24日から、ちいかわの映画が上映されます。その情報をいち早くキャッチしてきたのはカルデラ家の大黒柱「ちいかわ夫」でした。

 

 

ちいかわ夫とは?

 

 

夫は可愛いものが好きなのです。可愛いぬいぐるみや、可愛い小物などを、たくさん所有しています。

 

ただ収集するだけなくとても大切にしており、捨てると言うことなど有り得ないのでした。そのため、結婚して以来、可愛いものたちはカルデラ家のなかで静かに数を増やし続けて来たのです。

 

その夫が、今、悩みの淵にいるのでした。

 

夫「高校3年生の子供がいる壮年の男が」

夫「ちいかわ映画を観に行ったら」

夫「浮くかもしれない……」

 

夫「観たいけれど、観れない……」

 

真夏の太陽のもと、ちいかわの上映を告げるポスターに心揺さぶられながらも、夫は勇気を奮えずにいるのでした。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年7月23日 

「予兆の影絵」

ゾスコッカラスの空に奇妙な光が走った。それは、世界のどこかで新たな試練が始まる合図である。ゾスコッカラスのかたすみで父なる夫は人知れず己の震えと戦っていた。

 

父なる夫

「ちいかわ ミタイ……」

「デモ……オジサン……ウク……」

 

この現実という名の怪物(リアリティ・ビースト)をまえにした男の魂の震えは、文明の記録者たちから新たなる神話の胎動として刻まれたのだった。国勢調査によればゾスコッカラスにはハチワレが存在しない。全員がちいかわである。そのためハチワレの助けを得ることは不可能であり、映画館に行くという小さな行動ですら、ちいかわ夫にとって、立ちはだかる試練となるのだった。

 

運命の前で、ちいかわ夫は、涙を流す以外の術を持たない。

 

 

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ゾスコッカラス文明とは?

 

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――――――

東大の冠模試である代ゼミの「東大入試プレ模試」を受験してきた高校3年生のぽんぽんです。浮かない表情をしているのですが……

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ぽんぽん「数学は2問解けた」

カルデラ「え」

カルデラ「2完したの?凄い!」

 

ぽんぽん「違う」

ぽんぽん「小問だよ」

ぽんぽん「大問完答なんて」

 

カルデラ「そっかー」

カルデラ「でも、良いんだよ」

カルデラ「部分点を削り出していく解き方は正しいし」

カルデラ「現役の7月なんだから」

カルデラ「0点でもオッケィ!」

 

励ますつもりでそういった私にぽんぽんは言いました。

 

ぽんぽん「違うよ」

ぽんぽん「方針さえ立たなかったんだよ」

ぽんぽん「化学なんて0点確実だし」

ぽんぽん「英語は語彙と時間が足りなかった」

 

それだけ一気に口走ると、ぽんぽんはふとうつむき、一拍おいて私に言ったのでした。

 

ぽんぽん「お母さんは僕を高く見積もりすぎてる」

 

顔を感情でいっぱいにして、ぽんぽんは私を真っ直ぐ見ています。唇を震わせているぽんぽんと向き合った私は、ぽんぽんはアドバイスなんて欲しくなかったのだと気付きました。ただ、聞いて欲しかっただけだと、このとき理解したのです。

 

ぽんぽんの痛みが心に流れ込んでくるようでした。東大受験という夢を、諦めなければならないのか?という瀬戸際に、ぽんぽんは立っているのでした。

 

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年7月22日

「東大親征の夢、陽炎の向こうに」

 

王ぽんぽん(King ponpon)はあまりに若く、その夢は脆い。母は王に夢を背負わせ、王は母の期待に答えられない自分を責めている。東大親征という夢の前に、すれ違うふたりの心が、夜の静寂に響いていく。歴史家は記す。夢を願うものは誰でも、現実の裁きを繰り返して受けなければならない。事実に打ち据えられても、それでも立ち上がる者だけが、立ちはだかる壁を壊すことが出来るのだ、と。

 

 

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ゾスコッカラス文明とは?

