二日目の朝、抜けるような青空晴れを見ていたら、どういうわけか急に平等院鳳凰堂(京都府宇治市)が思い浮かび、三十三間堂へ向かっていた電車を途中で乗り換えて、行ってみることにしました。行き当たりばったりの本領発揮ですっ爆  笑ビックリマーク

 

 10円玉の裏に刻印されていることで馴染み深い平等院鳳凰堂ですが、そういえば先日キム・ナムギルさんの“人生4カット”を撮りにいった新大久保駅前で見つけた『10円パン』の裏側にも、鳳凰堂の姿がしっかりと型抜きされていましたっけ・・・。

 

 実は今の今まで宇治市がどこにあるのかさえ知らなかったのですが、こういうときはスマートフォンが大活躍ビックリマーク。電車の乗り継ぎもスムーズに、京阪電車の宇治駅に降り立ちました。

 

 宇治川に架かる宇治橋を渡ると、

 

 その西詰の美しい松の木の下に“紫式部像”があります。そういえば『源氏物語』の最終章“宇治十帖(うじじゅうじょう)”はここ、宇治が舞台ですね。紫式部は来年(2024)のNHK大河ドラマ『光る君へ』の主人公なので、ここも聖地のひとつになるかもしれません。

 

 まだ午前9時なので、平等院表参道の商店街も森閑(しんかん)としています。

 

 京阪電車宇治駅から徒歩で約5分、平等院の表門に到着です。

 

 拝観券を求め、境内に入ります。

 

 表門の拝観受付で、鳳凰堂の内部拝観は別料金で時間指定制なので、先に購入してから回るといいですよと教えていただき、まず鳳凰堂の拝観受付に向かいます。

 

 すると目の前に、それはそれは美しい鳳凰堂の横顔が見えてきました乙女のトキメキ。右手の鳳凰堂拝観受付に行くと、まもなく午前9時30分からの回に入れるようです。

 

 平等院は平安時代に栄華を極めた権力者藤原道長(ふじわらのみちなが)の別荘を、その息子の関白藤原頼道(よりみち)が寺院に改めて創建されたのが始まりで、当時流行していた浄土信仰の極楽浄土の宮殿をイメージして建てられたと遠いむかし日本史の授業で習った覚えがありますが、平成の大修理を終えてみごとに甦ったその美しい姿は、千年の時を経ても今尚見る者の胸を打ち震わせる優美な美しさに満ちています。

 

 さて、鳳凰堂の内部拝観はこの平橋の袂が集合場所で、ガイドさんとともに中堂内部に入り、高さ約2.8mもある大きな“阿弥陀如来坐像”の前に立ち、珍しい二重天蓋(てんがい)や壁面の長押の上に飛ぶ“木造雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)”52躯(く)、扉や壁面に描かれた“壁扉画(へきひが)”など(すべて国宝)を説明とともに拝見します。

 

 御本尊の神々しさはもちろんのこと、堂内の壁面を飾る“雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)の姿が何とも明るく楽し気で、楽器を弾いたり舞い踊ったり合掌したり・・・52躯それぞれが思い思いのポーズをとっていて、見飽きることがありませんラブラブ

 

 内部拝観を終えてふたたび外観を眺めていると、大屋根の上の鳳凰(ほうおう)が朝陽を浴びてキラキラ輝いているのが見えました。

 

 御本尊の鎮座する中堂(ちゅうどう)を中心に左右対称に伸びた翼廊(よくろう)は、鳳凰が羽を広げた姿を再現しているそうです。

 

 鳳凰堂の浮かぶ“阿字池(あじいけ)”に沿って境内の散策に出かけます。どの角度から見てもきれいですね~合格

 

 宝珠を載せた“六角堂”。

 

 そして“鐘楼(しょうろう)”。

 

 現在使われている梵鐘(ぼんしょう)は昭和の時代に造られた二代目で、国宝に指定されている初代の梵鐘は敷地内の“ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)”に展示されています。

 

 表門の反対側にあたる“旧南門”の外には大型バスの駐車場があり、通りかかるとちょうど外国人観光客の一団が入って来られ、急に賑やかになりましたあせる

 

 旧南門をくぐると左手に、白い築地塀(ついじべい)に囲まれたエリアが現れて、パンフレットを見るとそこには平等院の塔頭(たっちゅう)寺院である“浄土院”と“最勝院”があります。こちらは非公開の浄土院の“養林庵(ようりんあん)書院”。

 

 同じく非公開の浄土院の“大書院”。境内地の中で最古の建物だそうです。

 

 浄土院の本堂。

 

 山号は“朝日山”、浄土院の御本尊は阿弥陀如来坐像だそうです。

 

 浄土院本堂右手の“羅漢堂(らかんどう)”。

 

