今年は暖冬といわれながらもやはり年を越すと相応な寒さは免れず、すると恋しくなるのは温泉温泉の温もりというわけで、久しぶりに草津を訪ねました。

 

 その道すがら、夫が以前何かで写真を見て一度行ってみたいなぁと言っていた“臨江閣(りんこうかく)”を思い出し、訪ねることにしました。

 

 いつものことですが下調べも何もしないので、現地に着いてからあっと驚くこともしばしば。この日も駐車場に車を停めて“るなぱあく”という小さな子ども向けの遊園地を抜けると、いきなりみごとなアカマツの茂る日本庭園に出たものだからびっくり仰天目

 

 臨江閣(群馬県前橋市)は前橋に群馬県庁が置かれることになったとき、県としての相応な迎賓施設のないことを憂いた初代群馬県令(今の県知事)楫取素彦(かとりもとひこ)氏の提言により、地元の有志や企業の寄付により建設された迎賓館だそうです。

 

 日本庭園から見上げる外観もすばらしく、今からここへ向かうと思うと胸が高鳴りますラブラブ

 

 この日は水がありませんでしたが、何となく水の流れを思わせるような石組や起伏のある庭園です。

 

 ひとまず入口を探して歩きます。途中の小径もとてもいい雰囲気~音譜

 

 やっと門があり、臨江閣の入口・・・と思って入ったのですが、後ほど知ると、ここは庭園側の入口で、正門は別のところにありましたあせる

 

 門内から。 

 

 池の端にまるで城跡のような石垣があり、この角度からだと臨江閣が城のようにも見えます。屋根には鯱(しゃちほこ)も載っているし(笑)。後で調べると、ここは昔の前橋城の空堀跡(からぼりあと)だそうです。

 

 竹林に囲まれた枝折戸(しおりど)を抜け、

 

 少しずつ建物の方に近づきます。

 

 途中には藁葺屋根の東屋(あずまや)も。

 

 池の向こうに見えるのは“グリーンドーム”という多目的アリーナだそうです。築山の芝生がとてもきれいニコニコ

 

 美しい和風建築キラキラです。

 

 ところで、建物の中にはどこから入れるのかなはてなマーク・・・玄関を探してさらに歩きます。

 

 渡り廊下のようなところを過ぎ、

 

 もう一つの建物をぐるりと回り込むと、

 

 庭園の片隅に鄙(ひな)びた味わいの茶室がありました。パンフレットによるとこの茶室は“畊堂庵(こうどうあん)”といい、1884(明治17)年、臨江閣本館の建築と同時に建てられたものだそうです。本館の建築にあたり、地元前橋の有志の方々の惜しみない協力に非常に感銘を受けた県令楫取(かとり)素彦氏が、自身をはじめ県庁職員の募金をつのって建設し、前橋市に寄贈されたのだそうです。県下唯一の迎賓施設に茶室を贈るというその粋な計らい、現代の政治家の皆さんにもぜひ見習ってほしいものです。

 

 畊堂庵(こうどうあん)の内部は八畳に床の間つきの書院と、 

 

 茶席のほうは京間の四畳半、踏込みの板床は下座に設けられています。書院の掛け軸と、板床の額装の“畊堂(こうどう)”は楫取素彦氏の雅号で、それに因んで“畊堂庵(こうどうあん)”と名づけられたそうです。

 

 実家を思い出すむかし懐かしい杉板の壁と木の雨戸照れ

 

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 そしてようやく広いロータリーに出て、

 

 中央の大木の陰になっているこちらが臨江閣“本館”の正面玄関。

 

 睡蓮鉢でしょうかはてなマーク

 

 その左手に臨江閣“別館”の正面玄関があり、

 

 見学者はここから中へ入ります。受付の方に「大人2人です」と告げると、なんとこの臨江閣、見学料は無料ですと言われて二度びっくりびっくり。これだけの建物の維持管理には相当な費用がかかるはずなのに、ありがたくも大変申し訳ない思いです。

 