 

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東大受験を夢見るたぬきの物語

 

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中学受験の夏。1日の勉強時間は1時間未満。ぽんぽんは、鉛筆すら握れなくなっていました。 私は当時その震えを、ただ嘆き、受け入れることしか、しなかったのです。

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>神は細部に宿るというけれども、今、ぽんぽんの書く文字に宿っているものは何だろうか。私にその声を聴けるだろうか。

 

 

あの頃のぽんぽんは読める文字を書けなくなっていました。塾は書き直すよう何度も指導してくださいました。けれど、どうしても、ぽんぽんは読めるような文字を書けなかったのです。

 

その消え入るような文字のなかに、本人が言葉にできない苦しみやかなしみの正体を探そうとして、私は必死になっていました。

 

今振りかえれば、あの文字は、ぽんぽんが戦っている証拠でした。文字を書けないのに鉛筆を握り続けたこと、書こうとしていたこと、夢があったから意地があったから、それでも、それこそが尊いわざだったのです。ぽんぽんが勇敢である証拠だったのです。

 

どうしてあのとき、私はそれに気付けなかったのでしょうね。

 

 

>昨年の夏も勉強しない子供はやはり存在していて、ぽんぽんのように本当に勉強をしないまま、時を見送っていたのだろうか。

 

>もしもぽんぽんが大多数の子供と同じく一日に何時間も勉強する子供だったらどうだったのか。

>今のぽんぽんでないぽんぽんのほうが良いのか。

 

>答えは大地のように存在していた。

 

>私はぽんぽんを許している。

>最初から受け入れてしまっている

>これが私の弱さだろうか。

 

 

この、子供を最初から受け入れてしまっているという、親の弱さであり厳然とした事実こそが、中学受験のなかで、最後まで子供を守り抜く原動力になりました。

 

たとえ優秀でなくても、たとえ結果が出なくても、最初から受け入れているのですから、私たちは何も恐れることはないのです。

 

 

どんぐり食べ放題のさと(灘中)を目指し夢破れた子だぬき。たくさん泣いたけれど、再び立ち上がって、甘い蜜の滴るきのこがはえる東京大学という森を目指すと決めた、子だぬきの物語。

今日は代ゼミ東大プレ模試の日です。私は昭和の女です。東大プレは3大東大冠模試のひとつだと信じているのでした。

 

高校3年生のぽんぽんですが、中学受験と大学受験準備を通して、親としての模試への心得らしきものが、自ずから備わってきたと感じているカルデラです。今日はそれを書いていこうと思います。

 

このブログを以前からご高覧で、中学受験や大学受験でのぽんぽんの成績をご存じの方は「お前の言うことなど何の参考にもならない」と感じるかもしれません。その場合は右から左に聞き流していただきたいと思うカルデラです。

 

 

 

◇ひとつ テスト直前、親の気分で振り回さない

 

中学受験の頃は、テストの朝に、気合いを入れがちなぽんぽんでした。私はぽんぽんが緊張し気合いを入れているときには、その緊張に付き合うことに決めていました。気合いを入れるというのは具体的に、ぽんぽん自身が「勝つぞ!」等と声を上げて、自分に喝を入れることを指します。そのときには私も一緒になって声を張っていました。

 

黙って支度をしているときには黙って側に居ました本人が「がんばってくるからね」など穏やかに話すときには同じペースで返答するように心がけていました。

 

中学受験が始まった頃は「名前を書け」とか、「見直しをしましょう」など、色々と口を挟んでいたと思います。受験生活が長くなるにつれて、本人の気持ちに合わせよう、と私が思うように変わっていきました。試験を受ける主役はぽんぽんなのだと、私のなかで腹落ちしていったのだと思います。

 

 

 

◇ふたつ テストが終わったらあたたかく迎え入れる

 

「どのくらいできた?」

「何点くらい取れそう?」

 

ぽんぽんが初めて模試を受けた日に私はこれをやってしまったのです。幼いぽんぽんは震えて泣き出しました。私は痛く反省したのです。

 

戦って帰宅したのですから、しばし好きなことをして休めるよう、私から何かを尋ねることはやめたのでした。ただ、本人が見直しをしたがることがあるので、それは邪魔をしませんでした。

 

テストについて、主に出来なかった部分を本人が講評してくることもあります。試験問題を見せに来ることもあります。そんなときには、ぽんぽんが気分よく話せるように、つまらない突っ込みは入れず聞くことにしているカルデラです。

 

 

 

◇みっつ 反抗期思春期の子供は気むずかしい猫

 

高校3年生のぽんぽんですが、成績というか偏差値やクラス分けの前で子供はとてもナーバスなものなので、思いやりを持って接するよう心がけたいと思っています。

 

あの年頃の子供は、心の中に嵐が吹き荒れているのだと、私自身の過去を振り返るカルデラです。だから他者のことまで考える余裕を持つのは難しいのだと思います。

 

