龍安寺(りょうあんじ)を後にして、旅の締めくくりは近くの金閣寺(京都市北区)を訪ねることにしました。

 

 龍安寺から金閣寺は歩いても行ける距離なのですが、ちょうど来たバスに乗ると10分足らずで金閣寺道(バス停)に到着。バス利用は最近の京都のオーバーツーリズム(観光公害)の片棒を担ぐようで大変申し訳なかったのですが、このときのバスの車内も確かに地元の方々よりも観光客のほうが多かった気がします。

 

 降りたバス停からは、人の流れについてゆくと自然に金閣寺の“黒門(くろもん)”前にたどり着きます。境内入口の門柱には「鹿苑寺(ろくおんじ) 通稱(つうしょう) 金閣寺」と書かれていますが、正式名称は「北山(ほくざん)鹿苑禅寺(ろくおんぜんじ)」といいます。

 

 そうでした・・・ここは京都を訪れる観光客のうち9割方が行くといっても過言ではない金閣寺あせる。参道の混み具合と外国人の多さはこの4日間でまちがいなく一番だったかもです。

 

 静寂に包まれていた龍安寺から来たのでよけいにそう感じるのかもしれませんが、とにかく賑やかニコニコ音譜・・・って、わたしたちもその一員なんですけどね。

 

 ここが金閣寺の正門にあたる“総門(そうもん)”です。禅宗寺院の表門は総門と呼ばれることが多いようです。

 

 並び称されることの多い銀閣寺と同じく、金閣寺も創建時は寺ではなく、鎌倉時代の公家西園寺家(さいおんじけ)が所有していた別荘地を1397(応永4)年、室町幕府第3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)が譲り受けて造営した山荘“北山殿(きたやまどの)”を起源とし、義満の死後その遺言により、夢想疎石(むそうそせき)を開祖とする臨済宗(りんざいしゅう)相国寺派(しょうこくじは)の禅宗寺院に改められたそうです。

 

 正面が唐破風(からはふ)屋根の“唐門(からもん)”、右手が“方丈(ほうじょう)”と“庫裡(くり)”です。唐門は閉ざされていて、その横に拝観受付があります。

 

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 参拝路の左手に広い空き地があり、立ち入りはできないのですが、

 

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 ここは“南池(みなみいけ)”という池の跡地のようです。

 

 木蔭から金色に輝く舎利殿(しゃりでん)が見えてきました。

 

 義満公が西園寺家からこの地を譲り受け、北山殿を造営するときに庭園にも手を加え、この“鏡湖池(きょうこち)”を中心とする美しい池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園を完成させたそうです。ここは参拝順路で最初のフォトスポットなので、舎利殿をバックに記念写真を撮る観光客でとても賑わっています。

 

 右手には池越しに方丈が見えます。

 

 鏡湖池に映る“逆さ金閣”と“葦原島(あしはらじま)”の松。背後の衣笠山(きぬがさやま)を借景に、文句のつけようのないほどに美しい景色ですキラキラ

 

 金箔(きんぱく)の貼られていない初層(一階)は寝殿造りで、内部には足利義満の像が祀られ、“潮音洞(ちょうおんどう)”と呼ばれる二層目(二階)は鎌倉時代の武家造りで、岩谷観音坐像(いわやかんのんざぞう)と四天王像が祀られているそうです。

 

 唐様の禅宗仏殿造りの最上階は“究竟頂(くっきょうちょう)”と呼ばれる仏間で、内部の天井、壁にも金箔が施され、床は黒漆(くろうるし)塗り。その中央に仏舎利(ぶっしゃり=お釈迦さまのご遺骨)が安置されているそうです。二層目、三層目の外面および高欄(こうらん)にはすべて漆(うるし)の上に純金の箔(はく)が貼られ、杮葺(こけらぶ)きの屋根の上にはこれも本金箔の鳳凰が羽を広げています。

 

 まさに鏡面のような鏡湖池(きょうこち)には、葦原島のほかにも亀島、鶴島、入亀島など小さな島がいくつも点在しています。

 

