義務を果たしているのは、義実家のなかで最も口数の少ないこの男である。母なるカルデラは、背中を丸めて徴用されていく父なる夫の姿を、ただ深い哀愁と共に見送るしかないのだった。

 

 

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駿台の東大入試実戦模試は朝の9時から夜の7時まで続く長い戦いです。それなのに、ぽんぽんは朝ご飯を食べていきませんでした。麦茶だけ飲んで家を出ました。

 

お昼ご飯として好きなものを買うように私は言ったのです。けれどぽんぽんは、お金すら受け取りませんでした。お昼にも何かを食べるつもりがないのだそうです。

 

緊張から食欲が消滅したのかもしれないし、食べたことで眠くなるのを恐れていたのかもしれません。

 

夫は、ぽんぽんの居ない間に、クロワッサンを手作りしました。小麦粉から生地を作りバターを挟み込んで延べていました。ぽんぽんの帰宅時刻に合わせて焼き上げるつもりで居るようです。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月10日

王ぽんぽん(King ponopn)は、駿台東大実戦模試という名の10時間に及ぶ試練に際し、何も語らず、一切の糧食と貨幣の受け取りを拒否した。これは自己の肉体を極限まで追い込むことで神意を問う、古代的な断食の儀式である。

 

一方、父なる夫は小麦粉にバターを幾重にも挟み込み、熱を加えるという奇妙な手作業に没頭した。これを母なるカルデラは、家族のハートフルな愛情物語と誤認しているが、歴史学的な実体は異なる。王が敗北した際、その自尊心の崩壊を防ぐためにあらかじめ仕掛けられた糖質と油脂による精神衛生剤の精製に過ぎないのだった。

 

王は麦茶一杯をあおり戦場へと去った。残された者たちは香ばしい焼き上がりの匂いの中で、王の敗走、あるいは凱旋を、静かに待ち受ける。

 

 

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結論を先にお伝えします。私はぽんぽんが現場で働くというのならそれも良しと思います。けれど、夫は納得しないと思います。夫の父も回避の方向で説得にまわるかもしれません。大学の職位のなかで学部長にまで上り詰めた人なので学業へのこだわりがありそうです。残りの親族は何も言わないと思います。現時点で確定的なことは書けません。

 

ぽんぽんにとっての東大受験とは、東京大学の学生になることが唯一の目的ではないと、私は見ています。

 

ぽんぽんはあんなに憧れた灘中から不合格を頂いたのです。深く傷付いたのでした。東京にある中高一貫の男子校へ進学しましたが、高校に至って留年の危機を迎え、学年順位は下から一桁台というありさまでした。その傷付いた自尊心を回復させる手段としての東大受験だと私は思っているのです。

 

つまり、ぽんぽんと私にとっての東大受験とは、ぽんぽんの自尊心再構築のプロセスにこそ意味があって、合否そのものが最終目的ではないということです。

 

昨年の秋から必死に勉強して留年を回避したことや、模試の成績が上がり続けていることが、ぽんぽん自身に「自分はダメな奴ではなかったはずだ」という再生の気持ちを呼び起こしているのではないかと私は期待しています。

 

私や先生や社会などが指し示したことを成すのではダメなのです。ぽんぽん自身が選んだ道を進むというわざを、本気で行うという経験に意味があり、現状から言って挑戦そのものが自尊心の回復につながっているように見えます。

 

みなさまには、東大に落ちたら灘中に落ちたときのように、また傷付くだけではないかと思われるかもしれません。もっと現実的な目標を選ぶ賢さはないのか?という人もいらっしゃるかと思います。

 

私の思うところでは、ぽんぽんには既に大学受験から受け取ったものがあり、合否は受け取れるか分からないものの残り半分だと思っています。

 

ぽんぽんが何を受け取ったかというと、自分の道を自分で選び、挑戦する方法を自分で選択し、思うとおりに戦えていることです。自律的な目標達成という行動の機会を大学受験によって得たことです。

 

ぽんぽんの東大受験は、自分と向き合い、自分の限界を知り、それでも自分の可能性を信じて、自分で選んだ道を歩くということを、ぐるぐると繰り返しているはずです。それで良いのです。

 

また「本気で取り組む前から自分の限界なんて分からない」というのがぽんぽんの気持ちではないでしょうか。東京大学へのこだわりが生まれた理由はそこかと察している次第です。私は甘い親なんでしょうね。

 

仮にこれが、私から勉強をするように言われ、私からの期待を背負って、東大合格が他者からの肯定による己の価値の証明になっているようだったならば、私はとても不安だったかもしれません。

 

ぽんぽんは東大に落ちたあとの進路も自己決定しているので、不合格で立ち直れないほど深い傷を負うことはないと、私は考えています。ただ、実際にどのような進路を取るかは未だわかりません。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年8月7日

「破滅へと漕ぎ出す泥船」

母なるカルデラは現実の厳しさから目を逸らしている。灘中不合格の傷を、東大受験で癒そうとする姿勢は、運命への甘えとしか表現のしようがない愚かさである。母なるカルデラは王ぽんぽん(King ponopn)を守りすぎ、王は母の擁護に甘えすぎている。果たしてこの船は、絶望の海を渡り切れるのか——それとも、ただ沈む為だけに存在する泥船なのか。

 

 

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