草津温泉(群馬県吾妻郡)といえばこの湯畑(ゆばたけ)。今日も変わらず豊富に湧き出すお湯温泉と湯けむり、そして硫黄の香りに迎えられ、ホッとします照れラブラブ

 

 湯畑を囲む石の柵には「草津に歩みし百人」と題して、天下の名湯温泉草津を訪れた偉人や著名人の名前が刻まれています。1~26は古代・戦国時代・江戸時代の人物、27~51は明治・大正時代、52~100が昭和以降近代の人物に分けられているそうですが、そこに日本武尊(やまとたけるのみこと)を見つけてびっくりポンビックリマーク。もしも日本武尊が草津を訪れ温泉に浸かったとすれば、それは蝦夷(えみし)征伐に向かった東征の折と思われ、すると草津の湯が見つかったのはなんと大和朝廷の時代(4世紀頃)ということになります。

 

 真偽のほどはさておいて、草津はすでに室町時代には有馬温泉(兵庫県神戸市)、下呂温泉(岐阜県下呂市)とともに日本の“三名泉”の一つに数えられ、今なお関東の奥座敷として不動の人気を誇るのですから、太古のむかしも今も、日本人にとって温泉温泉に浸かるというのはやはり、心身ともに最高の癒しなのだな~と思います。

 

 草津名物の7本並んだ湯樋(ゆどい)。本体は水に強い岩手県産の赤松でできているそうです。草津の源泉の温度は50度以上あり、そのまま引いたのでは熱すぎて入れないので、湯樋を通る間に外気に当たって湯温が下がり、共同浴場や温泉宿の内湯に運ばれるときには適温になるという仕組みです。またこの湯樋では年3回、湯の花(沈殿した温泉成分)も採取されているそうです。

 

 湯樋は平らに見えますが下に向かってほんの少しずつ傾斜していて、ここから一気に湯滝へ落ちます。

 

 湯滝を見ながら階段を下りて行くと、

 

 目の前に、どうどうと音を立てて流れ落ちる源泉の湯。滝つぼの中はエメラルドグリーンに輝いて見えますキラキラ

 

 その横にも幾筋もの湯滝。

 

 湯畑の中央には「徳川八代将軍御汲上乃湯(おんくみあげのゆ)」の碑があります。

 

 徳川八代将軍といえば吉宗(よしむね)ですが、湯畑の源泉の中に沈められたこの木枠は、吉宗公ご入浴のためにこの中の湯を汲み上げて樽詰めにし、江戸城へ運ばせていたときの遺構だそうです。江戸に居ながらにして草津の湯に浸かれるなんて、何という贅沢~音譜

 

 湯畑のすぐ隣にある白旗(しらはた)源泉。草津には大小あわせて100余りも源泉があり、毎分3万2,300ℓ以上という総湧出量は、ポンプなどを使わない自噴する温泉としては日本一の量を誇り、そのおかげで草津では常に源泉かけ流しの温泉が楽しめるのだそうですラブラブ

 

 白旗源泉は1193(建久4)年、浅間山の麓で狩りをしていた源頼朝が草津へ立ち寄った折に発見したと伝わる源泉だそうです。ふつふつと常に湯の湧き出す源泉内には頼朝を祀る石の祠(ほこら)があり、泉質が低下するのでお金を投げ入れないでくださいと注意書きがあるにもかかわらず、たくさんのコインが散らばっていました。

 

 白旗源泉の後方に“光泉寺(こうせんじ)”というお寺さんがあるので行ってみます。

 

 湯畑からもよく見える朱塗りの山門。

 

 その中には阿吽の仁王像、 

 

 石段の途中には柔和な観音さまもいらっしゃいます。

 

 手水舎(てみずしゃ)の水盤には雪が溜まっているので、御手水は形だけ。

 

 その奥には不動堂。

 

 祀られている御本尊は火焔を背負う不動明王です。

 

 鐘楼(しょうろう)。

 

 光泉寺は真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院で、721(養老5)年、奈良時代の僧行基(ぎょうき)の開基と伝わるそうです。行基が病に苦しむ民のために祈祷を行い杖を突いたところに温泉が湧き出たとも言われ、そういえば「草津に歩みし百人」の中にも“行基菩薩”の名がありました。光泉寺の御本尊は衆生を病苦から救うといわれる薬師如来(やくしにょらい)です。

 