 玄関と室内を隔てる硝子の引き戸は、間に摺り硝子をはさんだモダンなデザインラブラブ。いただいたパンフレットによると、こちらの別館は本館に遅れること25年の1910(明治43)年、群馬県主催により開催された一府十四県聯合(れんごう)共進会に先立ち“貴賓館”として建設されたものだそうです。

 

 玄関を入ると真っ先に目に飛び込んでくるのが、この燦燦と陽の降りそそぐ庭園側の廊下ですラブラブ。明治時代に作られた硝子の引き戸にも、どっしりと厚みの感じられる床板にも、新建材の家にはない温もりが感じられて、懐かしさに思わず声が出ます。

 

 別館一階には洋間1室と日本間が7室あり、すべて中に入って見学することができます。こちらは庭園に面した第五和室(手前)と第四和室(奥)で各15畳の広さです。

 

 廊下を第四和室側から。

 

 第一~第三和室との間にも広い廊下がビックリマーク。まるで旅館みたいです。

 

 そして庭園とは反対側に、手前から第一和室(8畳)、第二和室(10畳)、床の間つきの第三和室(10畳)が並びます。

 

 別館一階の洋間は60畳の広さがあり、見学途中の休憩スペースにもなっています。この別館は共進会閉会後に前橋市に引き渡され、1945(昭和20)年~1954(昭和29)年までは前橋市役所の仮庁舎として、1955(昭和30)年~1981(昭和56)年までは前橋市公民館、前橋市中央公民館として使われていたそうです。

 

 第一和室前の廊下から本館方向を望む。

 

 別館の二階へ上がります。

 

 そしてこの襖(ふすま)を開けると、

 

 そこにはなんと、180畳敷きの大広間がどど~んとビックリマーク

 

 写真に撮ると伝わりづらいですが、この場に立つとその広さに驚きます。この別館大広間は今でも各種レセプションや展示会、講演会、演奏会などに貸し出されているそうです。なるほどそれで、廊下側の壁に「定員360名」と掲げられているのですね。

 

 大広間の床の間には、群馬県を代表する山々を描いた「赤城山水図」(左)と「妙義山水図」(右)二幅一対の掛け軸が掛かっています。

 

 大広間の周囲をぐるりと囲む外廊下。二階なのでさらに見晴らしがよく、この景色は何よりのおもてなしラブラブ。すぐそばを流れる利根川に面しているところから“臨江閣”という名前がついたというのがうなづけます。

 

 外観から別館は三階建てかと思っていたのですが、実際は二階建てだったので、この二階部分は大広間一室のみということもあり、かなり天井が高く作られているようです。

 

 下から見上げたときに縁側を可愛らしく飾っていた手すりがこれでした~ラブラブ

 

 別館を出て本館へ向かいます。

 

 本館への渡り廊下。

 

 いや、もう一歩足を踏み入れただけで、これまで見てきた別館とはまったく違う風格を感じる本館ラブラブ。例えるならば別館は増築した新校舎、本館は歴史ある旧校舎という感じでとても落ち着きます。

 

 本館へ入ってすぐ右手が正面玄関の内側です。

 

 その奥の小部屋は資料展示室で、“臨江閣と近代前橋のあゆみ”という企画展が行われています。真正面に、改修前の別館大屋根に載っていた鯱(しゃちほこ)の実物がでんと鎮座はてなマークしています(笑)。

 

 本館一階には続きの日本間4室と、廊下を隔てて奥座敷が2室あります。こちらが手前から控えの間(7畳)、三の間(10畳)、次の間(10畳)、一の間(14畳)の四間。

 

 本館一階の奥座敷には別の団体客がいらしたので、先に二階へ上がります。

 

 橋の欄干のような意匠の手すりも美しい音譜

 

 本館の二階は、

 

 手前に20畳の次の間、

 

 御簾(みす)の奥は12.5畳の一の間で、ここは歴代天皇の行幸(ぎょうこう)を仰いでいるので“御座所(ござしょ)の跡”と記されています。案内パネルによると、群馬県初の行幸は明治天皇の1878(明治11)年で、その後同じく明治天皇により1893(明治26)年に、大正天皇は皇太子のときに1902(明治35)年と1908(明治41)年に行啓(ぎょうけい)され、昭和天皇も1934(昭和9)年に行幸されているそうです。

