涼を求めて、尾白川(おじらがわ)渓谷を訪ねました。
尾白川渓谷(山梨県北杜市)は南アルプス・甲斐駒ヶ岳に源を発する尾白川の上流に広がる渓谷で、深い森の中を流れる美しい清流は“日本の名水百選”の一つにも選ばれており、あの有名な「サントリー南アルプス天然水」のふるさととしても知られています。ちなみにそのサントリー天然水の南アルプス白州工場と、シングルモルトウイスキー『白州(はくしゅう)』がつくられるサントリー白州蒸留所も、この近くにあります。
埼玉の我が家からは圏央道経由で中央自動車道を走り、韮崎(にらさき)ICを下りて国道20号線(甲州街道)で渓谷入口の市営駐車場まで約2時間半でした。
一面の早苗田(さなえだ)。なんと幸せな風景でしょう。この辺りで採れるお米は“武川米(むかわまい)”といい、数ある銘柄の中でも「幻の米」として有名なのだそうです。
尾白川渓谷の入口には無料の市営駐車場があり、その一画に登山道の案内マップとともに、南アルプス地域が“ユネスコ・エコパーク”の一つに選定されていることを知らせる案内看板もあります。
その横には、現在の天皇陛下が皇太子殿下でいらしたころの1990(平成2)年7月18日に甲斐駒ヶ岳へ登頂されたことを記念する石碑もありました。
ここがその甲斐駒ヶ岳と尾白川渓谷へ向かう登山道の入口です。
スタートは整備された砂利道。
大きな岩山を回り込むと、
今はもう営業していないようですが、“尾白荘”という山荘の前にも「皇太子徳仁(なるひと)親王殿下甲斐駒御登頂記念之碑」が建っています。
駐車場から歩いて約5分で“竹宇(ちくう)駒ヶ嶽神社”に到着。案内板によると甲斐駒ヶ岳という山の名前は、太古のむかし、建御雷命(たけみかづちのみこと)から生まれた天津速駒(あまつはやこま)という白馬が住んでいたことに由来するそうです。調べると天津速駒は羽を持つ白馬で、昼間は空中を飛び回り、夜になると甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったと伝わるそうです。
手水舎(てみずしゃ)には清らかな北杜(ほくと)の名水が引かれています。
石柱があちこちに。
石造りの立派な明神(みょうじん)鳥居をくぐります。
手前には、向かって左に“祖霊宮(それいぐう)”と、
右に“子玉大神社”。「こだまのおおかみしゃ」とお読みしていいのでしょうか。
子玉大神は縁結びや子宝、安産の神さまです。
そして木立に囲まれて立つ竹宇駒ヶ嶽神社の社殿。縁起によると甲斐駒ヶ岳は今から約280年前の江戸時代の文化年間に、信州の権三郎(ごんざぶろう)というひとによって開山され、駒ヶ岳講の信者たちにより、その登山口となるこの場所に里宮として建てられたのがこちらの竹宇(ちくう)駒ヶ嶽神社だそうです。左手前の石柱「威力不動明王」は権三郎(のちの弘幡行者・こうばんぎょうじゃ)のことを指すようです。
主祭神は『古事記』『日本書紀』では須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫とされる大躬貴命(おおあなむちのみこと=大己貴命)で、少彦名神(すくなひこなのかみ)、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)など七柱の神々も祀られています。
境内地には数多くの霊神碑や石碑、石像が立ち並びます。
“龍神宮”の鳥居の奥には
糸のように細い滝。
その横に“黒白(こくびゃく)龍神宮”。龍神は水を司る神さまです。
ついで“摩利支天社(まりしてんしゃ)”。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したヒンドゥー教の神で、仏教に取り入れられ仏法の守護神となった神さまです。甲斐駒ヶ岳にも“摩利支天峰”と呼ばれる一峰があるそうです。
脇に置かれた三面六臂の摩利支天像は、まるまるとした猪(いのしし)に乗るお姿です。誰が供えたものか鉄の鳥居に神剣、神鏡まで揃っているのが微笑ましい。
参拝を終え、社殿の左手へすすむと
最初の吊り橋が現れます。
この吊り橋の定員は5名。すれ違いは難しそうな幅なので、人影が見えたら少し待って譲りあって渡ります。