 少し奥まったところにある“釈迦堂(しゃかどう)”にはこんなエピソードがありました。釈迦堂なので祀られている御本尊は釈迦如来なのですが、その像は元禄時代、奈良東大寺の公慶(こうけい)上人が大仏さまの骨木を用いて造ったものと言い伝えられていたそうです。それが2005(平成17)年の調査により事実であることが判明。300年の時を経て世に出た仏さまとして“遅咲き如来”と呼ばれ、改めて信仰を集めているそうです。案内板には「今まであまり花を咲かせられなかった方々、これからもう一花咲かせたいと願っている皆様、是非お参りし、願いを叶えてください」と書かれています。

 

 行基の開山から1,300年を記念する石碑。古(いにしえ)より草津温泉を見守る古刹の光泉寺は、日本温泉三大薬師の一つにも数えられているそうです。

 

 その向こうには朱も鮮やかな五重塔が聳えています。草津で五重塔に出会えるとは思っていなかったので、何だかとても嬉しいです合格。雪景色に映えますね~音譜

 

 石碑と石燈籠の間にひっそりと立つ“魚籃(ぎょらん)観音”。案内板によると、明治初期の神仏分離令の折、近くの金毘羅神社境内に奉納されていた数多くの石仏類も破却されたらしく、魚介供養のために造られたこの魚籃観音は、この光泉寺境内に移されて難を逃れたものだそうです。よく見ると、裳裾(もすそ)に下げた魚籃の中に魚が入っています照れ

 

 光泉寺は湯畑を一望できる高台に建っています。

 

 優美な光泉寺の御朱印。

 

 さて湯畑に戻ると、ちょうど“熱(ねつ)乃湯”さんで名物「湯もみと踊りショー」が始まる時間ビックリマーク。おっと、行かなくちゃ。

 

 観覧席は二階までほぼ満席、一階は立ち見の方もいらっしゃるほどの盛況です。

 

 “草ぁ津~よいとこ~ 一度ぉ~はおいで~ ハァ どっこいしょ♪”という湯もみ歌の「草津節(くさつぶし)」にあわせて、まずお姉さん方の踊りが披露され、

 

 つづいて長い木の板を使って湯もみの実演が始まります。これはショーなので歌いながらゆっくりもんでおられますが、実際の湯もみはアツアツの源泉を入浴できる温度にまで冷まさなければならないので、全身を使っての重労働だろうと思います。

 

 お姉さん方は一度下がられて、歌い踊りながら再登場。

 

 そして二度目の湯もみのラストは、豪快に木板を上下させながら水しぶきを上げ、湯を掻き混ぜるパフォーマンスを見せてくださいます。良質な温泉成分を水で薄めることなく入浴するための知恵ですねニコニコ飛び出すハート

 

 湯もみショーの司会の方の話を思い出し、“裏草津(うらくさつ)”へ行ってみようと思います。

 

 源泉一之湯さんを通り過ぎ、

 

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 湯畑から徒歩2~3分で裏草津に到着。観光客で賑わう湯畑周辺に比べると人っ子ひとり見当たらず、ひっそりと静まり返っています。こちらが裏草津の中心の“地蔵源泉”。

 

 中を見ると、とろりと白濁した源泉がふつふつと・・・。

 

 裏草津にはちょっと珍しい“顔湯(かおゆ)”もあります。この四角い穴をのぞき込むと、地蔵源泉から立ち上る湯けむりが顔に当たり、スチームパックのような効果があるそうです。

 

 地蔵源泉は刺激が少ないのが特徴で、メイクを落とした素肌に浴びるとツルツルになるのだとかビックリマーク。ここは硫黄の匂いがきつくないので、試しやすいです。

 

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 裏草津への入口に“目洗い地蔵尊”と書かれていたので、てっきりこちらの地蔵堂かと思ったらそうではなくて、

 

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 目洗い地蔵尊は、源泉の脇にちょこんと鎮座する小さな2体のお地蔵さまの方でした。案内板によると、江戸時代に眼病を患っていた徳兵衛という人が、夢のお告げでこの温泉で目を洗ったところたちまち癒えたので、その功徳を称えて地蔵尊を建立したそうです。

 

クローバー チューリップピンク クローバー チューリップオレンジ クローバー チューリップ紫 クローバー チューリップ赤 クローバー チューリップ黄 クローバー

 

 裏草津で顔湯を試し、“手洗乃湯(てあらいのゆ)”で冷えた手を温めていたら、やっぱりホンモノの温泉にとっぷりと浸かりたくなりましたニコニコ。そろそろ今宵の宿へと参りましょうか。

 

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