二日目の夕方、銀閣寺を出た時点ですでに午後4時。そのままホテルへ戻ってもいいのですが、よくばってもう一つ、高台寺(京都市東山区)へ行きたくなりました。
高台寺(こうだいじ)は正式名称を“鷲峰山(じゅぶさん)高台寿聖禅寺(こうだいじゅしょうぜんじ)”と称する臨済宗建仁寺派の禅宗寺院で、豊臣秀吉の正室ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うために1606(慶長11)年に創建した寺として知られています。
ところで、考えてみればそのときの思いつきでここに行きたい、あそこも見たいと口走るわたしに付き合わされる夫もなかなかに大変だと思うのですが、そこは慣れたもので、嫌な顔ひとつせず素早く移動手段を検索し、いつも無事目的地に連れて来てくれるのはほんとうに有り難く、じつはとても感謝しています。(ホントだよ~
)
ただしふだんは慌てず騒がずの夫も、さすがに今日ばかりは時間が気になる様子。壮大な知恩院の三門も圓山公園の前も急ぎ足で通り過ぎ、
「“ねねの道”だ~」といちいち立ち止まりたいわたしを急(せ)かすのですが、
夫の思惑などどこ吹く風。見るだに素晴らしいこの参道はどこの・・・
とわたしは気になることがいっぱいです。(※後で地図を見ると、ここは親鸞上人(しんらんしょうにん)の廟所(びょうしょ)の“大谷祖廟”へ続くの参道のようでした)
見て見てあのひときわ高い尖塔のようなものは何かしら
とこれも立ち止まりたいのですが、(※後で調べると、大雲院の“祇園閣”という望楼だそうです)
夕闇迫り、ガイドブックの「拝観受付17時終了」までには何としても間に合いたくて、またふたりで小走りです(笑)。
やっとのことで、ねねの道から高台寺の境内へ上がる“台所坂(だいどころざか)”に着きました。この道はねねさんが居所(今の圓徳院)から高台寺へ通うときにいつも通っておられた道だそうで、いわれてみれば女性の足にも優しい緩やかな坂ですね。台所坂っておもしろい名前ですが、寺の台所も兼ねる庫裡(くり)に近いからなのか、将軍の正室を“御台所(みだいどころ)”ともいうので、そこからきているのか、想像しながら歩くのも楽しいです。
師走も下旬なのにまだこんなに美しい紅葉の残る台所坂は風情のある小道で、その先に提灯の下がる“台所門”があります。
そしておそらく正面の囲われたところが“方丈(ほうじょう)”だと思われますが、修復工事中でしょうか。ひとまず左手の拝観受付に急ぎます。
午後5時少し前に滑り込みセーフで何とか間に合い、御朱印も今が最終受付とのことなので、お参りの前に頂戴するのは申し訳ないのですが先にお受けしました。受付の前からのぞき見ると、方丈は修復というより新たに新築されているようでした。
拝観は午後5時30分まで(おっと、30分しかない・・・)。ひとつひとつをゆっくりと見て回る時間はないので、順路に従い庭園だけでも歩きたいと思います。まず最初に見えてきたのは吉野窓(よしのまど)が特徴的な草庵の“遺芳庵(いほうあん)”。
そして急ぎ過ぎて見落としましたが、遺芳庵の道向かいには“鬼瓦席(おにがわらのせき)”というこれまた凝った名前の庵(いおり)もあったようで、パンフレットによるとどちらも茶室だそうです。上の写真は高台寺のパンフレットよりお借りしました。
草庵を過ぎると一気に視界が開け、池の向こうに“開山堂(かいさんどう)”、その奥に東山の峰々が見えてきます。写真は実際よりも明るく写っていますが、夕方5時を過ぎているので空にはすでに月が上っています。
もう少し進むと、方丈と開山堂をつなぐ“楼船廊(ろうせんろう)”という屋根つきの廊下と、その中央に設けられた“観月台(かんげつだい)”がきれいに見えます。観月台の屋根は檜皮葺(ひわだぶき)に三方唐破風(さんぽうからはふ)という珍しい形状で、豊臣秀吉遺愛の建物だったことから、ねね(北政所)の希望により伏見城から移築されたそうです。ねねさんはきっとここで亡き夫を偲びながら、月を愛でておられたのでしょうね。
靴を脱いで方丈(本堂)へ上がると、右手に新築中の建物が見えました。
白砂の敷き詰められた美しい“方丈前庭(ほうじょうまえにわ)”。手前に大きな枝垂桜の植えられた前庭には“波心庭(はしんてい)”という名前がついています。
右手の門は天皇の使いである勅使(ちょくし)を迎えるための“勅使門”です。
方丈を出て、方丈の東側に広がるもうひとつの名勝庭園を見に行きます。高台寺といえば、安土桃山~江戸初期にかけての大名茶人であり造園家でもある小堀遠州(こぼりえんしゅう)作庭と伝わる雄大なこの“蓬莱式(ほうらいしき)庭園”がやはり一番の見どころです。蓬莱式庭園とは、蓬莱神仙思想に基づく庭園のことで、不老不死の仙人が住むという蓬莱山や、長寿の象徴といわれる鶴亀を模した島などを配するのが特徴です。
築地塀の門をくぐると、
左手に“開山堂”へ続くどっしりとした“重關門(じゅうかんもん)”が現れます。