 浄土院を出るとその右手が“ミュージアム鳳翔館”への入口です。鳳翔館内には国宝の梵鐘や大屋根に載っていた初代の鳳凰一対、雲中供養菩薩像全52躯中の26躯ほか、平等院が収蔵する貴重な文化財が多数公開されていると同時に、最新のデジタル技術を駆使したコンピューターグラフィックスによる映像資料なども展示されています。とくに薄暗い中堂内で遠目にしか見られなかった雲中供養菩薩像が間近で見られるのはとてもありがたく、鳳翔館は平等院の中でも外せない必見のスポットです。

 

 ミュージアム鳳翔館の見学を終えて階段を下りると鳳凰堂の裏側に出て、屋根に載る金色の鳳凰と降棟(くだりむね)の先を飾る“龍頭瓦(りゅうずがわら)”がきれいに見えました。Wikipediaによると鳳凰の容姿は「頭と嘴(くちばし)が鶏、頸(くび)は蛇、胴体の前部が麟(りん=麒麟)、後部が鹿、背は亀、頷(あご)は燕(つばめ)、尾は魚」だそうですが、2004(平成16)年発行の一万円札にも平等院の鳳凰が描かれているのを思い出し、いつもお世話になっていながら実は今回はじめてじっくりとその姿を確認しました(笑)。

 

 ここからは鳳凰堂の中堂(右)の背後に伸びる鳳凰の尾羽のような“尾廊(びろう)”もよく見えます。近くで見ると、翼廊も尾廊も内部はひとが立って歩ける高さではないので、あくまでも全体のバランスを考慮し装飾を目的としたものではないかと思われます。

 

 つづいて最勝院の本堂である“不動堂”へ行きます。

 

 不動堂の御本尊は“災難除け不動明王”です。

 

 不動堂の前には“源頼政公の墓所(宝篋印塔)”があります。案内板によると頼政公は1180(治水4)年、平家討伐の挙兵をしますが、平知盛に追撃され平等院の境内にて自刃されたそうです。歌人としても秀でておられた頼政公の辞世の歌が添えられていました。

 

 その隣の宝形(ほうぎょう)造りのお堂は“池殿地蔵尊”で、地蔵菩薩像が安置されています。

 

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 “最勝院”の山門。

 

 正面の唐破風(からはふ)の下が最勝院の正面玄関、右手が庫裡(くり)のようです。

 

 位置的には平橋の奥が最勝院、反橋の奥が浄土院です。

 

 最後に平等院の創建時に本堂のあった場所に建てられている“観音堂”の外観を見に行きます。御本尊の十一面観音立像はミュージアム鳳翔館に展示されています。

 

 平等院では古来より“御朱印”ではなく「印を紡いでいく」という意味で“御集印”と呼ぶそうです。鳳凰堂の御集印(左)と御本尊阿弥陀如来の御集印(右)をいただきました。

 

 ところでガイドブックを見ると、平等院の川向うに世界遺産に登録されている古い神社があるようなので、帰路に寄ってみようと思います。

 

 対岸へは宇治川に架かるふたつの橋を渡って行きます。一つ目が中州(なかす)の橘島へ渡る白木の橘橋。

 

 橘橋を渡り橘島を歩いてゆくと、中州から対岸へ渡るふたつめの朝霧橋があり、その橋の袂に“宇治川先陣之碑”が立っています。帰宅後調べると、1184(寿永3)年の“宇治川の戦い(※木曽義仲と源頼朝の戦い)”において、義仲軍と頼朝から派遣された源義経軍が宇治川を挟んで対峙したとき、義経軍の佐々木高綱と梶原景季(かげすえ)が先陣を争ったという故事にまつわる碑のようでした。

 

 朝霧橋はまさに源氏物語に出て来そうな朱塗りの雅(みやび)な橋です。

 

 朝霧橋のすぐ目の前のこの大鳥居は“宇治神社”のもので、地図を見ると目指す“宇治上(うじがみ)神社”は、宇治神社の境内を抜けて行くようです。ちょっとややこしいあせる

 

 大鳥居の先の宇治神社の拝殿(桐原殿)。

 

 つづいて二の鳥居。

 

 宇治神社本殿の御祭神は“莬道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)”で、『源氏物語』に登場する宇治八の宮のモデルでもあるそうです。拝殿と本殿が離れているので、改めて本殿に参拝します。

 

 宇治神社の境内を抜けて宇治上神社へ向かう参道の途中には、『源氏物語』宇治十帖の第四帖、早蕨(さわらび)古墳の石碑がありました。

 

 こちらが世界文化遺産に登録されている“宇治上(うじがみ)神社”の大鳥居。平等院を出て宇治川を渡り、宇治神社を抜けてここまで徒歩約20分でした。

 

 朝日山の麓にひっそりと佇む宇治上神社の拝殿(国宝)は、鎌倉時代に伐採された檜を用いて建てられているそうで歴史を感じますが、ちょうど修復工事の最中でした。

 