 順路に沿って歩いていると見えてくる方丈(ほうじょう)は金閣寺の本殿で、仏間には御本尊の聖観世音菩薩(しょうがんぜおんぼさつ)坐像、開祖夢想国師像、足利義満像などが安置されているそうです。方丈は通常非公開ですが、参拝路の柵の外から建物の外観と前庭を見ることができます。

 

 手入れの行き届いたとても美しい方丈前庭。右奥が先ほど見てきた唐門で、背面(庭園側)にも唐破風がついているので“向唐門(むこうからもん)”という様式のようです。

 

 同じく方丈の庭園。

 

 舎利殿は1950(昭和25)年に放火のため焼失し、現在の舎利殿は1955(昭和30)年に再建されたものだそうです。Wikipediaによると再建後10年で金箔が剥落(はくらく)しはじめ、下地の黒漆も紫外線による劣化がすすんだため、1986(昭和61)~1987(昭和61)年にかけて漆の塗り替えや金箔の貼り替えなど「昭和の大修復」が行われ、こうしてキラキラと光り輝く姿を取り戻したのだそうです。

 

 遠目から見ると金色が映えて豪華さが先に立つのですが、近づくにつれて初層の土壁や板扉(いたど)の美しさ、また舎利殿全体のバランスのよさが際立って感じられます。

 

 方丈北側にあるこの大きな松は“陸舟(りくしゅう)の松”といい、案内板によると義満公が気に入りの盆栽をお手植えし、帆掛け船の形に仕立てたものだそうです。樹齢は600年を超す老松で、京都三松の一つにも数えられているそうです。

 

 入れないのですが、築地塀の先のお堂もとても気になります。

 

 参拝路に戻ります。

 

 ぐるりと回り込んでくると、舎利殿初層の西側に張り出した“漱清亭(そうせいてい)”がきれいに見えます。船着場を兼ね、夕涼みなどのできる小亭のようです。

 

 参拝路はここから舎利殿を離れます。

 

 授与所の裏には金閣寺の鎮守社の“榊雲(しんうん)”があります。御祭神は三日目に訪れた春日大社(奈良県奈良市)の四柱(総称して春日大神)だそうです。

 

 つづいて自然石で囲まれた岩場に湧く“銀河泉(ぎんがせん)”。案内板には「義満公 御茶の水」とあるので、茶の湯に愛用されていた湧水のようです。 

 

 そのすぐ横の屋根で覆われたもう少し大きな水たまりには「巖下水(がんかすい) 義満公 お手洗いの水」と書かれています。いずれも風流な名前です。

 

 斜面を上る石段脇の竹垣は“金閣寺垣(きんかくじがき)”というそうです。通れませんが、わたしはこの小さな石段のほうにより惹かれますラブラブ

 

 つづいて“龍門の瀧(たき)”と滝壺に置かれた“鯉魚石(りぎょせき)”です。木蔭で見づらいですが、龍門の瀧は落差約2mの石組の滝です。鯉魚石は鯉が滝を登り切ると龍になるという中国の故事に因んで置かれているそうです。

 

 陽だまりの石仏群にはたくさんのお賽銭が投げられていました。

 

 龍門の瀧から振り返ると、木立の間に舎利殿が見えます。

 

 ここからしばらく緩やかな石段を上ります。

 

 おっ目ビックリマークこれはもしかして、先ほどの小さな石段を上ったところかなはてなマーク。入れないけれど、やっぱりこちらの方が風情があっていい道ですね。

 

 その先は深い杜に囲まれた“安民澤(あんみんたく)”という名の池で、

 

 池中の小島には“白蛇の塚”という五輪の石塔が建っています。白蛇は古来より水の神とされますが、この白蛇の塚は金閣寺が建てられる以前から、西園寺家の守り神としてこの地にあったもののようです。

 

 そして名残りを惜しむ“見返り金閣”。

 

 参拝順路の右上に茶室が見えてきました。

 