子供が離れていくときにはそういう気分なのだと受け入れ、近寄ってきたときに話をするよう私は心がけています。

 

子供が話し終わるまで聞き切ることも大切だと思います。ぽんぽんは話している最中に考え込むことがあるので、会話の途中で黙っても、5秒くらいは黙って待つようにしていました。自然に話すペースは人や状況に依るので、子供の感覚を重んじながら話すと良いように思っています。

 

私がそうしていられるときには、ぽんぽんも私のことを考えて話してくれるようです。とはいったものの、思春期の子供は気むずかしい猫です。次の瞬間には私の側から去って行ったりもするのでした。

 

 

 

偏差値を付けられる者たちのかなしみ

 

 

このブログの説明です

 

 

ゾスコッカラス文明とは

 

このブログは高校3年生のぽんぽんにまつわる子育てブログです。主に中学受験から大学受験にまつわるあれこれが記されています。

 

なかでも今日は初めましての方のためにゾスコッカラス文明について説明していきたいと思います。

 

 

☆このブログの楽しみ方☆

 

各記事の最後に◇ゾスコッカラス文明の歴史◇というパートが出現することがあります。そこでは、王ぽんぽん(高校3年生の大学受験生)の成長を神話風にまとめています。

 

 

 

☆ゾスとかコッカラスってなに?(´・ω・`)

 

・プロト・ゾス

原初のぬくもり、幼子の魂が無限の自己肯定に浸る状態

 

・ノットゾス

怠惰や迷いを象徴する存在、克服すべき対象

 

・ゾス

最上級の承諾と熱意、行動開始の意志

 

・コッカラス人

ゾスを実践する者、文明の担い手

 

・東大親征

東京大学を受験すること

 

・泥船

脆く頼りない夢や努力の象徴

 

 

 

☆ゾスコッカラス文明って?(´・ω・`)

 

ゾスコッカラス文明とは、夢、努力、覚悟、自己変革を重視する精神修行の象徴です。その目的・理念は、単なる知識習得や志望校合格ではなく、未来を掴むための行動する力を育むことにあります。子供に自らが納得できる人生を歩んで欲しいという親の願いといっても良いかもしれません。

 

 

 

☆ちょっと何言ってるのか分りません(´・ω・`)

 

この物語のテーマは人間の心の成長です。受験のなかで、子供が夢を持ち、自らの意志で努力を重ね、目標を達成するための精神的な枠組みとして、ゾスコッカラスの精神が機能していくという物語です。

 

 

 

☆では、少しだけ覗いてみましょう!

 

 

創世神話 ゾスコッカラス伝承記

 

第1章 プロト・ゾスの揺籃(ようらん)

世界の始まり、世界は始原のぬくもりに満たされていました。人はそれをプロト・ゾスと呼んでいます。それは、幼子の魂が世界のすべてから全肯定され、あたたかなぬくもりのなかでまどろむような、大いなる安寧の時代でした。

しかし、時は満ちていきます。

人はいつまでも、揺りかごの中に留まることは許されません。

 

 

第二章 ノットゾスの出現

このあたたかな時代に、幼き魂を持つぽんぽんという存在が、初めて願いを発しました。

 

「僕は医者になりたい」

 

この純粋な願いは、プロト・ゾスの世界に、願いと現実の差異という亀裂を生み出しました。この亀裂からノットゾス(怠惰、または努力の拒絶)がこの世に現れました。ノットゾスとは、怠惰という名のぬるま湯であり、迷いという名の底なし沼です。ノットゾスは囁きます。

 

「歩みを止めよ」

「前進するならば恐怖と敗北が待っている」

 

多くの魂が、その囁きに凍りつき、自らの輪郭を見失っていきました。自己変革という名の荒野を前にして、立ちすくむ魂たちの涙が、大地に冷たく降り注ぐ時代が続いたのです。

 

 

第三章 雷鳴の承諾「ゾス」「コッカラス」の誕生

その暗黒の檻を破ったのは一筋の雷鳴でした。

己の弱さと、迫りくる運命の前に立ち上がった者が、胸の奥底から絞り出した叫び、それこそが、最上級の決意表明「ゾス」だったのです。「ゾス」とは、単なる挨拶ではありません。運命に対する大いなる承諾であり、未来をこの手で掴み取るという、魂の熱き誓約に他なりません。