 

 雪洞(ぼんぼり)のようなやわらかな形のシャンデリアもとても素敵合格

 

 案内板によると、本館二階の縁側の硝子戸は後付けで、創建当初はこの縁側が濡れ縁で、外はそのまま雨戸になっていたそうです。硝子戸がなかったということは、障子を開け放すと絶景の広がるバルコニーだったわけですねビックリマーク

 

 本館二階から渡り廊下(下)と別館を望む。

 

 手前の広い次の間には、天皇陛下に随行して来られた多くの供奉者(ぐぶしゃ)の方々が詰めておられたことと思います。

 

 御座所の横には3畳の控えの間があり、今は御所人形が飾られていますが、当時は更衣室として使われたようです。

 

 本館一階へ下りると、奥座敷へ向かう廊下にも、前橋城の模型や昔の群馬県庁の模型など各種資料が展示されています。

 

 その奥の廊下(右)と縁側に囲まれた奥座敷は、手前の次の間(6畳)と

 

 奥の一の間(8畳)から成り、ここには臨江閣建設の立役者である初代群馬県令楫取素彦(かとりもとひこ)氏の故郷山口県萩(はぎ)市と、素彦氏の二人の妻に関する資料が展示されています。

 

 素彦氏は山口県萩市の出身で、幕末の思想家・教育者であり松下村塾を開いて後の明治維新を支える多くの志士たちを育てた吉田松陰(よしだしょういん)との親交が深く、松陰が投獄されたときには差し入れをしたり、釈放に奔走したりもしたそうです。また最初の妻寿子さん、そして寿子さんの死後後妻に迎えた美和子さんともに、松陰の妹さんだそうです。

 

 本館一階奥座敷の縁側からは、二階へ上がる前に見た日本間4室が逆方向から望めます。硝子戸から差し込む光で障子の白さが際立っています飛び出すハート

 

 本館一階の日本間4室。

 

 14畳のこの一の間は、2017(平成29)年11月に行われた将棋の第30期竜王戦の対局室として使われたそうで、渡辺明竜王と羽生善治棋聖の当時の写真が残されていました。

 

 別館に戻ります。

 

 帰りに立ち寄った女性用のお手洗いも、とても広くて快適でした。

 

 その片隅に、別館創建当時(明治43年)に使われていた洗面所の水盤が置かれています。鮑(あわび)を模した形も洗練されていて、周囲の白いタイルともよくマッチしています。

 

 硝子越しに見る庭園。 

 

 茶室の横には見上げるばかりの大木がビックリマーク

 

 本館前の日本庭園を歩きます。

 

 庭園側から茶室へ入る枝折戸もありました。

 

 別館前の庭園とは少し趣が違い、新たに整備された公園のような感じです。

 

 池に芝生の築山の景色がとてもいいです音譜

 

 ふたたび石垣の上に載(ったように見え)る臨江閣100点

 

 最後になりましたが、るなぱあくに面したこちらが臨江閣の正門です。門扉は閉じていますが門柱脇から出入りができて、ここから入ると目の前が別館、本館前のロータリーになります。もちろん正門から入ってもいいのですが、全体を回ってみると、まず最初に庭園を散策しながら外観を眺め、近代和風の木造建築の美しさを堪能してから内部見学に行くのもいいかなぁと思いました。

 

 お楽しみの昼食は、近くの“焼肉之上州”さんで上州牛と上州麦豚の焼肉ランチをいただきました。じゅうじゅう焼きたてのお肉をたっぷりのナムルと一緒にご飯の上に載せて食べると、もうそれだけでたまらない美味しさでした~合格

 

クローバー チューリップピンク クローバー チューリップオレンジ クローバー チューリップ紫 クローバー チューリップ赤 クローバー チューリップ黄 クローバー

 

 のん気に旅日記など書いていますが、今日2月5日、関東は昼過ぎから予報どおりの警報級の大雪雪に見舞われています。まだまだ明日の朝にかけて降り続く見込み。どうか大きな事故につながりませんよう心より祈っています。

 

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