飛騨高山のガイドブックを開くと、まず目に飛び込んでくるのが町家建築の立ち並ぶ“古い町並”の景観と立ち寄りスポットの特集です。せっかく高山まで来ていて陣屋と寺社仏閣ばかりではもったいないので、少しだけ街中さんぽを楽しみます
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最初に見えてきた和風建築の大きな建物は、
1895(明治28)年に建てられた旧高山町役場で、その後高山市役所となり1968(昭和43)年まで使われていたものを、整備補修して1986(昭和61)年に高山市政記念館としてオープンしたそうです。建築材には最高級の総檜を用い、当時は珍しかったガラスを入れるなどのこだわりが随所に見られるそうで、ぜひにも見学したかったのですが、月曜休館にあたってしまい叶いませんでした
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市政記念館の柵の間に立派なお社が鎮座しています。祀られているのは火伏(ひぶせ)の神の“秋葉(あきば)さま”で、この後高山の町のあちこちで見かけることになりました。軒を連ねて立ち並ぶ町家建築の大敵は火。ひとたび火事が出れば木と紙の家は次々と燃え広がるのは必定、火伏の神さまは欠かせないものだったのですね。
道の両脇には清らかな水の流れる用水路。
こちらは1794(寛政6)年創業の料亭“洲さき”の外観。柱間より外に突き出した格子は“出格子(でごうし)”という表構えだそうです。一本の松の木と秋葉さまがより風情を添えます
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高山市内を流れる宮川に架かる“中橋”。
橋の上は観光客・・・そのほとんどが外国人・・・でいっぱいです。
とりあえず、せっかくのこの風景を人混みを入れずに撮りたくて・・・
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橋の袂の松の木って風情があっていいですね
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その反対側のお社は“日枝神社御旅所(おたびしょ)”です。ここから少し離れたところにある日枝(ひえ)神社の本社は旧高山城下町の南半分の氏神さまで、“山王祭(さんのうまつり)”と呼ばれる春の高山祭は日枝神社の例大祭なのだそうです。御旅所は祭りのときに御神体を載せた神輿が巡行の途中でご一泊されるところですね。
中橋の袂の広場にも同じく立派な秋葉社があります。
さて、この辺りから“古い町並”が始まるようです。
ガイドブックによると、高山城下の中心で商人町として栄えた上町(かみまち)、下町(しもまち)の三筋の通りを“古い町並”と総称するそうで、地図を見ると城に近いほうから上一之町(かみいちのまち)、上二之町、上三之町、安川通りをはさんで下一之町(しもいちのまち)、下二之町、下三之町と並んでいます。
趣のある町家建築の建物が並ぶそれぞれの通りには、造り酒屋や伝統工芸品の店、和雑貨の店や和風のカフェ、高山ラーメンや飛騨牛、和菓子を味わえる飲食店、料亭などがたくさんあるのですが、映えスイーツにも食べ歩きにもあまり興味のないわたしたちは、ひたすらキョロキョロしながら歩くのみ(笑)。
その中で、おいしい日本酒を求めて入ったのは上三之町の“原田酒造場”です。許可をいただき、築200年という歴史ある店内の写真も撮らせていただきました。
1855(安政2)年創業という老舗の原田酒造場は、飛騨の米と水を使って仕込む『山車(さんしゃ)』という銘柄のお酒が有名だそうで、試飲させていただき、とてもフルーティで美味しかった大吟醸を旅の記念に求めました。
原田酒造場では無料で酒蔵の見学もできるそうです。
酒蔵の中には、ふだんは目にすることのない巨大なタンクが所狭しと立ち並んでいて興味深々
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おっ![]()
。なんと夫の誕生日の翌日の日付が刻まれたタンクを発見
。すわ、この中のお酒と同い年か
と色めきましたが、よくよく考えたら日本酒に60数年物などんてあまり聞いたことがないし、「検」の文字から想像するに、このタンクの検定年月日ではないかと・・・。でもでもとりあえず満面の笑みで記念撮影![]()