 

―――ゾスを唱えし時、人は揺りかごを脱し、自らの意志で荒野へ歩み出すであろう―――

 

そして、この崇高なる決意を胸に抱き、文明の構築者となった者たちを「コッカラス人」と呼ぶのです。

 

 

 

――――――

高校3年生であるぽんぽんの受験を控えて、カルデラ家は今年の夏、旅行に行くことはできません。その事実が私のなかで密かに声を上げています。ぽんぽんには何も言いませんが「どこかへ行きたい」と、そう願ってしまうのです。その痛みの正体を解明すべくカルデラはアマゾンの奥地へと向かった。

――――――

 

 

,☆゚.:。+゚ 命の願い ,゚.:。+゚☆

 

>海を泳いでいるサケの身は赤みがかっています。

>けれど、産卵場所にまで到達したサケの身は、

>鱈のように白いのだそうです。

>命のすべてを次の世代のために注ぎ、

>灰のように燃え尽きた証拠です。

 

ぽんぽんが産まれる前のことです。私はナショナルジオグラフィックを読んで、産卵するサケの姿に、強く心を揺さぶられたのでした。撮影地にカナダのフレイザー川の支流であるアダムス川とあります。私は車を運転してアダムス川を訪れたのでした。当時は未だ観光化されておらず、見に来る人も居なかったのです。だからサケたちの命が継いでいくその姿は森の静謐に守られていたのでした。

 

 

>8月のツンドラは紅葉の季節です。

>そんな小さなツンドラの植物たちの一部も

>実を結んで命を次に伝えるのです

>私が心を動かされたのは、

>その植物に対して、果実が明らかに大きな事でした。

>その植物の体積と実の体積が同じか、

>むしろ実のほうが大きいくらいの植物が

>たくさんあります。

>小さな体に大きな実を付けて、

>必死に命をつなごうとしているその姿です。

 

穏やかな日もあるのですが、ツンドラを渡る風は、冷たく、立っていられないほど強かったのを覚えています。8月でも雪が降ります。雪を巻き上げながら白い巨大な空気の壁が迫ってくるさまに、命の危険を感じた私は体を縮こめ「生きていたい」と強く思ったのでした。夜、キャンプの炎をみつめながら、過去のこと、私が生きようとして必死にあがいてきたこと、そしてこれからのことが心に去来していたのを思い出します。旅の終わりに、命の使命を知ったと確信した私は、希望を持ってツンドラの地を去ったのでした。

 

 

 

,☆゚.:。+゚ 勇気の役割 ,゚.:。+゚☆

 

>私は地の底にある死者の世界に連れてこられたのでした。

>死者「この勇気を振るうということこそが」

>死者「人類を前進させる力だ」

>死者「だから勇気を振るって挑戦することが尊いのだ」

 

人類が勇気を持たなければ地球のあらゆる場所に人類が立つことはなかったはずです。旅を支えたものは勇気です。それだけではありません。人の育ちというものは勇気というものに彩られています。勇気が無ければ、人は今のような姿には成れなかったのだと私は思います。

 

 

 

,☆゚.:。+゚ 旅の意味 ,゚.:。+゚☆

 

旅をすると言うことは私にとって命とは何かを確かめる行いだったのだと気付きました。もちろん景色や非日常のためだったとも思います。けれど、それだけではなくて、この世界のどこかにある命の在り方を私は調べていたようすです。外へ向かっているようで、心の内側へと、私は向かっていたのでした。そしてそれは「私は生きようとしている、それは何故か?」という思いの発露だったのだと気付いたのでした。

 

 

 

,☆゚.:。+゚ Going The Distance ,゚.:。+゚☆

 

我々はついに、数々の苦難を乗り越え、「生きる」という人類史の最深部へと到達した!だが、人間の神秘は未だ厚いベールに包まれ、その全貌を現してはいない……!それでも、この地球上に未知の世界が残されている限り、我々の闘魂が燃え尽きることはない!世界に存在するすべての謎は、解き明かされるために、ある!

