武蔵国(むさしのくに)とは、古代日本の法律である律令制(りつりょうせい)に基づいて設置された地方行政区分の令制国(りょうせいこく)の中のひとつで、現在の東京都(島しょ部を除く)、埼玉県、神奈川県川崎市および横浜市の一部にまたがる広い地域のことをいい、別名武州(ぶしゅう)と呼ばれることもあります。
そして“一之宮”とは神社の社格のひとつで、それぞれの国(地域)の中で最も格式が高く有力な神社につけられることが多く、通常は一国に一つなのですがときに二社、三社と存在するところもあり、武蔵国もまさしくその例です。さらに一之宮は朝廷や国司が指定するなど明確な決まりごとがなく、自然に生じた序列が定着したものなので、どこを一之宮とするかには諸説あり、武蔵国の場合も大宮氷川(ひかわ)神社(埼玉県さいたま市)と小野神社(東京都多摩市)の二社という説と、それに氷川女體(にょたい)神社(埼玉県さいたま市)を加えた三社とする説もあります。
ところで旅をするときはその地の一之宮を真っ先に探すのに、ふと気づけばお膝元の武蔵国の一之宮へ無沙汰をしたままなのはいかにも申し訳なく、冬晴れの一日、大宮氷川神社を訪ねました。神社の第一駐車場に車を停めると目の前に鳥居があるのですが、境内地とは反対方向に真っすぐ続く参道を見るとそれは一の鳥居ではないことがわかるので、まずは一の鳥居を探しに行きます。
歩きながら参道途中の案内看板を見てびっくり。最初に見た鳥居は三の鳥居で、一の鳥居はというと地図上でも遥か彼方(かなた)・・・。JRの大宮駅やさいたま新都心駅にほど近い都会のど真ん中に、こんなにも長い参道を持つ神社があったなんてほんとうに驚きで、気合いを入れ直し一の鳥居まで歩かねばなりません。
30分ほども歩いたでしょうか、ようやくたどり着いたのが“武藏國一宮 氷川大明神”の社号標の建つ一の鳥居。立派な明神鳥居ですね。
常夜燈の横には「是(これ)より宮まで十八丁」と記された“丁石(ちょうせき)”が立っています。調べると一丁は約109mなので、なんと大宮氷川神社の参道は約2kmもあることになります。
大幟(おおのぼり)を立てる幟立ての石柱もとても立派。
一の鳥居をくぐったところには竿もきちんと収納されていました。
さて、一の鳥居から境内に向かって氷川参道を歩きはじめます。ここは車も通れるようで、車道と歩道にわかれています。
早速一丁目の丁石がありました。
さいたま新都心らしいビルディングを借景に、小さな稲荷神社もあります。
12月中旬なのにこんなにきれいな紅葉も。
一の鳥居から10分ほど歩いたところで大通りを渡るとき、信号待ちをしていてふと横を見るとうどん屋さんの前に長蛇の列が。ちょうど時分どきなのでめっちゃ気になるぅ~。“手打ちうどん駕籠(かご)休み”さんというお店のようです。
車道がなくなり、参道は遊歩道のような雰囲気に変わってきました。
2kmもある参道の途中にはレストランやカフェがいくつもあり、参拝の前に立ち寄るのはどうかと思いつつも食欲に負けて(笑)、ランチタイムに~。“GELATO&PIZZA”の文字に惹かれて入ったのは“ugo(ウーゴ)”さんです。
窓の外にはテラス席もあり、ベビーカーを押したママさんがランチをしておられました。
ピザはバジルソースの“フンギ・ジェノベーゼ”。美味っ
雲丹(うに)のクリームパスタは平日限定で、ランチのピザとパスタにはすべてフレッシュサラダとドリンク、デザートにジェラートがつきます。ピザもパスタも出来立てあつあつでとても美味しく、ふたりでシェアするのに十分なボリュームです。
お楽しみのジェラートはなんと14種類もあり、食後にカウンターで選べます。迷う~~
わたしはニューヨーク・チーズケーキ(左)、夫はモンブラン(右)をチョイス。
お腹いっぱいで元気回復・・・単純・・・ふたたび氷川参道に戻って歩きます。左手にはさいたま市立大宮小学校があります。
十丁目まで来ました~。