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同じく上三之町の香舗(こうほ)“能登屋(のとや)”。店頭からもういい香りに包まれていて、店内にはスティックや渦巻き型など、いろいろなタイプの可愛くてちょっとおしゃれなお香がたくさんありました。
さんまち通りをはさんで上三之町筋がつづきます。左手角の店は“みっふぃーおやつ堂”で、その名のとおり人気キャラクターのミッフィーの形をした可愛らしいマシュマロなどが売られています。
上三之町の和カフェ“飛騨高山茶寮 三葉(みつは)”は、江戸時代に町年寄(まちどしより)を務めていた屋貝(やがい)家の邸跡をリノベーションしたお店だそうで、店頭に石碑があります。
時代劇に出てきそうな雰囲気
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通りのところどころには、このような白く背の高い蔵がいくつもあります。近づいてみると、これは高山祭で曳き回される豪華絢爛な祭屋台(まつりやたい)をそのまま収納する屋台蔵(やたいぐら)だそうです。ガイドブックによると春の山王祭には12台、秋の八幡祭には11台の祭屋台が出るそうなので、上町から下町まで都合23ヶ所もの屋台蔵があることになりますね。
そぞろ歩きながらこの城門のような凝ったつくりの門が目に留まり、“高山カフェ”で休憩することにします。店のホームページによると、こちらの門は総檜造りで、高山城の二の丸登城門を復元したものだそうです。
上三之町通りは観光客でいっぱいなのですが、
一歩門を入ると急に空気が変わったようにひっそりと静かになり、
店内も混雑しすぎずとても快適
。
店内のほか、蔵の前にテラス席もあります。
小腹も空いてきたので、飛騨牛のローストビーフ丼(ミニサイズ)と、ブランドポーク“飛騨高山PLEASUREポークと野菜のスープカレー”をシェアしていただきました。じっくりと焼き上げたローストビーフには玉ねぎのソースがよく合うし、スープカレーはめっちゃ具沢山でどちらもとても美味しかったです
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安川通りを隔てて下町に入ると店と店との間隔も遠くなり、上町に比べて落ち着いた雰囲気が漂います。こちらは下三之町にある糀と味噌のお店“糀屋柴田春次商店”。
下二之町を抜けたところに佇む“吉島家住宅”。江戸時代に造り酒屋と両替商で財を成した吉島家の邸宅は1907(明治40)年に建てられた代表的な町家建築で、ここも見学したいところの一つだったのですが、この日は残念ながら休館でした。
ガイドブックによると、1階の吹き抜けには大黒柱を中心に、梁(はり)と束(つか)が幾何学模様のように組まれた立体格子の大空間が広がっているそうで、これはほんとうに見たかったなぁ~と思います。上の写真は「るるぶ’25最新版 飛騨高山」よりお借りしました。
歩いていると、おや
、こんなところに猫ちゃんが
。この日はお休みだったのですが、ここは“猫の月さくらやま”という保護猫カフェだそうです。
ガラスが反射してどうしてもうまく撮れないのですが、こっちとあっちの窓際に大きな猫ちゃんが2匹寝そべっているのが見えますか
。
賑やかな外観のこちらは下一之町にある“高山昭和館”。昭和の街並みを再現したレトロな雰囲気が若いひとたちや外国人観光客に人気のスポットのようです。ボンカレーやハイアースの看板、懐かしいなぁ~
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高山の町中では珍しい弁柄(べんがら)塗りの建物を眺めていると、用水路の水を汲んで打ち水をされている男性の方が「無料なのでよかったら中へどうぞ」と声をかけてくださいます。ここは何の施設ですかと尋ねると、明治時代の実業家村田半六(はんろく)氏の邸宅を活用して高山市が設置した若者のためのまちなか拠点施設“高山市若者等活動事務所”で、今も当時の屋号そのままに“村半(むらはん)”と呼ばれているそうです。
明治時代に製糸業や林業などで財を成した旧村田家の邸宅を最小限の整備補修で蘇らせ、若者たちの自主学習やサークル活動、展示、発表などの文化活動の場として提供するほか、わたしたちのような若者以外の立ち寄り見学者にも、無料で広く一般開放されているそうです。通り土間の左手はもと繭(まゆ)倉庫だったところをリノベーションした広い会議室、
右手が本棟と別棟から成る主屋で、
御上(オエ)の間から上がって内部を見学させていただきます。土壁や引き戸など、当時のままにしてあるのがとてもいいですね。