 茶室の手前には屋根に守られた“貴人榻(きじんとう)”という岩があります。“榻”という字は初めて見たので調べると、一文字では“しじ”と読み、牛車(ぎっしゃ)に乗り降りするときの踏み台のことをいうそうです。案内板には(こしかけ)と書かれているので、やんごとなき方がお茶席に入られる前の待合(まちあい)の役目をしたものでしょうか。

 

 そして茶室の前の手水鉢(ちょうずばち)は、義満公の孫で室町幕府第8代将軍の足利義政が愛用していた“富士形手水鉢”だそうです。たしかに石の上部が白くなっていて、富士山が雪を戴いているようにも見えますね。義政公は鹿苑寺金閣を参考にして慈照寺銀閣を建てたといわれています。

 

 舎利殿を見下ろす高台に建つ茶室は“夕佳亭(せっかてい)”といい、江戸時代初期の住職鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が金閣寺に後水尾(ごみずのお)上皇をお迎えすることになったとき、茶人の金森宗和(かなもりそうわ)に命じて造らせたものだそうです。

 

 賽銭箱の置かれている土間から上がった正面に三畳の茶室、

 

 その右奥のもう一段上がったところに“鳳棲楼(ほうせいろう)”というわずか畳二畳の茶室があり、側面から見るとその部分は懸造(かけづくり)になっています。

 

 “夕佳亭(せっかてい)”という名には「夕陽に映える金閣寺が殊に佳い」という意味が込められているそうです。

 

 夕佳亭を過ぎるとお抹茶のいただける“金閣寺不動釜茶所”があり、その奥正面に“不動堂(ふどうどう)”があります。この不動堂の創建は1225(嘉永元)年と伝わり、金閣寺ができる前の西園寺家所有のときに建立され“西園寺護摩堂(ごまどう)”と呼ばれていたそうですが、北山殿になったときに不動堂と改められたそうです。御本尊は石造りの不動明王です。

 

 ほぼ一方通行の参拝路の一番最後に鎮座する“吨枳尼天社(だきにてんしゃ)”。吨枳尼天は梵語(ぼんご)の「ダーキニー」からくる古代インド伝来の神で、白い狐に乗る女神の姿をしており、繁栄を司る神さまであることから出世開運の御利益があるといわれています。

 

 寺社仏閣を訪ねるときは、御本尊や御祭神を直接は拝めないにしても、拝殿や方丈の外からでも手を合わせお参りするのが常なのですが、金閣寺は舎利殿も方丈(本堂)も外観を眺めるのみで、ここまで一度も手を合わせていないことに気づきました。観光客が多いだけでなく、何とはなしに感じていた小さな違和感の正体に思い至り、最後の不動堂と吨枳尼天社でお賽銭をあげお参りすることができて、やっと胸のつかえが降りた次第です。

 

 歩き疲れてひと休みしたいな~と思うのは老若男女皆同じ照れ。出口の近くにはちゃんと茶店がありましたラブラブ。“豆政”さんという店で、周りを見ると皆さん金粉の載った抹茶ソフトを召し上がっていましたが、わたしたちはみたらし団子と抹茶団子をいただきましたお茶。どちらもお団子がフワフワで、とっても美味しかったです。

 

 金閣寺の御朱印(右)と、二日目に尋ねた銀閣寺の御朱印(左)を一緒に撮ってみました。拝観チケットとしていただいたお札もそれぞれ我が家の居間にお祀りしています。

 

 金閣寺からふたたびバスで京都駅に戻ってきました。 

 

 昼間の京都タワーもきれいですね~ラブラブ

 

 いつ来ても多くのひとたちで賑わう京都駅。

 

 3泊4日では行きたいところの10分の1も行けなかった気がしますが、冬晴れの好天晴れに恵まれ、夫とふたり道中無事に過ごせただけでもじゅうぶんにありがたく幸せな旅でした。帰りの飛行機の中で、できることなら京都・奈良は旅行ではなく、2~3ヶ月ウィークリーマンションを借りて、自炊しながら思う存分寺社仏閣巡りをしたいねぇ~と意見が一致飛び出すハート。日本史の概略なりとおさらいをして、またここへ帰ってくるのが今のわたしたちの夢です。

 

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