吊り橋の上から見る尾白川(おじらがわ)の上流方向。
同じく下流方向。水辺に下りて遊ぶ人たちの姿も見えます。竹宇(ちくう)駒ヶ嶽神社の案内板には、尾白川という川の名前も、甲斐駒ヶ岳と同じく、天津速駒(あまつはやこま)という白馬の尾に由来すると書かれていました。
吊り橋を渡り終え、道しるべを確認して歩きはじめます。
渓谷に向かってくの字に折れ曲がった倒木の幹。
途中“甲斐駒黒戸(くろと)尾根登山道”への分岐があります。甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根は、北アルプス烏帽子岳(えぼしだけ)のブナ立尾根、谷川連峰谷川岳の西黒尾根と並び、“日本三大急登”に数えられる難ルートだそうです。
わたしたちが歩くのは“尾白川渓谷道”のほうで、地図によると登山ルートは沢沿いの渓谷道と尾根道の二つあるのですが、上流へ向かうときはこの渓谷道、下りはもう一つの尾根道を通るというルールがあるそうです。
鉄の階段道は一気に下り、
右手に岩間を流れる清流が見えてきます。
渓流釣りを楽しんだり、家族連れやペット連れの人たちも多いここは“千ヶ淵(せんがふち)”。
周囲の緑が溶け込んだような美しいエメラルドグリーンの水に感動です。
大きな岩がゴロゴロ横たわる間を川の水が勢いよく流れていきます。
市営駐車場から歩いて15分くらいの千ヶ淵までは運動靴でも来れますが、ここから先は案内看板にもある通り、遊歩道ではなく本格的な登山道になるので、しっかりと登山の用意が必要です。
道は急に狭く険しくなり、右下は怖いほどに大きく落ち込んだ崖。
ここはまだ手すりがありますが、ないところの方が多いので、足元をよく見ながら一歩一歩急勾配の道を登ります。
赤褐色の岩盤の上を幾筋もの水が滝になって流れ落ちていくのが見えます。
ここも立派な登山道。人びとが踏みしめた木の根っこが自然の階段になっていて、わたしたちの足を助けてくれます。
少しでも開けたところに出たときは、足を休めて小休止。
上りの連続のあと少しだけ下ると、
ふたたび川の近くに出ます。
ずっと水音とともに歩くのですが、やはり川が見えるとホッとします。
千ヶ淵を出て山道を歩くこと約40分。
全力で岩を抱きしめる木の根っこ。
水しぶきを上げて流れ落ちるここは“三の滝”(・・・だと思います。案内看板が見つけられず、間違っていたらごめんなさい)。
比べるものがないので大きさを伝えられないのですが、とにかく切り立って巨大な岩がゴロゴロしているのに驚きです。
水辺に下りてひと休み~。
ほんとうに澄んできれいな水なんです。
そして歩いているときはこれが“旭滝(あさひだき)”だと思っていたのですが、後で違っていたことがわかりました。
何しろ二人揃って登山は初心者なので、目の前に現れる道をひたすらよじ登るのみ。我が身の重さのなんと恨めしいことよ・・・。
千ヶ淵から約1時間でやっと“旭滝”に到着。
そそり立った崖と、大きな滝の流れ落ちる轟音は聞こえるのですが肝心の滝は見つけられず・・・。音の方向からたぶんこの左手奥が旭滝だと思われます。滝の近くまで行ってみたいのですがかなり疲れているので諦めて、先へ進むことにします。
前後を見ても誰にも会わず、先人の踏みしめた跡を探りながら登ります。
よかった~。道を間違えてなかった・・・道しるべがあるとホッとします。
鎖場を必死で登っていると、可憐なコアジサイ(小紫陽花)の花が。
写真を撮る余裕があるのはそれなりに広さと安全を確保できるところだけ。ほんとうにつらく苦しい登りの岩場などは、とてもとても写真を撮ることなどできなくて、ショルダー掛けした携帯電話でさえ邪魔に感じるほどでした。
ガイドマップには旭滝からこの“百合ヶ淵(ゆりがふち)”まで約15分と書いてあるのですが、道中一番キツかったかもと思うくらいの登りの連続に息も絶え絶え・・・。時計を見ると、倍以上の35分もかかっていました。
でもでも、そんな疲れも一瞬で吹き飛んでしまうような“百合ヶ淵”の神秘的な美しさ・・・。まさに、がんばって登ってきたご褒美です。