オエの間の左手が囲炉裏の間。家族それぞれがじぶんの箱膳を持って囲炉裏の周りに集まり、食事をしていたそうです。囲炉裏から立ち上る煙で太い梁(はり)や束(つか)は黒く燻され、灯り取りの天窓からはやわらかな自然光が射し込んでいます。
オエの間につづく6畳のカズキの間と8畳の次の間。
次の間の奥は庭に面した本座敷です。書院造りの15畳の広間は、賓客のもてなしや節目の行事のときなどに使われていたそうです。
次の間の手前には
本座敷は中庭に面していて、その向こうには二階建ての土蔵が3つ並んでいます。
本座敷と囲炉裏の間の間にもう一つ6畳の座敷があり、ガラステーブルの下には飛騨春慶塗(しゅんけいぬり)の長持(ながもち)が置かれ、アクセントになっています。春慶塗に合わせた朱色の椅子は、ものづくりの道を志す地元の工業高校生によって製作されたものだそうです。
主屋を出て通り土間から中庭に出ます。
実際に煮炊きのできる竈(かまど)と井戸を備えたキッチン。IHコンロもあり、食材を持ち込んで調理をすることもできるそうです。井戸水は水質には問題ないものの、飲用には適さないそうです。
中庭の奥に三つ立ち並ぶ二階建ての土蔵は、“若者等活動事務所”スペースとして利用できるようリノベーションし、部屋ごとに机や椅子、音響機器、電子レンジ、ソファなどが供えられているそうです。
ここは向かって左に建つ南蔵の1階。南蔵だけはちょうど利用者がいらっしゃらなかったので、入口から内部の写真を撮らせていただきました。南蔵の2階は天井が低いので、円卓と座布団で寛ぐスタイルになっているそうです。
真ん中の中央蔵。この日は地元の高校生の集まりに使われているようで、リュックサックを背負った学生さんが数人入っていかれました。パンフレットによると中央蔵の1階と2階は防音設備が整い、映像や音楽の視聴などもできるそうです。
向かって右の北蔵も利用中のため中を見ることはできません。パンフレットによると1階には大きなダイニングテーブルがあり、書棚には各種書籍が揃い、読書に最適なところだそうです。北蔵の2階は畳敷きで、座椅子に座り読書や勉強ができるスペースになっているそうです。
中庭の土蔵の前から主屋を望む。村半はむかし使われていた大きな町家を見学するだけでなく、地元の若いひとたちの居場所や活動の場として積極的に利用されているのがとてもいいなぁと思います。やはり家にはひとの声がして、ひとの気配がするのが本来の姿なのですね。
つづいて上二之町の老舗落雁(らくがん)の店“武藤杏花園(むとうきょうかえん)”。落雁は日持ちがして抹茶の干菓子にはぴったりなので早速求めます。こちらの落雁は材料の甜菜糖(てんさいとう)と大麦粉と和三盆糖を、つなぎを一切使わず、水だけで練り合わせる昔ながらの製法を守ってつくられているそうです。
こちらは飛騨高山で江戸時代から作られている陶磁器、渋草焼(しぶくさやき)の窯元の“芳国舎”。
同じく上二之町にある“二木酒造店”。
ランプやランタンの灯りが好きな夫が吸い込まれるように入って行ったお店は上三之町の“藤田鉄工工芸店”
。ちょっといかついお店の名前とは裏腹に、売られているのは華やかな和ろうそくや絵ろうそく、鉄の燭台(ろうそく立て)などです。絵ろうそくは店主の女性の方がひとつひとつ自ら手描きで絵付けをされるそうで、火をつけるのがもったいないくらいに綺麗な蝋燭です。
くるりと回転して置き型にも壁掛けにもなる燭台など、大小さまざまな燭台がある中から夫が選んだシンプルな燭台と和ろうそく。一本一本手描きの絵ろうそくも美しいのですが、鉄の燭台には赤い和ろうそくがよく似合います
。
城下町の面影を色濃く残す飛騨高山の町は、歩いてみると“古い町並”というストレートな表現がぴったりで、街歩きをしながらショッピングやグルメも堪能できるとても楽しいところでした。実際にはもっともっと素敵なお店がたくさんあるのに、じぶんの興味のあるところにしか立ち寄らないわがまま者のわたしは、実は見落としているところの方が多いかもしれません。すみません
。
最後に、戦国時代に飛騨国を平定し、高山城を築き、城下町を整備した初代高山藩主金森長近(かなもりながちか)の騎馬像のある城山公園二の丸遊園地に来ました。長近が整備した城下町が、そのまま現在の飛騨高山の街並みの基礎になっているとのこと。あなたのつくった高山の町は、飛騨の小京都と呼ばれ、今なお国内外の観光客を惹きつけてやまない魅力あふれるところですよと心の中で感謝を捧げながら、城跡をあとにしました。
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