ここから先の参道の一部は、先ほどの案内板によると1989(平成元)年に整備された“平成ひろば”と呼ばれる市民の憩いの場でもあるそうです。
御影石の敷き詰められた清々しい道。
両脇にはところどころ、歩きやすい散策路もあります。
右手には学問の神さま、菅原道真公を祀る“天満神社”。
そして二の鳥居。この鳥居は1976(昭和51)年に明治神宮(東京都渋谷区)より移築されたもので、高さは約2m、現存する木造の鳥居としては関東最大級だそうです。
ようやく神社の参道らしい趣になってきました。
気づけば十七丁目。
やっと、見えてきました
右手の冠木門(かぶきもん)の奥は境内図によると“勅使斎館(ちょくしさいかん)”のようです。毎年8月の大宮氷川神社の例大祭には今でも天皇陛下の御遣いである勅使が遣わされ、その折こちらの斎館で潔斎(けっさい)の上、身支度を整えられるそうです。
十八丁(約2km)真っすぐに続く参道を歩き、たどり着いた三の鳥居をくぐります。
ひろびろとした境内。
左手には“さざれ石”。案内板によるとこのさざれ石は、国歌発祥の地といわれる岐阜県揖斐(いび)郡春日村の山中より運ばれてきたものだそうです。
その隣には赤い紅葉に守られて“戦艦武蔵の碑”が建っています。“武蔵”は悪化する戦況を打破するために大日本帝国海軍が建造した最後の軍艦で、当時世界最大の全長263mを誇る大型戦艦でした。艦名は“武蔵国”に因んで名づけられ、艦内には“武蔵神社”が祀られて、その御祭神はここ大宮氷川神社から分霊したものだそうです。
1942(昭和17)年8月5日、広島県の呉で行われた武蔵の竣工式には大宮氷川神社から6名の神職が出向かれたそうです。武蔵はレイテ沖海戦に出撃し、その最期は1944(昭和19)年10月24日、フィリピン沖のシブヤン海に没しました。Wikipediaによると、三菱重工業長崎造船所での建造期間1,591日に対し、武蔵の艦齢はわずか821日だったそうです。
その向かいには“神楽殿”(右)と、絵馬などの奉納額を掲げる“額殿”(左)があります。
額殿の隣の“奉納酒樽”。2017(平成29)年の明治天皇御親祭150年大祭に際し埼玉県酒造組合より奉納されたもので、県内34酒蔵の銘酒がずらりと並ぶさまは壮観です。
奉納酒樽の横の少し奥まったところにある天津(あまつ)神社(写真右)は、大宮氷川神社の本殿が今の形になる以前、御祭神三柱それぞれにあった本殿を移築したものの一つ(旧本殿)で、今は摂社になっています。日陰で見づらいですがとても美しい社殿です。
こちらは末社の“六社(ろくしゃ)”。左から住吉(すみよし)神社、神明(しんめい)神社、山祇(やまつみ)神社、愛宕(あたご)神社、雷(いかづち)神社、石上(いそのかみ)神社で、八柱の神さまが合祀(ごうし)されています。
奉納酒樽の背後には御神木の“夫婦楠”が手を携えるように聳えています。
六社の向かいには末社の“松尾神社”。御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)で、酒造の神さまでもあります。
参道をすすむとその先に、
神池(かみいけ)に架かる美しい朱塗りの“神橋(しんきょう)”があります。
神池に浮かぶ弁天島。
武蔵国一之宮ふさわしい壮大な“楼門(ろうもん)”の前に出ました。
“手水舎(てみずしゃ)”で身を浄め、
回廊に囲まれた美しい楼門を見上げながら、
一礼して御神域へと入ります。
正面には姿かたちも流麗な“舞殿(まいでん)”。
舞殿を中心に右手は“神札授与所”と“祈祷殿”。
左手は“祓殿(はらえでん)”。
舞殿を本殿側から。
大宮氷川神社の“拝殿”です。御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱で、東京・埼玉近県に約280社ある氷川神社の総本社でもあります。