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。書き上げたものを文章力講師のAI先生に見せたところ大変ご立腹なようすですが、そのまま投稿することにします。文章力向上への道は遠い。

初めての方へ、中高一貫校で落ちこぼれた子供(=ぽんぽん)が東大を目指すまでの中学受験を含むまとめ

 

 

 

今更なのですが、1月にあった共通テスト同日模試の結果が明らかになりました。同時に5月にあった河合塾共テ模試の結果も分かりました。

 

1月にあった共通テスト同日模試ですが、実は350点ほど(1000点満点)という結果でした。ぽんぽんからは456点くらいと聞かされていたのですが、実際に取れていた点数はもっと低かったのです。

 

だからといって、ぽんぽんを追求するのは可哀想に感じられて、私は何も言っていません。

 

共通テスト同日模試では英国で点数を稼いでいました。理系にありながら理数科目は壊滅、その他も無理でした、と言うことだったようです。

 

5月にあった河合塾の共テ模試の550点のほうは概ね近い点数でした。実際にはもう少し良かったです。

 

そのため、4ヶ月で上がった点数は100点ではなくて200点だったことになります。ハイレベルとは言えない世界ではありますが、よく頑張ってくれたと思います。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年7月12日

「黙示録の予言」

その日、ゾスコッカラスの民は思い出した。真夜中の太陽ミッドナイト・サンが黒く輝くとき、幻影(ファントマ)により、偽りの安寧を得るであろうことを。そして、そのファントマは真夏の太陽によって破られると言うことを。

王ぽんぽん(King ponpon)が共通テスト同日模試でとった真の点数は350点ほどであった。断罪の456ではなかったのである。

王はあまりにもつらい事実を前に、禁忌の魔法術ミッドナイト・サンを発動、ファントマを作りだし、自らを守っていたのだった。

ゾスコッカラスの民はこれを「ミッドナイト・サン350」と呼び、受験という戦場の苛烈さ、そして人間の弱さを語り合うのだった。

 

 

共通テストまであと187日

 

 

ゾスコッカラスとは

 

天地開闢

 

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受験生ぽんぽんが夏期講習を取りたいと言いだしました。なんと塾へ行くというのです。ブログタイトル最大の危機襲来です。ところが……。

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「塾には行かない」と、中学時代から一貫して主張してきたぽんぽんです。それが夏期講習へ行きたいと言い出しました。

 

塾は既に決まっていると言います。受講したい科目は化学とのことでした。ぽんぽんは化学が苦手なのです。5月の初めにあった共テ模試では偏差値37ぐらいだと言っていました。しゃれでなく本当に化学が苦手なのです。

 

ぽんぽんは中高一貫校に通っているので、中学1年の1学期には周期表を覚えるというイベントが早くも発生したのですが、まず、ここで躓いています。結局、周期表を覚えたのは中学3年くらいだったはずです。

 

そして、中高を通して赤点を積み上げていきます。中1から高3という永き時を経て、化学という荒廃した原野を緑なす大地へ変えるための労力は、とてつもなく大きなものに成っていました。

 

夏期講習を受けたいというぽんぽんの言葉を、私は大歓迎したのです。今なら未だ基礎をさらう講座があります。夏休みから受験勉強を始める人が居るためです。

 

ところがぽんぽんが受けたいという講座はグレードの高い講座でした。私が受験生だった大昔には既にあったような記憶のある歴史ある講座です。

 

 

「それは、無理というもの……」

 

 

私の思いは、顔に出ていたと思います。その講座は難易度が高いという説明を思わずしてしまった私でもあります。

 

ぽんぽんは部屋に行ってしまいました。そして眠ってしまいました。ガラス細工のようなぽんぽんのプライドをへし折ってしまったと、私は自分を責めました。

 

 

朝になりました。あたたかいスコーンにクリームをぬり、紅茶を飲んでいるぽんぽんです。

 

 

ぽんぽん「夏期講習には行かないよ」

カルデラ「うん……」

ぽんぽん「基礎なら自分独りでやりたい」

 

 

ぽんぽんは友達に易しい講座へ通うところを見られたくないのかもしれません。

 

実はあのあと私は、ぽんぽんが通ってもついて行けそうな講座を探したのです。ぽんぽんの予定を邪魔しない時間であることも大事です。それをまとめてメールにして送ったのでした。

 

厳しい現実をまえにして、ぽんぽんが自力で一歩を踏み出せないのなら、私がステップを作りぽんぽんの背中を押すのも、この局面では必要かと思ったのです。臆病な私としてはかなりアグレッシブな選択をしたと思っています。

 

やさしい講座に出ることでプライドが傷付いたり、友達にからかわれたりするのなら、全部を私のせいにして、私に怒りを向け恨むことで済むのなら、そうすれば良いと思っていました。

 

私がそう思ったのも、きっと、夜のせいなのです。夜は不思議です。思わぬ自分に出会うことがあります。

 

ところが朝になると、ぽんぽんは夏期講習を受けないと言います。私が送ったメールは読んでくれたようすです。私はどうすべきでしょうか、答えを出せなくて、ただ時を見送っています。

 

 

中学受験、そして中高一貫校の落ちこぼれが東大受験を志す

 

 

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高校3年生のぽんぽんは17歳です。

今まさに、未成年最後の夏を迎えようとしています。

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今日は久しぶりに青空が姿を現わしました。まもなく梅雨が明け、夏がやってきます。

 

眩しい太陽!