開山堂は創建当時はねね(北政所)の持仏堂でしたが、その後中興開山の三江紹益(さんこうしょうえき)禅師の木像を祀るお堂となり、開山堂と改められたそうです。堂内には三江禅師を中央に、右にねねの兄である木下家定夫妻の木像、左に高台寺の普請(ふしん)に尽力した堀直政の木像が祀られています。
高台寺の蓬莱式庭園は、開山堂を中心に右に“臥龍池(がりょうち)”、左に“偃月池(えんげつち)”というふたつの池を配した池泉(ちせん)回遊式庭園で、偃月池に架かるのが観月台のある楼船廊(ろうせんろう)、臥龍池に架かるのがこの臥龍廊(がりょうろう)です。
開山堂とその先の“霊屋(おたまや)”を結ぶ臥龍廊は、その姿が龍の背のように見えるところからつけられたそうです。
偃月池(えんげつち)よりも広い臥龍池と、確かに龍の背のような臥龍廊(左)。
臥龍廊は通れないので、一度重關門(じゅうかんもん)を出て臥龍池をぐるりと周ると、
石段を上ったところに、秀吉とねね(北政所)を祀る廟堂(びょうどう)の“霊屋(おたまや)”があります。
霊屋内陣の須弥壇(しゅみだん)中央には隋求菩薩(ずいぐぼさつ)、向かって左の厨子(ずし)には北政所の木像、右の厨子には豊臣秀吉の木像がそれぞれ祀られています。須弥壇や厨子に施された華麗な蒔絵(まきえ)はとくに“高台寺蒔絵”と呼ばれるそうです。
順路に従い、さらに山の上の“傘亭(かさてい)”と“時雨亭(しぐれてい)”へ急ぎます。
小高い丘の上の向かって左に傘亭、右に時雨亭が並び、いずれもねねの希望により伏見城から移築された茶室だそうです。
利休(りきゅう)好みと伝わる二つの素朴な茶室はかなり年月を経ていて近づき難く、外観を眺めるのが精一杯。傘亭は内部の天井が竹で組まれていて、その様子が唐傘に似ていることからそう呼ばれたそうです。上の写真は高台寺のパンフレットよりお借りしました。
こちらがとても珍しい・・・というかわたしは初めて見た二階建ての茶室の時雨亭。隣の傘亭とは屋根つきの土間廊下で行き来できるようになっています。
時雨亭を反対側から撮りました。想像するに、階段を上った二階が茶席、一階が水屋かと思われます。なんとも風情のある両茶室です。
振り向くと傘亭・時雨亭の前からは大きな観音像の背が見えました。後で調べると、東山にある霊山(りょうぜん)観音坐像のようでした。
何とか広大な庭園をひと通り巡り終え、帰路につくと
下り道の途中に美しい竹林がありました。背景には沈む夕陽、このまま幽玄の世界へと迷い込んでゆきそうな雰囲気です。
その竹林を抜けると目の前に、何やらひょうきんな龍の頭部のオブジェが現れてびっくりぽん。しかも案内板には「恋人の聖地」と書かれています。フォトスポットらしいのですが、実のところこれが何なのかよくわかりません
。もしかして秀吉と仲睦まじかったねねさんにあやかっているのかも・・・と想像してみたり。
出口の近くには“雲居庵(うんごあん)”というお茶席もあるのですが、残念ながら時間切れで、お抹茶をいただくことはできませんでした。
拝観時間をとっくに過ぎているのに、係のひとの「どうぞゆっくり写真を撮っていいですよ」という言葉に甘えて、観光客の誰もいなくなった高台寺庭園をふたり占め。最後にもう一度だけ観月台を目に焼きつけます
。
出口を出ると、すぐ右に方丈前の“勅使門”(外側)がありました。
さらに下ると高台寺の鎮守社である“天満宮”があります。御祭神は学問の神さまの菅原道真公、さらに秀吉とねねに因んで出世開運、健康長寿の御利益もあるそうです。
天満宮の前の“鐘楼(しょうろう)”。
鐘楼の横が最初に上って来た台所坂です。
広場の真ん中に、旧漢字で「高臺寺」と書かれた大きな寺号標(じごうひょう)が立っています。
台所坂から入ったので後先になりましたが、寺号標からさらに下ったところに高台寺の正門である大きな“山門”がありました。境内地から少し離れたところにあるので不思議に思って調べてみると、高台寺創建当初の大伽藍はなんと9万5千坪もあったそうですが、江戸~明治時代にかけての上知令(あげちれい)により、寺領が現在の1万5千坪にまで縮小されていったという事情があるようです。それでも京都東山の真ん中に1万5千坪ですから、じゅうぶんに広いですよね。
高台寺を後にして清水寺方面に下りる途中で、坂道の上に立つ美しい“八坂の塔”にも会いました。これぞ京都、という景色ですが、この辺りの人出は今回の旅で一番の賑わいだったかもしれません。
高台寺の御朱印です。高台寺の拝観チケットには、ねねの道を挟んで反対側にある“高台寺掌(しょう)美術館”の拝観券も付属していたのですが、同じく時間切れで見ること叶わずとても残念です。夕刻の小一時間、駆け足参拝になってしまいましたが、おかげで清水寺周辺の雑踏が嘘のような静けさの中、名勝庭園を堪能することができたのはやはり有り難い出会いだったと今は思います。(⑤につづく)
yantaro