社伝によると創建はおよそ二千年前の第5代孝昭(こうしょう)天皇の御代3年と伝えられ、旧社格は官幣大社(かんぺいたいしゃ)、宮中における四方拝(しほうはい=毎年元日の早朝に天皇陛下が宮中の南庭にて天地四方の神祇を拝する儀式)で遥拝される神社の一つにもなっている由緒ある神社です。
参拝を終え拝殿の東側に回り込むと右奥に本殿の屋根が見えて、その瑞垣(みずがき)の外に“神輿舎(みこししゃ)”があります。中には8月2日の神幸祭(じんこうさい)で用いられる神輿が納められているそうです。
神輿舎の陰には大きな“力石”が7つも。江戸~明治時代に奉納されたもので、一番重い石は60貫目(約225kg)もあるそうです。大きな力石の横には赤ちゃんのお食い初めにつかう“歯固め石”もありました。大小並んでおもしろい。
授与所で御朱印をいただき、境内の散策に出ます。思わず足が止まるのはカラフルな巾着がかわいい“ふくろ絵馬”。
回廊の外に鎮座する境内社の“門客人(もんきゃくじん)神社”(左)と“御嶽(みたけ)神社”(右)。御祭神は門客人神社が稲田姫命(いなだひめのみこと)の御親神でいらっしゃる足摩乳命(あしなづちのみこと)と手摩乳命(てなづちのみこと)、御嶽神社が大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)です。
二社の前には“ひょうたん池”。
境内地の先は県営大宮球場やNACK5スタジアムなどのある広大な“大宮公園”につながっていて、ひょうたん池からすぐのところに“日本庭園”があるので行ってみます。
庭園内には川が流れ、小高い丘を巡るようにつくられた散策路の途中途中にベンチがあるので、歩き疲れた足を休めひと息つくことができます。
影の友だち~。
戻って今一度御神域に入り、
拝殿、本殿の前を横切ると、
本殿左奥に神さまのお食事の支度をする“神饌所(しんせんじょ)”が見えます。
つづいて境内最奥の“蛇の池”へ。
古来より蛇は水を司る龍神の化身ともいわれ、この蛇の池は今も地中深くから清水が湧き出ていて、神池の水源にもなっているそうです。杜に囲まれた小さな池は神聖な気に満ちていて、池にはこれ以上近づくことはできないので、賽銭箱の手前から手を合わせます。
蛇の池の手前にもこんこんと水の湧き出る泉があります。このような神秘的な湧き水があったからこそこの地に神社が造営されたそうで、蛇の池は大宮氷川神社発祥の地でもあるそうです。
蛇の池から神池に注ぐ水路に沿う小径を歩き、橋を渡ると
竹林に囲まれた木道が現れて、
そこからは神池に浮かぶ弁天島の向こうに、本殿へ向かうときに渡った赤い神橋が遠望できます。水に映る景色の美しい絶好のフォトスポットですね。
さらに行くと朱塗りの千本鳥居が美しい
“氷川稲荷神社”があります。
御祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、食物を司る神さまです。
その向かいには弁天島に鎮座する“宗像(むなかた)神社”の鳥居と橋があり、
神社には水の神さまである“宗像三女神(むなかたさんじょしん)”が祀られています。
“大宮”という地名は、武蔵国一之宮である大宮氷川神社を“大いなる宮居”と呼んだことに由来するといわれています。大宮は氷川神社の門前町として栄えた街だったのですね。
大宮氷川神社の御朱印です。
氷川(ひかわ)というと横浜の山下公園前に係留・保存公開されている“日本郵船氷川丸”が思い浮かびますが、明治時代、富岡製糸場(群馬県富岡市)など北関東で生産される生糸の一大集積地であり、横浜との中継地にもなっていたのがここ大宮で、横浜に運ばれた生糸をアメリカのシアトルまで運んでいたのが当時最新鋭の貨客船だった氷川丸です。氷川丸の名は“大宮氷川神社”から名づけられ、船内には氷川神社の御祭神を祀り、御神紋の“八雲”が船内装飾にも用いられているそうです。別々の点と点がこうしてつながる瞬間は、何度経験してもこころ躍るものですね。
yantaro