日本でもようやく先週12月7日の深夜0時40分からKNTVで放送がはじまった『キム・ナムギルの何かは残そう(韓国題:뭐라도 남기리・ムォラド ナムギリ)』。

 

上の写真はKNTV公式ホームページよりお借りしました。

 

 この番組はわたしたちの愛してやまない韓国の俳優、そして今や非営利文化芸術NGO団体〈GILSTORY〉および総合エンターテインメント会社〈GILSTORY ENT〉の代表としても広く知られているキム・ナムギルさん(写真右)が、親友の俳優イ・サンユンさん(写真左)とともにバイクに乗り韓国の奥地を旅しながら、行く先々で出会った人びととのこころ温まる交流や交わした話の数々をおさめたロード・ドキュメンタリーです。

 

ここからの写真はすべて、YouTubeの「MBC life」の“뭐라도 남기리”よりキャプチャさせていただきました。ありがとうございます。「(バイクに)乗って行き、そこにいらっしゃる方々に出会い、お話しも聞いて、そういうことが…」

 

 MBCとLifeTimeチャンネルが共同制作した『뭐라도 남기리(ムォラド ナムギリ)』は現地韓国では2023年9月8日から放送され、日本でもYouTubeを通して細切れですがダイジェスト版を見ることはできたので、字幕なしの甚だ怪しげなリスニングながら、どのようなひとたちと出会いどんな話をしているか、うっすら雰囲気だけはわかったつもりでいたのですが、やはりちゃんとした字幕つきで見られるのは何よりありがたく、心待ちにしていました。

 

「小説の中の父は、誰とでも分け隔てなく向き合い、助けてあげるんです」(チョン・ジア作家)

 

 番組は4部作で(KNTVでは6夜放送)、事前に視聴者、とくに若い世代の視聴者から募集した人生に対する悩みを、道の途上で出会った“メンター”と呼ばれるそれぞれの場所で己の生を全うしておられる人生の先輩方に問いかけ、ともに語り合いながら悩みをわかちあい、その中から答えを探ってゆこうというコンセプトで構成されています。メンター(よき指導者)といっても登場される方々はいわゆる有名人ではないごくふつうの人たちで、ただ、他人とは少しだけ違う人生を選択された卓越した職業人であり、各々がその道のプロフェッショナルでいらっしゃるというところがポイントです。

 

 

 たとえば韓国の最北端に位置する人造湖のパロ湖に沿って点在するほんの十数軒の家に、船に乗り一日二往復、郵便や小包を届ける郵便集配員のキム・サンジュンさん、医療脆弱地域の春川(チャンチュン)の僻地で暮らすお年寄りの診療をしながら日々の暮らしも見守る往診医師のヤン・チャンモさん、ヒマラヤのチョラツェに登攀(とうはん)し、手指を8本も失ってもなお冒険家として活躍するパク・ジョンホ山岳隊長、“パルチザンの娘”という十字架を背負いつつ生き、父の死後、葬儀をしながらその父の人生を回顧して書いた『父の解放日誌』がベストセラーとなったチョン・ジア作家、地の果てといわれる全羅南道(チョルラナㇺド)海南(ヘナㇺ)郡の達磨山(タルマサン)の麓にひっそりと佇む古刹(こさつ)、美黄寺(ミファンサ)のご住職でいらっしゃる香文(ヒャンムン)僧侶、済州島(チェジュド)で競走馬を育てる聖イシドル牧場を経営しながら、その収益金で療育院やホスピスを運営する青い眼の司祭イ・オドン神父など・・・。

 

このときのナムギルさんの「ホェ~ン、ホェ~ン」とロシアンブルーの猫ちゃんの“会話”にはほんとうに癒されます~ラブラブ

 

 登場される先達の方々はどなたも皆ごく自然体でもの静かで、それぞれの場所で黙々と為すべきことを為しておられるその姿には胸打たれるものがあり、また決して雄弁ではないのに、語られることばの中には今もむかしも変わらない真理が確かにあって、深い感銘を受けます。そしてナムギルさんもサンユンさんも、俳優として表舞台に立つときのオーラはすべて消し去り、視聴者と同じ悩み多き一青年としてメンターの皆さんに敬意をもって向き合い、真摯に問いかけ、ときには涙ぐみながら語り合われる姿にはおふたりのお人柄がよく出ていて、ナムギルさんとサンユンさんだからこそ成り立つドキュメンタリーなのではないかと改めて思います。

 

「地の果てで出会った若いご住職、香文(ヒャンムン)僧侶に…」

 

 初回放送の冒頭で、MBCの番組スタッフから「どうしてこの番組を選んだのですかはてなマーク」と問われたナムギルさんの答えがとても印象に残っています。「他の話をしたときはそれほど心惹かれなかったのですが、ぼくたちのロード・ドキュメンタリーだというので、情緒的に“魅力がありそうだ”と思いました。そして今必要なのは、少し真剣な話ができる番組はてなマーク(なのではないか)・・・」。最後の( )内は、そのときちょうど登場されたサンユンさんとの挨拶でかき消されている(あるいは編集かはてなマーク)ので想像ですが、それこそがナムギルさんの一番言いたかったことではないかと思いました。

 

 

 おそらく韓国も、そして日本も、時代は重いより軽く、深刻さよりソフトで軽妙なものが好まれる風潮にあり、それはテレビ番組も例外ではなくて、社会問題や時事問題を取り上げた教養番組よりも、明るく笑って見れるその場限りのバラエティ番組などがもてはやされている気がします。しかしそんな今だからこそ敢えて、誰もが一度や二度はぶつかる「(私の)人生とははてなマーク」「生きるとは何かはてなマーク」「大人になるとはどういうことかはてなマーク」という普遍的な命題に、逃げることなく正面から向き合い、ともに悩み考えるような真面目な番組があってもいいのではないかとナムギルさんは提言されているように感じます。

 

「歩んできた

 

 それはテレビに限らず日常の中でも、家族や友人たちとの会話の中にも言えることで、真面目に話そうとするととかく煙たがられ、空気を読めない奴と謗(そし)られることもままありますが、若い世代の中にもナムギルさんのように「ときにはちゃんと真面目な話をしましょうよ」と言ってくれるひとがいるということにわたしはいたく感動し、胸の中で感謝とともにふかくうなづく思いでした。

 

https://kntv.jp/program/kn231213/左矢印KNTV『キム・ナムギルの何かは残そう』

 

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 ところで、番組の字幕では『真剣な話』と訳されていた“진정성 있는 이야기(チンジョンソン インヌン イヤギ)”の“진정성”という単語、ナムギルさんもよく使われるのですがなかなか日本語にしづらく、いつも訳すのに悩むことばの一つです。漢字語なので直訳すると“真正性(しんせいせい)”となるのですが、そのままではあまり使わない熟語ですし、通常は“真心”や“誠実さ”、“真摯であること”などと訳されることが多いようです。前後の文脈によりどれかを選ぶことになるのですが、日本語にも“진정성”をひとことで言い表せるピッタリなことばがあればいいなぁと思います。

 

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