 注連縄の掛かる御神木の欅(けやき)の横には、

 

 “桐原水(きりはらすい)”という石柱の建つ手水舎(てみずしゃ)兼お水取りもできる建屋(たてや)があります。とても珍しいものですね。

 

 桐原水とは、茶どころ宇治には欠かすことのできない“宇治七名水”と呼ばれる湧水のひとつで、かつては七つあったものがそのうちの六つは枯れてしまい、今残るのはこの桐原水だけなのだそうです。今もこんこんと湧き出る水は生水のままでは飲めませんが、煮沸すれば飲用可能だそうです。

 

 そしてこちらが拝殿奥の宇治上神社の本殿。平安時代後期に建てられた本殿は拝殿とともに国宝に指定されており、この本殿は神社建築としては現存する日本最古のものだそうです。御祭神は宇治神社と同じ“莬道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)”、その父君の第15代応神(おうじん)天皇、兄君の第16代仁徳(にんとく)天皇の三柱です。

 

 境内社の“厳島社(いつくしましゃ)”。

 

 同じく“武本稲荷社(たけもといなりしゃ)”。

 

 流造(ながれづくり)が美しい“春日社”。

 

 “住吉社”(左)と“香椎社”(右)。

 

 宇治上神社の御朱印。同じ世界遺産でも平等院は観光客であふれていますが、宇治上神社は訪れるひとも少なく、もったいないほどに静かで穏やかな空間です。

 

 宇治上神社の参拝を終え、宇治川のほとりを歩きながら駅に向かっていると、右手に“宇治茶道場 匠(たくみ)の館”という喫茶室がありました。

 

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 隣には“京都府茶業會館”という由緒のありそうな建物も・・・。

 

 ちょうど歩き疲れたところでもあり、宇治の銘茶をいただきにお邪魔します。

 

 なんとこちらのお茶はいただくだけではなく体験型で、通常の喫茶メニューは「宇治玉露(うじぎょくろ)」と「宇治抹茶(うじまっちゃ)」と「宇治煎茶(うじせんちゃ)」の三種類のみ。菓子付で税込各1,000円です。わたしは「玉露(ぎょくろ)」を、

 

 夫は「煎茶(せんちゃ)」をチョイス。湯冷まし、急須、湯呑み、たっぷりと茶葉の入った茶筒の載ったお盆が運ばれてくると同時に、各テーブルに一人ずつ日本茶インストラクターさんがつき、宇治茶の歴史や製法の説明、お茶ごとのおいしい淹れ方を丁寧に伝授していただきながら、実際にじぶんの手でお茶を淹れ、それを味わうというスタイルです。

 

 お茶の中でも最高級の玉露の一煎目お茶は、色はほんの薄く色づく程度。それなのに口に含むとお茶というよりまるでまろやかなお出汁(だし)のような味わいで、得もいわれぬ芳醇な薫りが鼻にすーっと抜けていきますラブラブ

 

 夫の煎茶は香りがとても爽やかで、すっきりとした口当たり。二煎目ではじめてやわらかな渋味を感じます。どちらも京都府茶協同組合の選定委員会において厳正に選び抜かれた最高級の宇治茶なので、心ゆくまでお茶を淹れて楽しんだあとは、茶葉まできれいに食することができるんですラブラブ。添えられていた粗塩かポン酢をほんのちょっとかけるととても美味しくて、ほんとうに驚きましたビックリマーク

 

 お茶は奈良~平安時代に遣唐使や留学僧などによって初めて日本にもたらされ、鎌倉時代の僧栄西(えいさい)により喫茶の習慣が広まったと伝わります。栄西が著した茶の専門書『喫茶養生記(きっさようじょうき)』によると、「茶は養生の仙薬(せんやく)なり。延命の妙術(みょうじゅつ)なり」といわれ、早くからお茶の医学的な効能が認められていたことがわかります。

 

 茶葉の発酵の度合いによりウーロン茶などの中国茶や紅茶にもなり、お茶の楽しみ方は無限大ですが、やはり緑茶(日本茶)の美味しさは格別ビックリマーク。茶葉の種類、湯の温度や量、蒸らす時間などによって刻々と変わる味を心ゆくまで堪能し、身も心も満たされる豊かな時間を過ごさせていただきました。(③につづく)

 

クローバー チューリップピンク クローバー チューリップオレンジ クローバー チューリップ紫 クローバー チューリップ赤 クローバー チューリップ黄 クローバー

 

 さて旅の記録の途中ではありますが、今日は2023年の大晦日。つづきはまた年を跨いで書いてゆきたいと思います。本年も拙ブログをご訪問くださり、お読みくださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。こころより御礼を申し上げます。来る2024年も皆さまにとって良き一年となりますようお祈りしています。どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

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