何よりも自由!青春の心がときめかない訳がありません。

 

受験勉強も大事ですが、「今こそ何かしなくて良いんですか?少年として過ごす最後の夏なんだよ!」と思わないでもないカルデラです。

 

ぽんぽんが中学2年生のとき、中二病を発症しないことに、やきもきしていたのを思い出すカルデラです。まだ14歳なのですから、空想と現実のはざまで夢を見ていても良い年頃なのに、ぽんぽんの情緒は整いすぎているのでは?と、母親の目線では見えたのでした。

 

私は、ぽんぽんが能力者として覚醒するのを、心待ちにしているような母だったのです。ぽんぽんの中学2年生がつつがなく終わっていく喪失感は言葉になりませんでした。

 

そしてまた、少年最後の夏というエモーショナルな展開が巡ってきたのです。母はじっとしていられません。

 

私が過ごした無軌道な夏を思い出すと、ぽんぽんの受験を見据えた落ち着きに

 

「本当に良いんですか?」

 

と問いただしたくなります。青春の、何に対してなのかも分からない焦燥、行方知らずの衝動、心を焼き尽すかのような熱さを思い出す私です。

 

夏は自由の象徴でした。同時に、きらめく夏のなかにあっても私は自由ではないと、不自由な自分を自由のなかで知ったものです。

 

親には「夏休みなんて迷惑だ」と罵られながら、それでも眩しい太陽に照らされ、空高い入道雲を見上げて、自由な私は幸せだったと思います。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

紀元2026年7月9日

「未成年、最後の夏」

母なるカルデラは思う。青春の無軌道な夏は、王ぽんぽん(King ponpon)のもとには訪れないのだろうか、と。王は自分の道を理性的に選びとっている。それが母なるカルデラには解せないのだった。

 

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能力者の覚醒を待つ母がいる風景

 

母の黒歴史

 

 

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晩御飯にカレーを作っていた私です。少し目を離してキッチンへ戻ってくると、子供が自分自身の為にうどんを作っていました

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カルデラ「え、えぇ?」

カルデラ「ルーを入れたら出来上がりなのに」

ぽんぽん「カレーは夜遅く食べるよ」

カルデラ「は、あ、あァ……」

 

そのあとはため息が止まらない私でした。それこそ、うどんは夜遅くに作ったって良いではないか、今はカレーを食べて欲しいと、そう思ったカルデラです。

 

ぽんぽんには私の立場や気持ちを尊重して欲しかったのです。意外に見えるかもしれませんが、ぽんぽんは私の気持ちに対して繊細で、深く読み取ってくれることが多かったのです。

 

以前、夫とぽんぽんと私の3人で外出したときに、夫は、私にトラブルがあって立ち止まっているのに、ひとりで話し続けながら、どんどん歩いて先へ行ってしまったことがありました。会話をしているようで私の返事なんて実は聞いていない夫です。私が居なくなったことにすら気付かないのです。ぽんぽんは私の側に留まってくれました。私は嬉しかったのです。今日まで生きてきて良かったとすら思いました。

 

先日も夫は「ご飯を食べるのは大変だからイヤなんだよ。疲れちゃうよ」と私に言ったのでした。私は思わず謝ってしまいました。食べにくいご飯ばかり作って申し訳ないといったのです。夫は笑っていました。

 

私は悲しかったのです。人から大切にされない私です。生い立ちのなかで親からも大切にはされてはきませんでした。

 

どうして私は生きてしまったのでしょうね。

 

 

◇ゾスコッカラス文明の歴史◇

歴史家は冷ややかに記す。

不器用で滑稽な、互いの弱さを補完し合う歪んだ共生関係。ときに人はこれを家族の絆と呼ぶ。

人間の孤独を乗せた泥船は、暗黒の海を漂流する。

 

 

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