今日は愚痴を吐きます。人の悪口など聞きたくないという方は他のページへ移動することをお勧めいたします。
夫はカメラが好きなのです。カメラそのものも好きなのですが、写真として世界を記録することに惹かれているようすです。夫には情景を物質化して残したいという願望があるようで、ときに現実社会と厳しく対立してきました。私がいるときならば、やんわりと社会にあるルールというか現実との橋渡しが出来るのですが、ぽんぽんと夫の二人だけ、あるいは夫だけとなると、困り感が出てしまうことがあるのでした。
とあるスキー場に行ったときのことです。ナイター設備がないスキー場なので、日が暮れたら下山しなければならない状況でした。けれど夫は夕焼けの美しさをどうしてもカメラに収めたかったらしいのです。夫が撮影ポイントとして定めたのは、ロングトレイルの起点となるスキー場の山頂だったそうです。繰り返しますが日暮れまでには絶対に下山しなければいけません。それが出来ないときには遭難を意味するのです。
写真を撮っている夫にスキー場のスタッフの方が声を掛けてきたそうです。「すぐに滑って降りましょう」といってくれたそうです。その場に居たぽんぽんの話によると、夫はしぶしぶと滑り降り始めたそうです。けれど、ときどき立ち止まっては写真を撮っていたらしいのです。ぽんぽんに「そこへ立って」と指示を出すなどして構図にもこだわっていたそうです。
スタッフの方は少し離れたところから待っていてくれたといいます。爽やかイケメンであるため声を荒げることもなかったそうですが、ぽんぽんは心が痛かったといいます。
夫とぽんぽんが下山したときにはとっぷりと日が暮れていました。ゲレンデのしたで私は随分と心配したものです。どうしてヘッドライトを持たせなかったのかと私自身を責めていました。スタッフの方には感謝するばかりです。
また、とある信仰の山でも、夫とぽんぽんはトラブルを起こしています。その山の頂は狭く、みなで譲り合って写真を撮るのですが、夫とぽんぽんにはどうしても撮りたい写真があり、場所を占有し続けたのだそうです。みんな遠巻きに見て、少し待って、立ち去っていったとぽんぽんは言います。
けれど天罰は下りました。神職の方がやってきて、二人をつかまえ、こんこんと説教をしてくれたのだそうです。なんというありがたさでしょうか。ぜひ心を入れ替えてほしい場面ですが、その後も特に変化は無かったようすです。
私は思うのです。カメラさえなければ、ああ、カメラさえなければ、夫はこんなにも現実と対立することはなかったはずなのです。それでも枕元にまでカメラを持ち込み、画像を論評している夫を見るにつけ、人間がこんなに求めているものを取り上げて良いはずがないとも思ってしまうカルデラではあるのでした。
夫に「周囲の状況も考えてみましょうね」と話してみるのですが「人を優先するか、自分を優先するか」という極論に走ってしまう夫です。夫は当然ながら自分を取るのです。我を通すことは悪いことではありません。何事かを成す人は必ずどこかで我を通しているものです。現実と戦わなければならない場面が訪れることだって、人が人である限り、誰にでもあることだとも思うのです。
現実や社会と折り合いを付けつつ、自分らしくあるとは、とても難しいことだと思うカルデラでした。