中学受験を志す者たちは、いつか必ず、選別の回廊(コル・セレクティオ)を通過しなければなりません。その細い回廊の神体は、いにしえの神であるヤヌス神だと言われています。
その神はふたつの顔を持っており、全ての親が直面する、不可避の二重性を具現化していると考えられています。ひとつの顔は「断罪の先導者」と呼ばれ、中学受験をする子供に対し、勉強をさせなければならないという義務感を担っています。もうひとつの顔は「聖域の守り手」と呼ばれ、傷ついた子供が逃げ込み癒やされるための、絶対的な慈愛を現わしているのでした。
すべての親はこの回廊で、ジレンマと闘うのです。親が勉強を強いる断罪の先導者として子供を追い込めば、子供は親という聖域の守り手の中にすら、安らぎを見いだせなくなる、という葛藤が生じてしまうのです。 中学受験をするならば、必ず子供に勉強をさせなければなりません。けれど子供がその業(わざ)に絶望したとき、一体どこへ逃げ込めばよいのでしょうか。
また、子供が自らを追い込みすぎることもあります。親は聖域の守り手として子供を慈愛でつつむ局面ですが、それでも断罪の先導者としての役割を忘れるわけにはいきません。子供に勉強をさせなければ、合格を頂けないかもしれないのです。
すべての人間は、明日の幸せは自分で作らなければならないという、宿命を背負っています。それでもぽんぽんは未だ幼く、明日の幸せを自ら創るという高次の魔導を求めるのは酷なことだと、母なるカルデラも理解していました。ですから、ぽんぽんに代わって環境という名の防壁を築き、成果の上がらない荒野の中でも、ぽんぽんが歩み続けられるよう、支えていこうとしたのでした。
けれどこのときの母なるカルデラは、ぽんぽんの逃げ場である聖域の守り手としての立場を失っていたのではないかと、当時を振り返り思い悩んでいます。断罪の執行者としてばかり、まだ幼いぽんぽんを勉強へと追い込みすぎたと、悔やんでいるのでした。
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つらくとも前を向いて歩けるように