とても近くまでは行けず上から見下ろすだけなので、少しだけ望遠にして撮ってみました。もはやバスクリンか何か溶かしましたかと聞きたいくらいの色(笑)。
このロープが無ければわたしたちにはとても登れない急坂が続きます。よじ登りながら夫が「今日は木の根っこがほんとに好きになったよ」と言うのに、うんうんと頷く思いです。ロープや鎖は頼もしい命綱です。
道はどこにと迷うこともしばしば。
写真だけ見るとふつうの山道なのですが、行きの渓谷道はほぼずっと右手が深い深い崖なので、至るところに「滑落注意」の立看板があります。さもありなん。
“渓谷道”の道しるべにホッとします。ほんとうに誰にも会わないので、時折現れるこの看板だけが頼りです。
百合ヶ淵から約15分で、最後の“神蛇滝(じんじゃだき)”に到着。
ガイドブックによると神蛇滝は落差約30m、3段の段瀑になって流れ落ちる尾白川渓谷を代表する名瀑だそうですが、わたしの撮り方が悪くて一段しか写っていませんでした。
言い訳ですが、神蛇滝の写真を撮るためにはこの溝に渡された心細~い丸太の橋を渡って向こう側の幅の狭い岩場に立つしかなくて、そこから下をのぞくと、落ちたらまさに一巻の終わりな状態なので1~2枚撮るのがやっとなのです。
ということで美しい上の写真は、ガイドブック『まっぷる山梨 ’23』よりお借りしました。ありがとうございます。
神蛇滝の先にもう一つ“不動滝”という最後の滝があるのですが、わたしたちの足ではここまでが限界、千ヶ淵から2時間かけて神蛇滝を見に来られただけでもありがたいと思わなければなりません。
たぶん“龍神平(りゅうじんだいら)”と思われる平場で休憩をとってから、尾根道方向へ下山します。
帰りは左手が崖になるのですが、尾根道は渓谷道よりかなり上部を通っているようなので、行きのような恐怖感はありません。
登山口に登りは渓谷道、下りは尾根道を通るよう指示がありましたが、難儀しながら登ってきた道を思い起こすと、頼まれてもあの道を下ることなんてできないと心底思いました。
倒木で道が塞がれているところもあり、
今日に限って熊鈴を忘れて来たので、どうか熊さんとの鉢合わせだけはしませんようにと祈りながら歩きます。
尾根道の甲斐駒ヶ岳への分岐点。
九十九折(つづらおり)の登山道を根気よく下っていくと、
沢の水音が次第に近づいてきて、千ヶ淵で遊ぶ人影が見えてきます。
やった~~~ 最初の吊り橋まで戻ってきました。
道中ほとんど人と会うことがなく二人きりで心細かったので、人の声が聞こえるのがほんとうに嬉しくて、無事に帰って来たことを実感します。
ただいま~。
先を歩く夫を呼び止めて、生存確認の記念撮影。
スタート地点の竹宇(ちくう)駒ヶ嶽神社も見えてきました。
こころを込めて御礼参り。午前10時43分に社殿の前を出て、今午後2時ちょうど。神蛇滝(じんじゃだき)まで往復3時間15分の道のりでした。何よりふたりで助け合って登り、生きて戻って来られたのは神さまの御加護あってこそと、感謝の思いもひとしおです。
お店の外観の写真を撮り忘れたのですが、登山口の売店「おじろ」さんの“ふわふわかき氷”、これ絶品です。上にかかっているいちごのソースは水を一滴も加えずいちごだけを煮詰めて作られているそうで、それがふわふわ氷の上にも下にもたっぷりとかかっているのですからたまりません~。“むかしながらのかき氷”と食べ比べてみると、氷の削り方もソースも違っていて、それぞれの味わいを楽しめました。
甲斐駒ヶ嶽神社の御朱印。書き置きで、社殿前の賽銭箱に備え付けてあるのですが印刷ではなく、ちゃんと墨書されているのが有り難いです。
尾白川渓谷の渓谷道(渓流沿い)はとくに、千ヶ淵から先は本格的な登山道と思って行ったほうが安全です。きちんと装備を整え、夕暮れ前には必ず駐車場へ戻れるよう計画を立てて歩かれることを強くおすすめします。他所の滝巡りの遊歩道と同じように考えては絶対にいけません。一歩足を踏み外したら命を落としそうな危険なところがとても多いのに手すりや防護柵はほとんどないので、あくまで自己責任で、注意の上にも注意を重ねて歩く覚悟を忘れてはいけないと感じました。でもそれを補って余りある絶景が待っている・・・だから行かずにはいられないのかもしれませんね。
yantaro